徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

松本でお正月(2019)

2019年01月03日 | 旅行

12月28日に3年半ぶりに帰国し、弟夫婦のところにお邪魔しています。

 

帰国は3年半ぶりですが、実は30年ぶりの日本のお正月です。年越しそばは義妹と2人でいただきました。そして元旦には弟夫婦とともに母の住む松本へ行き、まずは彼女のお宅で新年のご挨拶をしてお茶をいただきました。



お茶をいただいた後は母の再婚相手とともに5人で浅間温泉の旅館「別邸一花」に向かいました。ゆったりとしたロビーで金箔入りのお屠蘇をいただきました。お屠蘇はかなり甘かったです。

私たち3人が泊まる部屋で一息。お部屋は4階の「二輪草」。

 

廊下にはきちんと生け花が生けられており、品の良さが漂っています。

 

家族風呂を17時に予約していたので、母と義妹と私の3人はその前に大浴場で体などを洗ってあったまり、時間になったら家族風呂に移動し、そこで主に露天風呂の方を堪能しました。外の景色は残念ながら見えませんでしたが。

内風呂は檜風呂でしたが、檜はそろそろ交換した方がいいような感じがしました。17:45には出て、鍵をフロントに返すことになっていましたが、45分はあっという間でしたね。結局女三人だけで時間を使い切っちゃいました。

19時から夕食。

睦月のお品書きが用意されていましたが、元旦なので先付けがおせち料理バージョンになっていました。また事前にアレルギーなどの情報を伝えておいたので、母や私はそれぞれ少々違ったものを出してもらいました。

 

 食後に母たちが帰った後、また大浴場に行ってアルカリ性単純泉を堪能しました。お肌にいいという言う通りすべすべになりましたよ。

一晩雪が降り、翌朝はそこそこ積もって、なかなか風流な景色が見えました。まだ真っ白の雪景色になっていないところが渋みがあっていいと思いました。

空調の音がうるさくて結局よく眠れなかったのですが、誰も空調を切ろうと思いつかなかったのはちょっとおまぬけでしたね。

8時から豪華な朝食。すまし汁のお雑煮がありました。お雑煮は30年以上ぶりに食べました。おだしが効いてて非常に美味でした。リンゴの天ぷら(中央後ろ)は初めて食べました。それもなかなか美味しかったです。

食後のコーヒー(無料)をロビーで頂きました。カップは手作りの焼き物のような既製品。なかなか素敵です。

チェックアウトの後この玄関前で記念撮影。

この旅館は老舗というわけではないようですが、上品な内装に相応しい従業員のふるまいが素晴らしかったです。義妹の話によると電話でも始終丁寧に対応してくれたようで、今回の旅行のために問い合わせたほかの旅館と比べても断トツに親切だったそうです。少々値は張りますが、お勧めの旅館です。

旅館を出て、マサムラという洋菓子店(長野県松本市深志2-5-24)で癖になると評判の天守石垣サブレのお土産を購入しました。別にここでなくても手に入るお土産らしいですが、近くまで来たのなら買いますよね(笑)

 

ここでおやつ用に抹茶味の焼きモンブランを買い、東京方面への帰途で美味しくいただきました。

 

 

この後母の家に寄ってから塩尻方面に向かう途中に養鶏場があり、そこにたまごの自動販売機が設置されてたので、義妹がたまごを購入しました。たまごの自販機なんて初めてお目にかかりました。


松本を出た後、諏訪に寄りました。

諏訪大社に初詣に行きました。元旦ほどではないのでしょうが結構な人出でした。

 

 

実は諏訪大社に寄ったのは翡翠と黒曜石の御守り「薙鎌守」を買い直すためでした。

このお守りは3年半前に帰国した時に義妹とドイツにいる友人とおそろいで買ったのですが、ブダペスト旅行の際に盗まれた財布とともに失くしてしまったので、今回の帰国の目的の一つがこれを買い直すことでした。目的が果たせてよかったです。しかし、買う時になって弟が「俺の分は?」と聞いてきたのにはびっくりしましたが。彼はこういうものに興味がないと思っていたので「おそろい」にしようとは全く考えもしなかったのですが、本人がはっきり欲しいと申告したので、そういうことならと彼の分と私の分の2個買うことに。基本的に弟にとっても甘い私ですwww

で、ついでと言っては何ですが、「除災」の文字に惹かれて絵馬付きの破魔矢も買いました。よせばいいのに長い方(91㎝)を。

 

 

結局長すぎてスーツケースにも入らないし、手荷物として機内持ち込みすることもできないし、預けることもできない(ミュンヘンで乗り換えるドイツの国内線のスペースの問題で)と判明し、ばかなことをしたと後悔しています。義妹が後で機会があったらドイツへ送ってくれるというのでお言葉に甘えることにしました。

おかげさまで30年ぶりの日本のお正月を満喫いたしました。


スペイン

スペイン・アンダルシア旅行記(1)

