虐待を生きぬいて~連鎖を切りたいと願って生きてきた人生と快復~

虐待のサバイバーからガーディナーへ。


大きな樹の根を見つけた。
どんな暴力からも「逃げていい」って伝えたい。

みっちーの活動

1 手話通訳活動を含めたミュージックサインアーティスト   &ピアニスト 2 人権活動(子ども、女性、障がい者、高齢者、メンタル系) 3 里親制度を広めたい 4 復興支援(体と心によいこと始めました) 楽しくて、優しい人に出逢って、自分も嬉しいを手渡しできるそんな活動がしたい。 すべては自分のための四苦八苦。 自分に優しく、他人にも優しくを心がける2014年。 合言葉は nice love song

ミュージックサイン アーティスト みっち~

「ファン」Byミック・サトー

走行距離45キロ。

2012-09-04 19:12:57 | みちえの活動日記
本当なら、昨日車で出かけなければならなかった場所、3か所に出向き、お願いできることをしてきた。

あとは、封筒で着くのを待つだけ。

そして、プリンターのインクを買いにいき、五十肩の治療に行き、その後ちょっと田舎道を。

車の運転は苦手なので、用事がある時以外乗らない。

若い時はというか、病気をする前は、結構走っていたけれど、精神状態とか自律神経のバランスが崩れてからは、ちょっとした見落としが多くて、自分でも「あ~~~」ってなるので、困る。

今日は雨が降ったりやんだり、日が照ったりで空も忙しそうだった。

秋の空は、女心らしいけれど。



山道を走っていたら、「田舎に住みたいのかも?」って聴こえた。


信号もなく、人も少なく、なにもないところに行きたいのかも?

社会人になって、5年間住んだ場所、そこの景色に似ていた。

函館は雪も少なくて、住みやすいけど、

知り合いが増えすぎちゃって、苦手かな。(笑)

今年は、けっこう歩いて過ごしたので、日に焼けてるけど、もう化粧する気も起きない(笑)

もともと好きじゃなかったんだよ。

でも田舎に住むと、車は必須?
じゃ

ダメだね、電車でGO!だから。

なにもかも、めんどくさい。




肩コリひどくなってきた。

目の使い過ぎか?

雨降るかどっちかだね。


魔女の宅急便

2012-09-04 15:36:35 | 魔女の宅急便
昔から「多重の人っているのに、なんで治療が進まないんだろう」と夫に投げかけた。

一人になってみたいと思ってはみたけれど、とんでもなく治療費はかかるし、時間もかかる。

多分今まで以上に辛いことも待っているだろうから、ま・・・いっかと、あきらめた。

自分会議をして、お互いに協力し合ってもらうことにしてから、何年か過ぎた。

それでも、入れ替わっていたり、別な人が泣いているな・・・と体が感じたりすることは、ある。

見えないものが見えていたり、

娘がまだよちよちと歩いていたころ、海岸で3人で散歩していた。

海って怖いから、砂がぬれているところから、数メートル離れた場所を歩いていた。

突然あり得ないくらい高い波が来て、3人とも吹っ飛んだ。

私は、ごろごろ転がっている娘をキャッチして、できるだけ海から離れた。



今日、その頃の話になって、「かあちゃんって、ここぞって時に、すっと手が伸びたり、つかめたりするのはどうしてなんだろうね。俺には、海が濁ってて、まーがどこにいるかわからなかった。」


