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マドリードで私たちが参加したツアーは2つです。9月27日にドイツ語ガイドとともに歩いて旧市街を回ったのが1つ。もう1つは9月30日に観光バスでちょっと広い範囲を回るツアーでした。
まずはマドリード全体の印象が分かるバスツアーの写真をご覧ください。私たちのスタート地点はプラド国立美術館からほど近いネプチューンの噴水があるPlaza Cánovas del Castilloでした。そこから南下してAtocha駅の方へ向かい、Plaza Emperador Carlos Vで左折し、さらに左折してレティーロ公園のわきを通るCalle Alfonso XIIを北上、Plaza de la Independenciaで向きを変えて、Plaza de la Cibelesに向かい、そこでまた北上して、高層ビルやオフィス街を通ってスタジアムまで行き、そこでUターンして少し南下したところまでのルートははっきり覚えているのですが、その後はちょっと方向感覚を失ってしまい、どこをどう通ったのかは分からなくなってしまいました。大使館がたくさんあり、お金持ちのビラが多い地区を通って、いつの間にかGran Viaあたりに出て、Templo de Debodという古い遺跡の前を通って、王様の住んでいない王宮Palacio Realに向かい、短いトンネルをくぐってPlaza Mayorの近くで停車した時に、私たちはバスを降りました。
バスは赤いSightseeing Busの方ではなく、黄色い方のバスで一人12€と安価な方を選びました。結果的にそれはいい選択ではなかったのですが、後の祭りです。赤い方に21€払って乗った方がよかったと悔いても始まりません。(T_T)
何が悪かったかと言えば、まず、若くてなかなかイケメンのお兄ちゃんがガイドとしてスペイン語と英語でべらべらしゃべっていたことです。普通は観光バスには多言語対応の音声ガイドがついていて、人間のガイドがライブで案内をすることなどまずないのですが、そのように喋りまくられては音声ガイドの方は聞けたものではありません。まあ、聴こえた限りでは大した内容でもなく、ほとんどの時間音楽がかかっていただけだったのですけど。その音声ガイドの内容の薄さもマイナス点ですね。
こういうところでケチってはいけないというのが教訓ですね。
歴史的な市街地の方の歩きツアー(ドイツ語)は9月27日に参加したのですが、こちらはドイツ語ネイティブ(おそらくスイス人)によるガイドでしたので、言葉の至らなさといった問題はなく、またガイドの質も上々でした。歴史的データを盛り込み過ぎず、面白い歴史の裏話などを交えて生き生きとマドリードを語ってくれました。
コースは、Puerta del Sol -- Calle del Arenal -- Teatro Real - Plaza de Oriente -- Palacio Real -- Catedral de la Almudena -- San Nicolas de los Servitas -- Plaza de la Villa -- Calle del Codo -- Iglesia de San Miguel -- Mercado de San Miguel -- Plaza Mayor。
Puerta del Sol
Puerta del Solはそのまま訳せば「太陽門」ですが、その広場の名のもとになった門は、すでに1570年に取り壊されました。場所を作るためにその周辺にあった多くの建物が取り壊されたそうです。こうして広くなったこの広場に建つReal Casa de Correos(王立郵便局)はカルロス3世が建てさせたもので、この広場で最古の建物です。その入り口前に「キロメートル・ゼロ」のプレートが置かれています。この地点からスペイン各地に伸びる国道の距離が等しいという地理的な中心点を示すものです。このプレートと自分の足を写真に収めようとする観光客で常に人だかりができているようです。私たちは自分で写真を撮るチャンスがありませんでしたので、下の写真はウイキペディアからの借用です。
広場の端の方にはマドリードのシンボルである「熊とイチゴの木」のブロンズ像があります。なぜマドリードのシンボルがこれなのかについては諸説ありますが、一番もっともらしい説は、教会と貴族の共存を象徴するという説です。中世ヨーロッパでは貴族も教会も同じように領主として領土から上がる収益を得ていましたが、マドリード市では貴族の所領と教会の所領が重複していたため、貴族が狩猟獲物(熊に象徴される)、教会が農作物(木に象徴される)を取得するという棲み分けのための取決めがあったということらしいです。
ともあれ、この「熊とイチゴの木」は待ち合わせ場所として人気があり、私たちが参加したツアーの集合場所もここでした。
この広場は地理的な中心点というばかりでなく、政治的にも重要な役割を果たしました。ナポレオンの弟ジョセフ・ボナパルト(ホセ1世として即位)による支配に対して反旗を翻し、6年間にわたる抵抗運動が1808年5月2日に始まったのがこの場所でした。抵抗勢力は翌日圧倒的な軍事力で殲滅されてしまいましたが、抵抗運動はやむことがなく、ついにフランス軍を追い出して、1814年、フェルディナンド7世の帰還を迎えたのでした。スペインは1700年以降フランスのブルボン王家の支配下にあり、このフェルディナンド7世もフランス王家の人なのですが、王家の人はよくても、コルシカ出身の平民皇帝ボナパルトの弟は受け入れがたかったということでしょうか。
Calle del Arenal
Calle del Arenalはそのまま訳せば「砂堀通り」です。このため、通りの名を示すタイルには砂の山が描かれています。
この通りは元は小川があり、その川沿いに肉屋がたくさんあったのだそうですが、肉屋が処理済みの動物の残骸を川に捨てて流していたので、その下流に当たる王宮前では腐敗した動物の残骸がたまり、見かけも臭いもひどいことになっていたそうです。このためこの小川は埋められて道路になったらしく、その埋め立ての様子がタイルに描かれているらしいです。
肉屋に関して興味深い話を聞きました。8世紀以降イスラム教徒の支配下にあったスペインでは、「豚肉」に特別宗教的な意味があったそうなのです。イスラム教徒は豚肉を食べません。また、スペインに数多くいたユダヤ教徒も豚肉は食べません。このため、店先に豚の脚を吊り下げるということは、肉屋であることと同時にキリスト教徒であることも示していたわけです。
現在この通りは高級ブティックなどがあるショッピング街ですが、ひょっこり下の写真のような古色蒼然とした教会が姿を現したりします。San Gines教会は、11/12世紀に建てられたモサラベの教会が破壊された跡に、17世紀中葉に建てられました。
その教会の壁に建て付けられている本屋も「1650年に建てられた」旨が瓦屋根のすぐ下に記されています。老舗の本屋、すごいですね。
この業界を取り囲むPlaza de San Ginesという広場にはマドリード最古のチョコラテリア(ホットチョコレートとチューロという焼き菓子を出す喫茶店)があります。ホットチョコレートとチューロの組み合わせはアンダルシアではあまり見かけませんでしたが、マドリードあたりでは随分人気があるようです。カロリー爆弾ですが(笑)
Teatro Real
Calle del Arenalは、Teatro Real(王立歌劇場)に突き当たります。今年は「設立200周年」を祝っている歌劇場ですが、1818年には礎石が置かれただけで、工事は王家の財政難のために中断し、1830年になってようやく本格的な建設が始まり、1850年に完成したので、200周年はちょっとインチキっぽいですね。フェルディナンド7世の娘イザベラ2世によってオープンした歌劇場ですが、先述の埋めた川の上に建てられたため構造上の問題があり、1925年に改修工事のために一時閉鎖されました。1960~66年にコンサートホールとして改装され、以降ずっとコンサートホールだったのですが、大掛かりな改修工事の後、1997年から再びオペラハウスとして使用されています。
Plaza de Oriente
Plaza de Orienteは直訳すれば「東の広場」です。王宮と歌劇場の間に位置しています。先述のホセ1世が王宮と街の間の緩衝地帯として造営し始めたものですが、結局追い出されてしまったので、現在の形に完成させたのはイザベラ2世です。
この庭園に配置されている歴代王の彫像は、王宮の屋根を飾っていたのですが、イザベラ2世だったか、そののちの王妃だったか覚えていないのですが、「彫像が落ちて来るのが怖くて眠れないから、全部どけるまで王宮には入らない」と言ったので、屋根から降ろされたそうです。
この庭園のほぼ中央にあるフェリペ4世の騎馬像はじっくり見るに値します。なぜなら、この騎馬像は馬が前脚を宙に浮かせている画期的なデザインだからです。後部に詰め物をし、馬の尻尾を長くすることでバランスをとっています。Plaza Mayorにあるフェリペ4世の父・フェリペ3世の騎馬像よりも立派なものが欲しくて特別にデザインさせたそうです。父親を超えたい願望は身分や国にかかわらず普遍的なもののようですね。
Palacio Real