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ドイツ

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フランス

フランス横断旅行記(1)— ロワール地方&ポワトゥー・シャラント地方

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松本でお正月(2019)

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スペイン旅行記~マドリード(5)UNESCO世界文化遺産トレド

2018年10月27日 | 旅行

トレドには2018年10月1日にマドリードから日帰りで行きました。

マドリードからは、トレドへの日帰りバスツアーがたくさん出ていますが、私たちはAVEに乗りたいというのもあって単独でトレドに行きました。運賃は一人片道10.30€。アトーチャ駅から30分ちょっと。近くてもマドリード県ではなく、カステラ・ラ・マンチャ自治州の首都です。

切符はもちろん駅の窓口や自販機でも買えますが、私たちはRenfeのインターネットサイトから購入しました。後から分かったのですが、Renfeのスマホ用アプリもあり、多言語対応の質はインターネットのサイトよりもずっと上です。ところが同じトレド行きの電車の切符は12€以上で販売されていました。駅の自販機ではどうなのか分かりませんが、ネットで買うのが安上がりかもしれません。

AVE乗り場へは切符を提示し、荷物検査を受けてからでないと入れないようになっています。面倒ですがテロに巻き込まれる危険を考えれば、仕方ないとあきらめもつきます。

AVEのシートは非常にゆったりとしており、どんな肥満体でも余裕で座れそうな感じです( ´∀` )

 

さて、古都トレドは1986年に、UNESCO世界文化遺産に登録されましたが、その理由とは、現代化をまぬがれ、古代ローマから西ゴート王国、後ウマイヤ朝、スペイン黄金時代といった2千年紀にわたる文明の痕跡を残していること、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教による異文化の混合がムデハール建築に示されていることなどが評価されたとのこと。

旧市街はタホ川に三方囲まれた高台にあり、町全体が博物館と呼ばれています。西ゴート王国時代から教会会議の開催場所となり、トレド司教座の権威が高かったとのことですが、後ウマイヤ朝においての地位はどの程度だったのかは分かりません。1086年にアルフォンソ6世によってキリスト教徒の手に奪還され、リコンキスタの節目の一つとなり、その後のリコンキスタの動きにトレド司教の意向が影響していきます。

12~13世紀にトレド翻訳学派という学者集団が活躍した地としても知られています。イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の共同作業によって、古代ギリシア・ローマの哲学・神学・科学の文献がアラビア語からラテン語に翻訳され、この成果が中世西ヨーロッパの12世紀ルネサンスに大きな刺激を与えたと言われています。

先述のようにトレドは三方を川に囲まれており、両岸とも一部崖のような渓谷になっているため、川側から高台にある街を攻めることは困難を極めます。こうした地理的な特徴によって防衛しやすかったというのも繁栄のカギだったのではないでしょうか。マドリードが首都と定められてからはゆっくりと衰退の道を辿ったらしいですが、現在は観光客で大変賑わっており、住民にとっては悩ましい状況なのではないかと思います。

私はリウマチ性関節炎の症状がそれとは知らずに出ていて体調不良だったため、あまりたくさんは見ていないのですが、全体的な印象として、タホ川の対岸から見るトレドの街並みは素晴らしいですが、実際に街中に入ると狭い中を観光客と車が溢れていて非常に空気が悪く、また、急な坂が多いため、ほんの少しの距離を移動するにもかなり難儀する感じでした。

それで一番気に入ったのは世界遺産の中には含まれていないネオムデハール様式で19世紀に建てられたトレド駅舎だったりします。

       

この駅前広場には観光バスが待ち構えています。1つは他のところでもよく見かける赤い観光バスで、乗り降りし放題24€とかです。もう1つは地元企業らしく、トレドのパノラマ展望ができるよう対岸を走るバスツアー+地図+徒歩のガイド付きツアー(ビサグラ門集合)の3点セットで12€。私たちは後者を選択して、まずはパノラマ展望を堪能しました。

         

タホ川にかかる古い橋は2つあり、駅や王城に近い東側の橋はPuente de Alcántara(アルカンタラ橋)、反対(西)側のはPuente de San Martin(サンマルチン橋)。アルカンタラ橋は紀元後2世紀、ローマ帝国のトラヤヌス皇帝時代に建設された約200mの長さの石橋です。もちろん戦争があるたびに破壊されたりしているので、ローマ時代の姿そのままというわけではありませんが、アーチ形の基本構造は保持されています。この橋は長いこと唯一の街への入り口でした。14世紀後半になって、西側のサンマルチン橋がトレド大司教Pedro Tenorioによって建てられ、アルカンタラ橋に並ぶ西側の入り口となりました。こちらのアーチ橋はアーチの長さが40mに及ぶ、中世の橋としては大きなものです。

さて、パノラマバスツアー終了後、サンパブロ修道院跡のわきの駐車場で降ろされた私たちは長いエスカレーターを登って旧市街地に入りました。

   

