東海道ウォークガイドの会(ここをクリック!)が主催するウォークイベントに参加しました。
新型コロナで活動制限される前までは、昼食をはさんで丸一日、宿場から宿場へガイドをしながらウォーキングを楽しんでいたそうですが、今は半日コースで解散し、バスに乗って戻るか、先の宿場(駅)へ向かうかという内容になっています。
午前9時から9時30分までの受付時間にもかかわらず、9時に集合場所へ行ったら、すでに4班は出発、第5班となりました。
1班10人編成なので、40人は勝手知ったる定連さんらしく、集まり次第出発しているという訳です。
今回の立ち寄り先は・・・
浄土宗清源院=徳川家康の側室・於万(清源院)の方が尼となり、家康の菩提を弔うために庵を結んだお寺です。
臨済宗高松寺=鐘楼門がどっしりと構える立派な寺院。東海道から長後街道に入った場所に建っています。
戸塚宿は本陣が2つありました。その1つ沢辺本陣まえにある料亭・きじま本陣。
写真を撮っていたら「あちらは本陣ではありませんよ」とガイドさんから注意されました。結構、マジです。
次に海蔵院。やはりここも臨済宗です。沢辺本陣の当主が中興開基しました。木食上人という文字が刻まれている石塔が、山門を入ってすぐの鐘楼脇にありました。
木食(もくじき)とは、その文字が表すとおり、木を食う訳ですが、即身成仏(現世の肉体のまま仏になること)=食を断ち、水と木の根をすすりかじって清浄な肉体にしていくことだそうです。
「お札まき(ここをクリック!)」で有名な戸塚八坂神社。
もとは牛頭天王を祀る天王社だったものを明治になって、素戔嗚命を祭神とした八坂社に改めたのだとか。
どちらにしても、疫病除け、五穀豊穣を祈願する目的は変わりません。
冨塚八幡宮は、戸塚宿鎮守・八坂神社に対し、戸塚町の総鎮守。
宮山は冨属彦命の古墳で、ゆえに戸塚の地名の由来になっています。
大坂を大阪に向かって、ぐんぐんと登っていくと、横浜新道と合流して、箱根駅伝の戸塚中継所を通り過ぎていきます。
もし、これが炎天下だったら、確実に熱中症になりかねませんので、くれぐれもご注意を!
大坂を登りきったところに歌舞伎・仮名手本忠臣蔵に出てくる「お軽・勘平戸塚山中道行の場」の碑があります。
勘平のモデルとなった赤穂浪士・菅野三平が、父に討ち入り参加を止められて自害したことをモチーフにして創作されたフィクションですが、演目が大当たりをとったことにあやかって、それらしい場所を選んで碑を建てたようです。
やがて坂もピークに達したあたりに、原宿村の鎮守・浅間神社があります。
浅間神社だけに富士山の方角に向かって社殿が建っています。
そして、浅間神社の参道が東海道に出ると、尾根の坂は広く緩やかになり、浄土宗大運寺に到着です。
ここで解散。
ひとまわり上の歳かな?と思われるガイドの方は、宿間を半分歩くだけになって、楽だけど物足りないねぇ、と言ってましたが、メタ坊は足がツリかけていました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます