今日は3月に急逝した友人の偲ぶ会があった。
亡くなってから2ヶ月の少し経ったけど未だに信じられなかったし、現実として受け入れられなかった。
今日の2時からお宮さんの中にある会館で偲ぶ会が行われた。
途中で道が混んではいけないと思い家を12時に出発した。途中それ程渋滞もなく割りにスムーズに進んだものの会場に着いたのは偲ぶ会が始まる20分前だった。
受付を終えると来場者の名前と住所それにメッセージを記入する用紙をもらった。まず会場内の座席の確保を終え離れで用紙の記入を済ませ係の巫女さんに用紙を渡し再び会場へ!
定刻の14時に偲ぶ会はスタート。会場にはゆかりの人たちがたくさん訪れ故人との別れを惜しんでいた。
友人の死をどうしても信じられなかったけど祭壇に遺影が飾られているのを見ると現実である事をいやが上にも認めざるを得ない事が悲しすぎた。
宮司さんの挨拶が終わり 個人の人生を簡単に振り返りそれから献花となった。
実際僕はそこに語られている事よりもっと多くの事を知っているし、ここまで来るのにどれだけ辛い思いや大変な思いをしてきたのかも知っている。
特に4年前にくも膜下出血で生死の淵を彷徨ったけど何とか回復、しかも後遺症もなく現場に復帰できてきたのに・・・そんな生命力の強いそして神様から守られていた人が何故?という思いが強い。
そして2年前今度は僕が生死の淵を彷徨っている時には全身全霊を込めて神様にお祈りしてくださった。
お互い何とかこの世に踏みとどまる事が出来たというのに・・・
僕の列の番になる前に一旦中断して友人のお兄さんが喪主として挨拶をされた。初めて見るお兄さんは故人ととてもよく似ていた。
お兄さんの挨拶が済んでいよいよ僕たちの列の番となり白い菊の花を一本受け取り祭壇の前に設けられた献花台に献花した。遺影を見ていると更に現実である事を思い知らされた。
献花を済ませた人達は次々と会場を後にして次の献花をするひとたちと交代する形になった。
帰りぎわにメッセージを書いた場所に寄って係の巫女さんに以前お参りに行った時に撮った友人の神官の装束の姿の写真を額に入れたものを故人のお母さんに渡して欲しいと頼んだ。
そこで少し故人の思い出話をした。本当に亡くなる前日まで普段と変わらず元気だったそうだ。だからお宮の人達も未だに信じられないと言ってられた。それに社務所の中の机もまだそのままにしてあるのでひょこっと帰ってくるような気がするとも言ってられた。
亡くなる前の日には近所の小学校の卒業式に来賓として出席されてたみたいだ。
いかに突然の旅立ちだったかが分かる。友人のお母さんが電話をくれた時自分の家で亡くなって良かった。お宮で亡くなったら色んな人に迷惑がかかるからとおっしゃっていた。実際4月には大きなお祭りが控えていたのでお母さんはその事も心配されての事だった。でもあまりに辛すぎる。
会場を後にするときに入り口に飾ってあった装束やお祭りで撮影された写真を改めて見たら本当に悲しくなった。
でも、そこのお宮さんの事を誰よりも愛していた友人はきっとそこにいると僕は確信している。
もう少し落ち着いたら改めて友人に会いにお参りに行こうと思っている。
あまりに早く逝ってしまった友人の冥福を心から祈りたいと思います。
亡くなってから2ヶ月の少し経ったけど未だに信じられなかったし、現実として受け入れられなかった。
今日の2時からお宮さんの中にある会館で偲ぶ会が行われた。
途中で道が混んではいけないと思い家を12時に出発した。途中それ程渋滞もなく割りにスムーズに進んだものの会場に着いたのは偲ぶ会が始まる20分前だった。
受付を終えると来場者の名前と住所それにメッセージを記入する用紙をもらった。まず会場内の座席の確保を終え離れで用紙の記入を済ませ係の巫女さんに用紙を渡し再び会場へ!
定刻の14時に偲ぶ会はスタート。会場にはゆかりの人たちがたくさん訪れ故人との別れを惜しんでいた。
友人の死をどうしても信じられなかったけど祭壇に遺影が飾られているのを見ると現実である事をいやが上にも認めざるを得ない事が悲しすぎた。
宮司さんの挨拶が終わり 個人の人生を簡単に振り返りそれから献花となった。
実際僕はそこに語られている事よりもっと多くの事を知っているし、ここまで来るのにどれだけ辛い思いや大変な思いをしてきたのかも知っている。
特に4年前にくも膜下出血で生死の淵を彷徨ったけど何とか回復、しかも後遺症もなく現場に復帰できてきたのに・・・そんな生命力の強いそして神様から守られていた人が何故?という思いが強い。
そして2年前今度は僕が生死の淵を彷徨っている時には全身全霊を込めて神様にお祈りしてくださった。
お互い何とかこの世に踏みとどまる事が出来たというのに・・・
僕の列の番になる前に一旦中断して友人のお兄さんが喪主として挨拶をされた。初めて見るお兄さんは故人ととてもよく似ていた。
お兄さんの挨拶が済んでいよいよ僕たちの列の番となり白い菊の花を一本受け取り祭壇の前に設けられた献花台に献花した。遺影を見ていると更に現実である事を思い知らされた。
献花を済ませた人達は次々と会場を後にして次の献花をするひとたちと交代する形になった。
帰りぎわにメッセージを書いた場所に寄って係の巫女さんに以前お参りに行った時に撮った友人の神官の装束の姿の写真を額に入れたものを故人のお母さんに渡して欲しいと頼んだ。
そこで少し故人の思い出話をした。本当に亡くなる前日まで普段と変わらず元気だったそうだ。だからお宮の人達も未だに信じられないと言ってられた。それに社務所の中の机もまだそのままにしてあるのでひょこっと帰ってくるような気がするとも言ってられた。
亡くなる前の日には近所の小学校の卒業式に来賓として出席されてたみたいだ。
いかに突然の旅立ちだったかが分かる。友人のお母さんが電話をくれた時自分の家で亡くなって良かった。お宮で亡くなったら色んな人に迷惑がかかるからとおっしゃっていた。実際4月には大きなお祭りが控えていたのでお母さんはその事も心配されての事だった。でもあまりに辛すぎる。
会場を後にするときに入り口に飾ってあった装束やお祭りで撮影された写真を改めて見たら本当に悲しくなった。
でも、そこのお宮さんの事を誰よりも愛していた友人はきっとそこにいると僕は確信している。
もう少し落ち着いたら改めて友人に会いにお参りに行こうと思っている。
あまりに早く逝ってしまった友人の冥福を心から祈りたいと思います。