長いエスカレーターは駐車場の中ですが、途中で外の道路に出られるところがあり、そこから見える景色をパチリ。

エスカレーターを登り切ったところから階段を数段登ると大きなテラスがあり、そこにカフェ(Terraza del Miradero)があったので早速休憩。オレンジのフレッシュジュースを頂きました。

ジュース二つに10€は割高だとは思いますが、まあ、眺めの良い「場所代」込だと思えば。

休憩後は取りあえず散策。まずは王城(現在軍事博物館とカスティーリャ・ラ・マンチャ州立図書館が入っている)方へ。Plaza de Zocodoverという広場に出ます。

 

そして王城Alcázarのところを左折して、少し低い位置にあるMirador del Alcázarへ。対岸に士官学校が見えます。

 

 

そしてまた昇り。

  

この王城(Alcázar)は何度も破壊と再建が繰り返され、スペイン内戦の際には共和国派によって要塞として利用されていました。このため、建築物として見る価値があるのかどうか少々疑問です。軍事博物館や図書館に用のない私たちは外側を見ただけでスルーしました。

そして狭い路地を下ってトレド大聖堂の方へ向かいました。

  

狭い路地を抜けると急にちょっと開けた広場。劇場前広場でした。

この劇場のすぐ近くのレストラン「El Rey Toledo」というところでランチ。例によって前菜・メイン・デザートの3点メニュー(Menu del dia)です。お味の方は中の上と言ったところでしょうか。

     

屋外席はちょっとしたパティオのように何本かの木の下で、上でも下でも雀がおこぼれに預かろうと待ち構えていました。

 

ランチを終えて、トレド大聖堂に向かいました。地図で見るとトレド旧市街の中心に位置しています。元は街最大のモスクが建っていたところにリコンキスタで奪還後教会を建てた、という典型的なパターンです。

90mの高さの塔が聳え、身廊・側廊合わせて5つを備えたスペインカトリックの総本山にして、セビリア大聖堂に次ぐスペインで2番目に大きい教会は1226~1493年の間にスペイン風ゴシック様式で建てられました。20人以上の芸術家によって掘られた木製祭壇(1500~04)と聖歌隊席、エルグレコやゴヤを始めとするスペイン画家の絵画コレクションなどが見ものです。

私たちは徒歩ツアーの時間が差し迫っていたのと、入場料7€をなんとなく払いたくなかったという理由で外から見ただけですルーしてしまいました。エルグレコの絵画に興味のある人なら多分外せない観光スポットなのでしょうけど、私たちはこれまで行く先々でたくさん大聖堂を見てきてますので、よっぽど変わったものでない限り高い入場料を払ってまで教会を見ようとは思わなくなっています。

  

 

徒歩のガイド付きツアーは17時にPuerta de Bisagra(ビサグラ門)に集合でした。

 

  

門の中にパティオがあります。

  

ここからガイドなしには入れない領域に入り、狭い階段を登って、人がやっと一人通れる程度の通路を通り、階段ではなくはしごで、途中ロープはしごになっているのをこわごわ上ると展望台に出ます。

   

このトレド北部を守るための城壁は、一部西ゴート王国、一部モーロ人支配時代のものです。そこにあるビサグラ門は10世紀初頭まで遡る馬蹄型アーチの門の上にカルロス5世が1550年に建てさせたものです。これだけ状態のよい立派な門も珍しいと思います。

ガイド付きツアーというのはこの門だけでした。随分とまた小さな「ツアー」ですよね。「なーんだ」とがっかりしましたが、本格的な徒歩ツアーできるような体調ではなかったのでそれでもよかったかも。

この後、サンチアゴ・デル・アラベル教会とやらのわきを通って坂を上がり、Puerta del Solという門へ。

Iglesia Santiago del Arrabal

 

Puerta del Sol(太陽門)は12~14世紀に建設されたムデハール様式の門です。

太陽門よりもさらに上に位置するPuerta de Valmardón(バルマルドン門)は10世紀に建設された門で、トレド最古の門の一つ。

  

この門をくぐった後ろにあるのが元モスクの教会Cristo de la Luz。やはり10世紀(999年)のイスラム建築です。

私たちはここで「見学」を終え、レストランを求めてPlaza de Zocodoverという広場に戻ったのですが、マクドナルドなどのファーストフード店しかないことに絶望し、さらに街中の飲食店を探す気にはなれなかったので、21:30発のマドリード行きの最終電車に問題なく乗れるように結局バスツアーの終点だった駐車場へ戻り、そこから駅の方に向かって少し歩き、大きなロータリーの近くにあった簡単な食堂「Canelita in Rama」で食べました。観光客が行くようなお店のようには思えませんが、お味の方はなかなかよく、値段も手ごろで、店員が非常に親切でした。

   

こうして私たちはトレドの日帰り旅行を終え、翌日の午後にドイツへ帰りました。

リウマチ性関節炎で指や手首そして膝が痛んで辛い旅行となってしまいました。トレドもあまり見て回れなかったのが残念です。でもだからと言ってもう一度行きたいかというと、そうでもないです。やはり観光客が多過ぎることと、狭いのに車の交通量が多くて空気が非常に悪いことが大きなマイナスポイントです。

次のスペイン旅行ではセゴビアとコルドバに行こうと思ってます。


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

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スペイン旅行記~マドリード(4)UNESCO世界遺産アルカラ・デ・エナーレス



スペイン旅行記~マドリード(4)UNESCO世界遺産アルカラ・デ・エナーレス

2018年10月18日 | 旅行

Alcalá de Henares(アルカラ・デ・エナーレス)へ出かけたのは2018年9月29日。マドリードから近いし、UNESCO世界遺産に登録されているし、ということでなんとなく足を延ばした次第です。下の写真を見てお分かりのように、天気は快晴。気温は28~29度でした。

Alcalá de Henares(アルカラ・デ・エナーレス)はマドリード州東部にある小都市で、Recoletos駅から鈍行で約45分のところにあります。「アルカラ」はアラビア語の「城」という語に由来し、一般名称のようなものなので、区別するために「デ・エナーレス」が追加されています。エナーレスは川の名前です。ローマ帝国時代もエルアンダルス時代も特にこれと言って意味のある街ではなかったのですが、12世紀にトレド司教のイニシアティブの下でイスラム教徒から奪還され、1498年にシスネロス枢機卿がここに大学を創立したことで、一躍大学都市として注目を浴びることになりました。スペインで2番目に古い大学で、ヨーロッパ全体でもかなり古いうちに入ります。その由緒正しい校舎Colegio Mayor de San Ildefonsoは素敵なルネサンス様式の建物です。ファサードは1537年、Rodrigo Gil de Hontanónによるもの。上の写真もこの校舎を写したものです。

 

アルカラ・デ・エナーレス大学は中世から現在に至るまで継続してきたわけではなく、1836年にマドリードに移設されました。これによって町は以前の意味を失い、また首都マドリードから近すぎるためにかえって地方都市としても力を付けられなかったようで、スペイン内戦による荒廃も手伝ってそのまま朽ちていくかのように考えられましたが、1973年再び大学を招致することが叶い、経済的文化的に復興したそうです。現在のアルカラ・デ・エナーレス大学は厳密には中世の大学とは別物なのですが、同校は「正統な後継者」みたいに考えているようです。

アルカラ・デ・エナーレス駅から寄り道をしなければ徒歩10分くらいです。でも、寄り道しないなんてもったいないことです。

駅から旧市街に向かう途中にはイスラム建築のお城Palacio de Laredoがあります。小さいですが素敵なお庭があって、覗いてみる価値は十分にあります。建物自体はそれほど古いものではなく、1882年に昔のムデハール様式に倣ってネオムデハール様式で建てられたものです。

  

そこからさらに旧市街の方へ向かって歩くと、Via Complutenseという大通りに出ます。その通りを渡らずに右折し、ちょっと通りに沿って歩くと涼しげな公園があり、その修道院か何かの中庭のような公園の奥に区役所が隠れています。ま、区役所はどうでもいいのですが、カンカン照りの日差しの中で、このうっそうと気が生い茂り、噴水のある公園はまるでオアシスのごとくつかの間の憩いの場を提供してくれます。

先述の大通りを渡るとアルカラ・デ・エナーレス旧市街に至ります。

大学からすぐ近くに「ドン・キホーテ」の作者に因んだセルバンテス広場があります。

  

12世紀にキリスト教の手に落ちて以来キリスト教会に支配されてきたため、現在でも修道院や教会がたくさんあり、この街の特徴となっています。

セルバンテス広場の北端に面し、南西に走るCalle Mayorはこの街のメインストリートで、実はヨーロッパで一番長いアーケード付きの道なんだそうです。柱の種類や太さや高さなどがまちまちで、歴史を感じるということもできますが、統一感のなさはやはりなんか変です。

  

この通りにある「Cocina La Bienvenida」というタパスバーでお昼にしました。ランチメニュー(Menu del dia、前菜、メイン、デザート、飲み物のセット)は外の席だと2€の追加料金が取られて17€でしたが、美味しゅうございました。

    

さて、このメインストリートを西南に向かうと、セルバンテスの生家らしい博物館「Museo Casa Natal de Cervantes」があり、前庭にはドン・キホーテとサンチョパンサがベンチに腰かけていたりします。

 

「ドン・キホーテ」はまともに読んだことないのですが、読んでみたら面白いかも知れませんね。

Plaza de los Santos Niños

 

Palacio Arzobispal

Convento de San Bernardo

残念ながら、大学以外の建物の由来等の説明はあってもスペイン語だけだったりするので、この街ではあれこれ蘊蓄を聞くことも読むこともなく、なんとなく散歩して回って終わりました。

 

