「妙」が付くので、日蓮宗?と思ったら、上野東叡山寛永寺の本末・石塔寺といい天台宗だった。
「妙義」の名は、後醍醐天皇に仕えた権大納言長親卿が、ここに住んだ際、“明々魂々”たる山の奇勝をもって「明魂」と名づけたものが、のちに「妙義」と改められたのだという。
さて、道の駅・みょうぎにバスを止めて、歩きはじめる。
紅葉の最盛期には、多くの人でにぎわうが、もう冬。
迫るような山陰で、陽も傾いている。
まず、1の鳥居をくぐる。
ぞういえば、若いころ、スキーに出かけると、国道18号線を夜通し車を走らせ、安中にあったドライブイン・並木食堂で丼からはみ出したカツ丼を食べるか、横川駅で釜めしを食べるかしたものだ。
夏には、軽井沢や菅平に遊びに行き、ここ妙義の切り立った山塊と遠く浅間山が見えると、碓氷峠にさしかかり、あと一走りと気を入れなおした。
坂を登りつめると、山門の石段が見えてきた。
もうここで、は~、は~、息切れが始まった。おっさんは、つらい!
仁王のいる総門をくぐると、葉を落とした枝垂桜の大木が何本もある、幾重もの階段が待っている。
小さな太鼓橋をわたると、いっきに山へと伸びる165段の石段が迎えてくれる。
杉の大木が覆いかぶさるように林立し、歴史の長さを物語る。
ここで休んでしまっては、おじさんはくじけてしまうかもしれないので、石段を数えることに集中して、動悸がするのも「無」に徹し、「イチ、ニ、サン・・・・」。
この階段で、NHK大河ドラマ「義経」の鞍馬寺シーンが撮影されたそうだ。
うっかりすると、転げ落ちそうな、時代がかった階段をのぼったところに、唐門が見えてくる。
あとちょっとで本殿に着く。
唐門の左右の柱の彫物には、翼を広げた龍が彫られている。
低地にあっては氾濫する川の濁流、高地にあってはほとばしる落雷を神のなせるワザと考えたゆえに、龍という架空の動物が生まれた。
妙義神社に多くの龍が棲んでいるのも、雷の多発地帯であることが想像できる。
本殿は、日光東照宮を思わせるほどの絢爛さだ。
西の比叡山延暦寺に対抗して、江戸城下に東叡山寛永寺を建てた。
徳川家光が開基で、開山は僧・天海。
その天海没後、貫主となったのが門跡で、以来、貫主は天皇の子が務める。
東照宮のある輪王寺の日光山主、ついには天台座主も兼ねるようになる。
それらを考え合わせれば、建物の豪華さが理解できる。
本殿の真裏には、願い事を叶えるという天狗がまつられている。
境内を出ると、何本かの石灯籠とともに、山から落ちてきたに違いない巨岩が苔むしている。
総門から10度程度左手に本殿があるのは少々解せない。
たぶん、総門の向きの延長線上、この巨岩の右手辺りにもともと神社の本殿があったに違いない。
階段を降り始めると、眼下に景色が広がる。
振り返ると、とんでもなくうねった石段を登っていたようだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます