散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

イージス艦「あたご」の衝突事故に、思う

2008年03月21日 | ☆たまに修行

自衛隊の潜水艦「なだしお」と遊漁船「第一富士丸」」が衝突した事件からすでに二十年が過ぎた。必ずといっていいほど、この教訓が生きていないという。しかし、日本も含めて軍隊は絶対優位に君臨する。民主主義だの、国民の生命・自由・安全を守る軍隊だのといっても、実際は軍を容認する国家・政府を守るのであって国民は二の次にされるばかりだ。国民の民意を掲げるときは、軍政を敷くためのクーデターが起きる場合をさす。作家・司馬遼太郎も戦車隊に徴兵された折り、上陸する連合軍を迎え撃つ作戦計画が、東京から避難する市民を無視し、駐屯する埼玉から進撃するようになっていたことに呆然としたという。
その意味で自衛隊が防衛庁から防衛省へ昇格した以上、今回の事故も当然の結果といえば結果なのだろう。国防をその設立の目的とするからには、航海の安全は海上保安庁の専権であって、護衛艦の前を横切る船舶の安全は自己責任と捉えているに違いないのだから、過去の教訓などありえなかったといっていい。きっと海上保安艇と衝突しそうになっても、護衛艦は進路を変えなかったに違いない。
勝浦の漁業関係者は「浦じまい」による捜索の打ち切りに踏み切った。長い歴史に培われた生活の知恵かもしれないが、それと同じ、国策に翻弄されてきた歴史も無視する訳にはいかない。戦時の日本で漁業関係者は軍艦乗りあるいは海上輸送に従事する人的消耗品として扱われてきた歴史を持つ。勝浦では小型艇による特攻「震洋」の出撃場所だったこともあり、それが「浦じまい」の意味するところかもしれない。それに海流の早さと連日の強風では、波間に漂ってもかなり流されていて、日が経つにつれ限られた人員での捜索もむずかしい。
それに対して、自衛隊が総力を挙げて捜索しないのは、日本軍が兵士を消耗品として見る伝統が生き残っているからだと思う。早ここにいたっては、ただ吉清さん父子の生還を願ってやまない。
この記事が載っているうちは、小市民に対する言論の自由があるんだろうな・・・とも思う。


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