ここからマドリード方面へ2駅のところにTorrejón de Ardoz(トレホン・デ・アルドス)という街があり、そこの市立歴史博物館がマルチメディアをふんだんに使った展示方法でいいらしいという情報を得たので、ちょっと覗いてみることにしました。入館料はありません。

Torrejón(塔)という名の通り、この街はアルカラ・デ・エナーレスの防衛の要所として12世紀に要塞と数多くの見張り塔が作られました。17世紀まではアルカラ・デ・エナーレスに属していましたが、その後はトレド司教の所領として農業を主とする共同体でした。1960年ごろから米軍空港周辺に工場や研究機関などが設立され出し、そこそこ発展してきたようです。

 

博物館入口

ローマ人のヴィラを説明するインタラクティブなスクリーン

  

アルカラ・デ・エナーレス~トレホンの防衛システムを説明するビデオもありました。映像主体でしたので、説明がスペイン語でもおおよその内容を掴むのには問題有りませんでした。

 

ただ、上の階に行くと近世の出来事が割と詳細に説明されていて、スペイン内戦の際にトレホンでどの勢力がどう衝突したかなどを語るビデオはさすがにスペイン語だけではいかんとも理解しがたかったのですが。説明されている事情が複雑すぎるのと、私のスペイン近代史に関する予備知識が少なすぎるのが敗因ですね。

スペインだから仕方ないんですけど、スペイン語オンリーでした。何度もスペインに旅行に行っているからといってスペイン語ができるわけではないので残念ですね。食べ物の名称やいくつかの重要単語は覚えましたけど、本格的にスペイン語を勉強する気力まではないので。。。。

 

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スペイン旅行記~マドリード(5)UNESCO世界文化遺産トレド」へ続く。


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

スペイン・アンダルシア旅行記(2):セビリア

スペイン・アンダルシア旅行記(3):モンテフリオ(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記(4):グラナダ

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スペイン・アンダルシア旅行記 II(1):マラガ

スペイン・アンダルシア旅行記 II(2):グラナダ~アルハンブラ宮殿

スペイン・アンダルシア旅行記 II(3):シエラネヴァダ山脈

>スペイン・アンダルシア旅行記 II(4):アルメリア

スペイン・アンダルシア旅行記 II(5):カボ・デ・ガータ(アルメリア県)

スペイン・アンダルシア旅行記 II(6):アルムニエーカル

スペイン旅行記~マドリード(1)

スペイン旅行記~マドリード(2)観光名所その1

スペイン旅行記~マドリード(3)観光名所その2

 


スペイン旅行記~マドリード(3)観光名所その2

2018年10月12日 | 旅行

スペイン旅行記~マドリード(2)観光名所その1」では主にガイドさんに案内された旧市街の蘊蓄を書きましたが、ここではガイドさんなしに自力で回ったところを書き留めておきたいと思います。

Estación de Atocha

ドミニカ修道院に因んで命名されたアトーチャ駅は、1891年に完成しました。迫力あるレンガ造りの建物はロンドンのセイント・パンクラス駅を見本にして設計されたそうです。現在この建物は電車のホームとしては使われておらず、「Emperor Carlos V 出口」としてなんと熱帯植物の温室になっており、カフェの他にベンチもたくさん配置してあり、なかなか素敵な憩いの場になっています。池もあって、カメがたくさんいたりします。

 

  

AVE 発着駅としてポストモダンな駅舎が1992年に開設されました。外から撮影する機会はなかったので、下の写真はウイキペディアからの借用です。

中は大きい駅としては普通な感じです。

 

AVE の乗り場にはいるには荷物コントロールを通る必要があり、コントロールの場所は上と下の階にあるので、AVE の出発ホーム番号が上と下のどちらなのか確認する必要があります。コントロール場所に入る前に切符を見せる必要があるので、遅くともその時に間違っていれば「ここじゃない」と教えてもらえます( ̄∇ ̄;)

下の写真はトレド行きの AVE 乗り場。辿り着くのに結構時間がかかりました。

 

Parque del Retiro

レティーロ公園は交通量の多いCalle de Alfonso XII、Calle de Alcalá、Calle de Medéndez Pelayoの3本の道路に囲まれた都会のオアシスで、正門はPlaza de Indenpendenciaの方にありますが、オープンな庭園なので、出入り口はたくさんあります。私たちはアトーチャ駅の方から入りました。

スペインのルーブル美術館とも言うべきプラド美術館からも近いですが、一日に両方回るのはかなりの健脚でないと無理なのではないかと思います。レティーロ公園は120ヘクタールの広さですので。

この公園には宮殿や記念碑がいくつもあります。フェリペ2世の時代にはれっきとした街の「外」の王宮Real Sitio del Buen Retiroとして使用され、エンリコ4世によって設立された修道院サン・ヘロニモと一体となっていました。フェリペ4世の時代に修道院の庭園が改修され、王に献上され、以降は王宮の催事に利用されたため、国外でも有名になりました。18世紀に市民にも一部が開放されました。レティーロ公園全体がマドリード市に譲渡されたのは1869年になってからです。