現在Palacio Realが建っている丘には、元々はイスラム教徒の要塞アルカサルがありましたが、そこを11世紀からキリスト教徒のスペイン王たちが若干手を入れて使うようになりました。1561年にハプスブルク王家のフェリペ2世がマドリードを首都にした際に、このアルカサルも大幅に改築・拡張されました。彼がマドリードを首都にした理由の一つは狩猟場がすぐ近くで、狩猟好きの彼にとって魅力的な土地だったからだそうです。しかし、ハプスブルク王家は長年の近親相姦のために精神薄弱などの障害を持つ者が多く、最後の王位継承者もその理由で廃嫡となったため、王位継承権を巡ってフランスのブルボン王家とオーストリアのハプスブルク家が争い、結果的にフランスが勝って、1700年にスペインの王位を継承しました。ハプスブルク家のアルカサルは1734年のクリスマスに火事でほぼ全焼しましたが、これはわざとだという噂もあります。ベルサイユ宮殿のきらびやかなロココ風建築に慣れた目には、ハプスブルク家の居城は古臭く、やぼったく見えたに違いないので、新しくベルサイユ宮殿に倣った、しかしそれよりも大きな宮殿を建てられるように古い居城を燃やしたのではないかという推測です。とにかくブルボン王家のフェリペ5世はイタリア人建築家のフィリッポ・ジュヴァーラに宮殿の新築を依頼しました。ジュヴァーラ死後は、弟子のジョヴァンニ・バッティスタ・サッケッティが引き継ぎ、設計に一部変更を加え、ファサードにはロレンツォ・ベルニーニ設計のルーブル美術館のファサードを借用しました。1764年に完成し、カルロス3世が新宮殿の最初の住人となりました。2800室以上あるという王宮は、現在は王の居城としては使用されていません。一部一般公開されており、武器コレクションが見ごたえがあるという話です。私たちは興味がないので外から見るだけにしましたが、中を見学したい場合は、前売りチケットを買った方が並ばずに済むのでお勧めです。
以下の写真はツアーが終わってから戻ってきてアルムデーナ大聖堂側から撮影したものです。
Catedral de la Almudena
アルムデーナ大聖堂が現在の姿になったのは1960年のことなので、教会としてはかなり新しい部類に入ります。この場所には16世紀には立派な教会が建っていましたが、1870年になぜか取り壊され、その13年後にネオゴシック様式の教会建設が始まりました。工事は遅々として進まず、先に完成した納骨堂が教区教会として1911年から使われていました。1940年になってようやく工事がまともに進むようになりましたが、この際に一部設計が変更されました。王宮に面している側のファサードは王宮の建築様式に合わせて作られたため、大聖堂全体としては様式も色合いも変に混じっていてちょっと奇妙な雰囲気を醸し出しています。非常に古い教会で、数百年もの間に何度も建て替え・建て増しされたものだとよく建築様式が混じっている場合がありますが、それはそれで、それぞれの建設時期の歴史が感じられて味わい深いものがあると思うのですけど、アルムデーナ大聖堂のように数十年の建設期間で混合様式というのはやはりいただけませんね。
ツアーの後に戻ってきて、中に入りました。入場料は1€の寄付金のみです。天井やステンドグラスの色彩が新しいだけあってとても鮮やかですが、それを除けば比較的質素な内装です。
大聖堂を出て右側(南側)の道を50mほど降りると、納骨堂の入り口があります。ここも入場料は1€の寄付金のみです。この納骨堂はネオロマネスク様式で統一されています。ネオロマネスクは6-10世紀のロマネスク様式の焼き直しのようなものですが、ロマネスクの柔らかな曲線と暖かみを残しつつ現代的に洗練されているのが素敵です。>ゴシック様式に比べて、人間に対して優しい感じがします。
現代的な施設に相応しくWifiがあり、wifimuseum.com から案内が聞けるようになっていますが、中では音楽もかかってて、オーディオガイドを聞き取るのは至難の業です。
納骨堂ですので、当然ご遺体が安置されているわけなんですけど、側壁のチャペルの中とかなら違和感がありませんが、床下に埋葬するのはちょっと違和感がありますね。数百年も昔の司教さんとかならその上を歩いてもあまり気にならないかもしれませんが、あんまり新しいとその上を歩いてしまうのにはやはり少々抵抗があります。下の写真のようにお花がお供えされていればもちろんよけますが。。。
また、歴史が浅い分空きスペースもまだあるのが何というか新鮮な驚きみたいな… 歴史ある教会をたくさん見てきたので余計そう感じるんでしょうね。
San Nicolas de los Servitas
この教会はマドリード最古の教会だそうです。San Nicolasはサンタクロースのことです。モスクだったところに建てられた教会のようです。塔はイスラム建築の影響を色濃く受けたムデハール様式です。
Plaza de la Villa
Plaza de la Villaは「町の広場」という意味で、ハプスブルク王家がここに建てた町役場(Casa de la Villa、1644年、下の写真の右の建物)に由来します。またの名を「3つの牢屋の広場」というそうです。この広場にある建物(Casa de la Villa、Casa de Cisneros、Torre de los Lujanes)にはそれぞれ牢屋があるからだそうです。
Casa de la Villa
Casa de Cisneros(シスネロスの家)は15~16世紀の枢機卿フランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロスの甥が枢機卿のために建てたもので、下の写真のようにCasa de la Villaと渡り廊下で繋がっています。シスネロスの政治的影響力の大きさがうかがわれます。
Torre de los Lujanes(下)はマドリード最古の非宗教的なイスラム建築(15~16世紀)です。この塔にカルロス5世が1525年のパヴィアの戦いの後捕らえられていました。とはいえ、勝手に出て外を散歩することは許されていて、中もかなり豪華な作りだったようですが。そして彼は自分の居室の入り口をかがまなければ中に入れないように小さくさせて、わざわざフランス王フランソワ1世を呼びつけたとか。結果、フランソワ1世はその入り口のために部屋に入る際にカルロス5世に向かって深くお辞儀するようにかがまなければならず、それでカルロス5世の気が済んだという話です。なかなかせこい真似をしたものですね(笑)
Mercado de San Miguel
サン・ミゲル市場は1835年から現在の位置にあります。20世紀の初めに鉄骨構造が完成し、さらに今世紀になってガラスの壁がはめられ、暑さ寒さに対応できるようになりました。長期にわたる改装工事が終わり、再オープンしたのは2009年5月なので、市場としての歴史はあるものの、外装・内装共にとてもきれいな印象を受けます。
中は常に観光客で賑わっており、私たちのような人ごみの苦手な人間には混んでいる中並んで何かを買うというのはなかなか難しい課題です(;^_^A
今回はツアーの一環として中を見学したものの、その時もその後のマドリード滞在中も何も買うことができませんでした。次回はそれに挑戦したいですね。
Plaza Mayor
Plaza Mayorを「マヨール広場」と訳している旅行ガイドサイトを見かけますが「Mayor」は固有名詞ではないので、「大広場」または「中央広場」と訳すのが適切かと思います。
サン・ミゲル市場から下り坂のCava San Miguelを下りて行くと、様々な伝統的なレストランが並んで壁に埋め込まれています。洞窟のように掘ってあるので「Cava」と名付けられているわけですが、実際に中に入ってみると、天井が丸くなっています。上階が建て付けられているので、地形を認識することは難しいですが、崖のような斜面になっていると思います。こうした洞窟レストランがならぶ崖の上がPlaza Mayorです。
Meson del Champinon(マッシュルーム専門店)の店内
La Bodega Bohemiaの店内
下の写真の階段を上っていくと、Plaza Mayorに出ます。
下の写真が階段を上ってすぐのところから撮影した写真です。一部のファサードが改修中で、その面の絵が描かれた布が張ってありました。一応それでオリジナルの雰囲気は掴めますけど、やっぱりちょっと興醒めですね。
Plaza Mayor は120 X 90 mの長方形で、四方を同じ様式の建物に囲まれています。豪華に見えますが、元々は肉屋やパン屋として使われていました。この広場は商業の中心地であるばかりでなく、王様が重要事項を交付したり、処刑が行われたり、闘牛や演劇または騎士の剣術大会などのイベントも行われました。一時期公園のように木が植えられたこともあるようで、現在またそのようにしてはどうかという案が議論されているそうです。
フェリペ3世の騎馬像は、最初からここにあったわけではなく、もとはCasa de Campoにあったそうで、1847年になって現在の位置に移設されました。移設のために騎馬像は分解されたのですが、その際に中からたくさんの鳥の骨が出て来たそうです。馬の口が開いていたため、小鳥が中に入り込み、出られなくなってしまったらしいですね。このため、現在の場所に移設する前に馬の口が閉じられたのだとか。
この騎馬像が、息子のフェリペ4世が張り合って自分の騎馬像を作らせたもとで、馬の前脚が1本だけ上げられています。馬のお腹が異常に大きく騎手のフェリペ3世が小さく見えるので、必ずしも優れたデザインとは言えないのですが。Plaza de Orienteにある両前脚を上げた躍動感溢れるフェリペ4世の騎馬像の方が数段芸術的だと思います。本人が意図した通りに父親を超えています( ´∀` )
ガイド付きのツアーはここで終了でしたので、私の観光名所案内もここで一度中断し、(3)で続きを書こうと思います。
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