私は、まーだけが見えて、転がっていく方向がわかっていたので、先回りして腕をつかみ流されないように自分の体で支えただけだと思っていた。

昔魔女狩りがあったように、かあちゃんも魔女なんじゃないの?ってことになった。

他人には見えないものが見える。


予知は出来ないけれど、『あ・・やっぱり』と思うことがけっこうある。

なくなった人が自分に逢いに来てるのも、わかる。

この人、放置したら死んじゃうなみたいなのも、何となくわかる。

今日は、朝起きたら「普通なんてわかんない、普通になんてなれないんだ」と誰かが叫んでいた。

普通じゃないのかもしれないし、普通かもしれないけど、

普通は嫌いなんだ。


一羽ひとからげ。

苦手なんだ。

バラバラな私は、バラバラでしかない。

ジブリの魔女ならかわいいのに。


夢か・・・。

2012-09-04 07:48:10 | みちえの活動日記
家から出ること。

親から距離をとること。

一人で暮らすこと。自立すること。

その方法はなんでもよかった。

とりあえず、「保育士」。



本当は児童とのかかわりが持ちたかったけれど、その頃は狭い道。

点字、手話、ボランティアなら何でもやった。


アルバイトも、なんでもやった。

皿洗い、おにぎり屋、うどん屋、そば屋、郵便局、スナック。

接客なんて大嫌い。でも生きるためは、なんでもやった。

専門学校に行くために、食べるために。

本当は、福祉大学に行きたかった、でも4年間も親に世話になるなんて嫌だった。

でも資格は取りたい、だから最短で「金をかけてやった」と言われないように、自分で生活できるように頑張った。

18歳の時に、100万をもらって、それを学費にあて2年間。

毎週、土日はアルバイト。
長期休みもアルバイト。

年末年始もアルバイト。

生きるために。

卒業するために。

でも、その資格は今眠ったまま。

必死だったよ、必死に生きてきたよ。

今も、必死だよ、

でも疲れたかな。












いつでも一生懸命に生きてるのに、辛くなるのは、どうしてなのかな。


夢なんて持っていいって思ったのは50過ぎてからだよ、でもどう扱っていいかなんてわからない。

地面をみながら歩いてきて、気がついたら少し社会が変わっていた、そんな生き方の方が楽だと私は思う。

出来ることしが出来ないだから。



話しあって、語り合って、引き分けにしたら。

2012-09-04 06:48:55 | みちえの活動日記
この言葉は、「優しさの種まき」の詩につかっている言葉で、せっかく言葉をもっているのだから、暴力や戦争とかにすぐ走るんじゃなくて、「相談」「会議」などの手法で、世界から戦争がなくなって欲しいんだと、そう思って書いた。

小さな戦争は身近にもある。

親子喧嘩、夫婦げんか、友人とのいさかい、仲間同士のトラブル。

しらないところで、人を傷つけていることが多分一般的な人よりも、多いんだろうなとは承知しているつもりだから、それなりに気をつけてる。


つもりは、つもりだから、失敗もあるんだろう。

でも、

記憶にないし、傷ついたと言われても、どうしていいのかわからないのが本音。

私的には、「私が何をしたのかわからない」から。



日曜日、「私の季節」の試写会だったけれど、何年か前に上映した作品だった。

でも、ところどころは記憶にあったが、日曜日に映画を見た私は、「初めてみる」みたいな感覚の私だった。

数年前は、まだ記憶が途切れている自分とは、出逢っていないから、その状態を目の当たりにした時に、少し怖かった。

思うに、「帰ろうかな」という素敵な歌が流れる。

施設での暮らしと、家族との暮らし、関わりの中で、自分の居場所はどこなんだろうと、重度心身障害と診断された人たちのドキュメンタリー。

「帰ろうかな、あの街へ。帰ろうかな、ああ~~♪」

遠い海の向こうへ、思い出がある~~と歌詞が続く。


思うに、

「いいなぁ。重心の人でも家族の絆があって、帰れる場所があるんだ」と、そこで別な人に変わっちゃったんだかな?

最初と、途中と、最後しか、自分が見た記憶がなかった。


こんなにリアルに、自分がみたはずの映画を「初めてみる」という感覚で時間が流れたのを自覚したのは、初めてだった。



家族の協力で、今は何とかなっていると思っていたけれど、なんともなっていないのかもしれない。
勝手に自分がそう思っているだけで、周りは迷惑でいっぱいなのかもしれない。

バラバラの私は、バラバラの私でしかなくて、どうにもならないのかな。

だとしたら、迷惑が増えないうちに、生きるの止まらないかな。

このまま、人生が止まってくれた方が、少しは「いい人だった」と思い出に残ってくれるんじゃないのかな。


なんて。


いつまでも、「私の人生暗かった」。

なんていうのは、いやだわ~~って思った朝でした。


DIDの皆様、本当に大変です。

私もつらい。でも生きてるから、何かをしたい。それだけだけど、そのたびに、迷惑がかかってるんだって思うと、息苦しい。

今を生きてる私はどこの誰なんだろう。まわりからは、みちえさんだろうけど、私からは、だれ?ってわからない。


こんなに頻繁にあっちこっち変わる必要が私にあるのかな。

息もできないくらい、苦しい。

やだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。