公園内には展示場として使われるネオルネサンス様式の宮殿が二つあります。どちらもRicardo Valázquez Boscoによって建てられたものです。Palacio de ValázquezとParacio de Cristalですが、後者のクリスタル宮殿の方が有名です。クリスタル宮殿は元々はエキゾチックなアジアの植物を展示するために建てられたものですが、現在は芸術品の展示に使用されています。宮殿前には池と噴水があり、なかなか素敵なロケーションですが、観光客でいっぱいなのと、その観光客を狙ってお店を広げる人たちが邪魔と言えば邪魔です。ちなみに池にはカメがたくさんいます。

   

頭隠して尻隠さずのアヒル。

 

Paracio de Cristal

 

Palacio de Valázquez

クリスタル宮殿からPalacio de Valázquezの傍を通ってゆっくりと7~8分歩くと、ボート遊びもできる大きな池(Estanque Grande del Retiro)に着きます。池を見ながら食事できるレストランもあります。場所柄割高で、お味の方は「まあ食べられる」というくらいのレベルですので、別の場所で食事をしてから公園に行くか、お弁当を持って行くのがいいかと思います。

  

アルフォンソ12世の記念碑。

  

 

Paseo del Prado & Museo del Prado

プラド美術館はハプスブルク王家とブルボン王家が収集した絵画コレクションを主体としてしていますが、19世紀初期までのスペイン絵画が集められています。

私たちは絵心があるわけでもないので、中に入る気はなかったのですが、1819年に完成した古典主義の建物だけでも見ておこうと緑多いPaseo del Pradoを渡って、美術館の方へ足を運んだのですが、肝心の建物は改装中で大部分包まれちゃってました(´;ω;`)

   

San Jerónimo el Real

仕方がないのでプラド美術館のわきを通って丘を登っていったところにあるサンヘロニモ教会をのぞいてみました。イザベリアン・ゴシック様式というのだそうで、イザベラ1世の時代に修道院として建築され、その教会でアウストゥリアのプリンスにして未来の王フェリペ2世の叙任式が1528年に執り行われました。そのフェリペ2世が1561年に居城をマドリードに移した際にPalacio del Buen Retiroを拡張して、この教会の内陣の向かい側に彼の寝室を作り、寝室で教会のミサを聴けるようにしたそうです。

現在レティーロ公園になっている敷地に合ったこの王宮もサンヘロニモ教会もナポレオン占領時代に相当破壊されてしまい、19世紀中葉のイザベラ2世の時代に再建されたとのこと。

大袈裟な建築様式ではなく、すっきりと優雅な感じがして私はこういうのの方が素敵だなと感じました。

  

Museo municipal de historia de Madrid

このマドリード歴史博物館は、本当は私たちが目指したところではなかったのですが、マドリードの旅行ガイドを3冊も買ったのがおよそ10年近く前で情報が古くなっており、本来の目的であったMuseo de la ciudadというCruz del Rayo駅近くのマルチメディア展示の歴史博物館がなくなっていたんです(T_T)
その跡地には市役所関係の施設がまだあり、そこの人がこの市立マドリード歴史博物館を勧めてくれたので行ってみた次第です。最寄り駅はTribunal。

この博物館のファサードはマドリードを代表する美しいバロック建築の一例です。地下に展示されている17世紀のマドリード市のモデルと、1830年のマドリードのモデルが見ものです。同じ室内にビデオを見られる一角があり、17世紀のマドリードのモデルを実際の通りの名前を交えて説明するビデオが流れています。なかなか興味深いものでした。

1階から3階に上がるごとに時代が新しくなっていく展示の仕方です。展示されているのは様々な工芸品、陶器、絵画、装飾品など。一応英語の説明もありますが、全体的に退屈な従来型の博物館という感じですね。入場料無料だから許せるような( ´∀` )

     

Taberna 9

Tribunalの界隈は何か独特のガラの悪いような若者たちがたむろするような雰囲気のするところのような印象を受けました。でも食事のためにわざわざ他へ移動するのも面倒でしたので、博物館を出た後に近辺でレストランの類を探し、「Taberna 9」という居酒屋を見つけました。Googleの口コミではなかなか評判の宜しい所のようです。コロッケ、イベリコ豚の生ハム、カツオの燻製、サラダなどを美味しく頂きました。

   

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スペイン・アンダルシア旅行記(1)

スペイン・アンダルシア旅行記(2):セビリア

スペイン・アンダルシア旅行記(3):モンテフリオ(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記(4):グラナダ

スペイン・アンダルシア旅行記(5):グアディックス(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記 II(1):マラガ

スペイン・アンダルシア旅行記 II(2):グラナダ~アルハンブラ宮殿

スペイン・アンダルシア旅行記 II(3):シエラネヴァダ山脈

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スペイン・アンダルシア旅行記 II(5):カボ・デ・ガータ(アルメリア県)

