植木 等 著/朝日新聞社・おやじ徹誠一代記・64ページ目
大正15年5月、次男の勉が伊勢の赤十字病院で死んだ。降り売りの行商人から買った貝の剥き身に当たり、疫痢になって入院していたのである。勉は注射を嫌い、医者の白衣に、衰弱した体を震わせて泣き叫んだ後、急に容態を悪化させた。関東大震災の4日前に生まれてから、まだ丸3年も生きていなかった。
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本の裏表紙には、
俳優・植木等が描く父・徹誠の一代記。年少の頃、貴金属職人のかたわら義太夫語りを目指した父。やがて大正デモクラシーの影響でキリスト教の洗礼を受け、社会主義者として労働運動に参加したかと思いきや、一転して僧侶となって部落解放運動に尽力した社会運動家の破天荒な人生。
と記述されています。
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日本一の無責任男として、昭和30年代に一世を風びし、2007年に80歳で亡くなるまでテレビや映画で歌手や俳優として活躍をした植木等さんが、父・徹誠と母・いさほ、長兄・徹、妹・真澄、家族が激動の世紀をどう生き抜いたのか語っています。特に徹はワンパクなガキ大将で、小学校6年では成績抜群で級長を務めるほどだったが、先生から「しばらく休んでもらわないと学校へ行きたくないという子がいっぱいいて困る」といわれるほど喧嘩が強かった。20歳になった徹が昭和17年8月に出征、翌18年1月には戦死してしまいます。昭和20年空襲で焼き出されて寮住まいしているところに、徹の戦友だったという人が訪ねてきました。片手片足がなく、片目が潰れ、顔も歪んでいたその戦友は、徹が全身を機関銃で蜂の巣のように撃ち抜かれて死んでいたこと、その後に船が沈没したことを告げるのでした。
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