昭和39年東京オリンピック開催を控えて、いろいろな準備が始まった年が気になりました。
ふっと頭に浮かんだ年が、昭和36(1961)年でした。
縮刷版の1月からページをめくると、
まず「住居表示」に関する記事(見出し写真)がさらりと登場します。
戦後復興が徐々に進んだとはいえ、
土地を購入し家を建てる余裕などまだないころでした。
みな借家借地が当たり前、住所も届出主義だったこともあり、
かなり曖昧な住所で暮らしていたのが実状です。
今と違って、共同生活、隣近所助け合って生活を営んでいたこともあり、
同じ住所で届を出す人も多くありました。
オイコラとしょっ引かれたり、差押えに役人がやってきたりと、
ほとんどの人がそう簡単に家を特定されてはかなわないと考えていたのです。
そこで、オリンピックを好機ととらえ、
先進国にならった様々な政策を打ち出した1つが「住居表示jで、
この法律を根拠として、行政が住所を付け替え始めます。
でも、新聞を読み始めると、つい余計なものに目が止まります。
「琴姫七変化」
「番頭はんと丁稚どん」
メタ坊が幼稚園だったころ、すでに家にテレビがあり、
「時間よ止まれ!」や「ブーフーウー」「てなもんや三度笠」など鮮明に覚えています。
さて、1月13日、湘南電車とダンプカーが衝突したところに、
さらに横須賀線の電車が突っ込むという、二重衝突脱線事故が戸塚区上柏尾町でありました。
県の役人を土建業者が女子事務員を使って接待するのですが、
「女性提供」がワイロにあたるとして最高裁が上告棄却しました。
不良トルコブロの摘発をしたのは、自粛大会を開いて「健全営業」を申し合わせたにもかかわらず、
ミストルコらに特別サービスさせたためだそうです。
1月18日には、相鉄線大和駅・相模大塚駅間の厚木基地隣接の土手に米軍機が墜落しました。
昭和34年6月にもこの近くに墜落しているようです。
そしてアメリカでは、ケネディ大統領が就任しました。
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