スペイン・アンダルシア旅行記 II(6):アルムニエーカル

スペイン旅行記~マドリード(1)

スペイン旅行記~マドリード(2)観光名所その1


スペイン旅行記~マドリード(2)観光名所その1

2018年10月10日 | 旅行

ーーー注意:ブログのエディタに使用できる書式や文字に制限があるため、スペイン語表記が部分的に正しくない場合がありますのでご了承ください。ーーー

マドリードで私たちが参加したツアーは2つです。9月27日にドイツ語ガイドとともに歩いて旧市街を回ったのが1つ。もう1つは9月30日に観光バスでちょっと広い範囲を回るツアーでした。

まずはマドリード全体の印象が分かるバスツアーの写真をご覧ください。私たちのスタート地点はプラド国立美術館からほど近いネプチューンの噴水があるPlaza Cánovas del Castilloでした。そこから南下してAtocha駅の方へ向かい、Plaza Emperador Carlos Vで左折し、さらに左折してレティーロ公園のわきを通るCalle Alfonso XIIを北上、Plaza de la Independenciaで向きを変えて、Plaza de la Cibelesに向かい、そこでまた北上して、高層ビルやオフィス街を通ってスタジアムまで行き、そこでUターンして少し南下したところまでのルートははっきり覚えているのですが、その後はちょっと方向感覚を失ってしまい、どこをどう通ったのかは分からなくなってしまいました。大使館がたくさんあり、お金持ちのビラが多い地区を通って、いつの間にかGran Viaあたりに出て、Templo de Debodという古い遺跡の前を通って、王様の住んでいない王宮Palacio Realに向かい、短いトンネルをくぐってPlaza Mayorの近くで停車した時に、私たちはバスを降りました。 

                 

バスは赤いSightseeing Busの方ではなく、黄色い方のバスで一人12€と安価な方を選びました。結果的にそれはいい選択ではなかったのですが、後の祭りです。赤い方に21€払って乗った方がよかったと悔いても始まりません。(T_T)

何が悪かったかと言えば、まず、若くてなかなかイケメンのお兄ちゃんがガイドとしてスペイン語と英語でべらべらしゃべっていたことです。普通は観光バスには多言語対応の音声ガイドがついていて、人間のガイドがライブで案内をすることなどまずないのですが、そのように喋りまくられては音声ガイドの方は聞けたものではありません。まあ、聴こえた限りでは大した内容でもなく、ほとんどの時間音楽がかかっていただけだったのですけど。その音声ガイドの内容の薄さもマイナス点ですね。

こういうところでケチってはいけないというのが教訓ですね。

歴史的な市街地の方の歩きツアー(ドイツ語)は9月27日に参加したのですが、こちらはドイツ語ネイティブ(おそらくスイス人)によるガイドでしたので、言葉の至らなさといった問題はなく、またガイドの質も上々でした。歴史的データを盛り込み過ぎず、面白い歴史の裏話などを交えて生き生きとマドリードを語ってくれました。

コースは、Puerta del Sol -- Calle del Arenal -- Teatro Real - Plaza de Oriente -- Palacio Real -- Catedral de la Almudena -- San Nicolas de los Servitas -- Plaza de la Villa -- Calle del Codo -- Iglesia de San Miguel -- Mercado de San Miguel -- Plaza Mayor。

Puerta del Sol

Puerta del Solはそのまま訳せば「太陽門」ですが、その広場の名のもとになった門は、すでに1570年に取り壊されました。場所を作るためにその周辺にあった多くの建物が取り壊されたそうです。こうして広くなったこの広場に建つReal Casa de Correos(王立郵便局)はカルロス3世が建てさせたもので、この広場で最古の建物です。その入り口前に「キロメートル・ゼロ」のプレートが置かれています。この地点からスペイン各地に伸びる国道の距離が等しいという地理的な中心点を示すものです。このプレートと自分の足を写真に収めようとする観光客で常に人だかりができているようです。私たちは自分で写真を撮るチャンスがありませんでしたので、下の写真はウイキペディアからの借用です。

広場の端の方にはマドリードのシンボルである「熊とイチゴの木」のブロンズ像があります。なぜマドリードのシンボルがこれなのかについては諸説ありますが、一番もっともらしい説は、教会と貴族の共存を象徴するという説です。中世ヨーロッパでは貴族も教会も同じように領主として領土から上がる収益を得ていましたが、マドリード市では貴族の所領と教会の所領が重複していたため、貴族が狩猟獲物(熊に象徴される)、教会が農作物(木に象徴される)を取得するという棲み分けのための取決めがあったということらしいです。

ともあれ、この「熊とイチゴの木」は待ち合わせ場所として人気があり、私たちが参加したツアーの集合場所もここでした。

 

この広場は地理的な中心点というばかりでなく、政治的にも重要な役割を果たしました。ナポレオンの弟ジョセフ・ボナパルト(ホセ1世として即位)による支配に対して反旗を翻し、6年間にわたる抵抗運動が1808年5月2日に始まったのがこの場所でした。抵抗勢力は翌日圧倒的な軍事力で殲滅されてしまいましたが、抵抗運動はやむことがなく、ついにフランス軍を追い出して、1814年、フェルディナンド7世の帰還を迎えたのでした。スペインは1700年以降フランスのブルボン王家の支配下にあり、このフェルディナンド7世もフランス王家の人なのですが、王家の人はよくても、コルシカ出身の平民皇帝ボナパルトの弟は受け入れがたかったということでしょうか。 

Calle del Arenal

Calle del Arenalはそのまま訳せば「砂堀通り」です。このため、通りの名を示すタイルには砂の山が描かれています。

この通りは元は小川があり、その川沿いに肉屋がたくさんあったのだそうですが、肉屋が処理済みの動物の残骸を川に捨てて流していたので、その下流に当たる王宮前では腐敗した動物の残骸がたまり、見かけも臭いもひどいことになっていたそうです。このためこの小川は埋められて道路になったらしく、その埋め立ての様子がタイルに描かれているらしいです。

 

肉屋に関して興味深い話を聞きました。8世紀以降イスラム教徒の支配下にあったスペインでは、「豚肉」に特別宗教的な意味があったそうなのです。イスラム教徒は豚肉を食べません。また、スペインに数多くいたユダヤ教徒も豚肉は食べません。このため、店先に豚の脚を吊り下げるということは、肉屋であることと同時にキリスト教徒であることも示していたわけです。

現在この通りは高級ブティックなどがあるショッピング街ですが、ひょっこり下の写真のような古色蒼然とした教会が姿を現したりします。San Gines教会は、11/12世紀に建てられたモサラベの教会が破壊された跡に、17世紀中葉に建てられました。

 

その教会の壁に建て付けられている本屋も「1650年に建てられた」旨が瓦屋根のすぐ下に記されています。老舗の本屋、すごいですね。

この業界を取り囲むPlaza de San Ginesという広場にはマドリード最古のチョコラテリア(ホットチョコレートとチューロという焼き菓子を出す喫茶店)があります。ホットチョコレートとチューロの組み合わせはアンダルシアではあまり見かけませんでしたが、マドリードあたりでは随分人気があるようです。カロリー爆弾ですが(笑)

Teatro Real

 

Calle del Arenalは、Teatro Real(王立歌劇場)に突き当たります。今年は「設立200周年」を祝っている歌劇場ですが、1818年には礎石が置かれただけで、工事は王家の財政難のために中断し、1830年になってようやく本格的な建設が始まり、1850年に完成したので、200周年はちょっとインチキっぽいですね。フェルディナンド7世の娘イザベラ2世によってオープンした歌劇場ですが、先述の埋めた川の上に建てられたため構造上の問題があり、1925年に改修工事のために一時閉鎖されました。1960~66年にコンサートホールとして改装され、以降ずっとコンサートホールだったのですが、大掛かりな改修工事の後、1997年から再びオペラハウスとして使用されています。

Plaza de Oriente

Plaza de Orienteは直訳すれば「東の広場」です。王宮と歌劇場の間に位置しています。先述のホセ1世が王宮と街の間の緩衝地帯として造営し始めたものですが、結局追い出されてしまったので、現在の形に完成させたのはイザベラ2世です。

この庭園に配置されている歴代王の彫像は、王宮の屋根を飾っていたのですが、イザベラ2世だったか、そののちの王妃だったか覚えていないのですが、「彫像が落ちて来るのが怖くて眠れないから、全部どけるまで王宮には入らない」と言ったので、屋根から降ろされたそうです。

 

この庭園のほぼ中央にあるフェリペ4世の騎馬像はじっくり見るに値します。なぜなら、この騎馬像は馬が前脚を宙に浮かせている画期的なデザインだからです。後部に詰め物をし、馬の尻尾を長くすることでバランスをとっています。Plaza Mayorにあるフェリペ4世の父・フェリペ3世の騎馬像よりも立派なものが欲しくて特別にデザインさせたそうです。父親を超えたい願望は身分や国にかかわらず普遍的なもののようですね。

 

Palacio Real

現在Palacio Realが建っている丘には、元々はイスラム教徒の要塞アルカサルがありましたが、そこを11世紀からキリスト教徒のスペイン王たちが若干手を入れて使うようになりました。1561年にハプスブルク王家のフェリペ2世がマドリードを首都にした際に、このアルカサルも大幅に改築・拡張されました。彼がマドリードを首都にした理由の一つは狩猟場がすぐ近くで、狩猟好きの彼にとって魅力的な土地だったからだそうです。しかし、ハプスブルク王家は長年の近親相姦のために精神薄弱などの障害を持つ者が多く、最後の王位継承者もその理由で廃嫡となったため、王位継承権を巡ってフランスのブルボン王家とオーストリアのハプスブルク家が争い、結果的にフランスが勝って、1700年にスペインの王位を継承しました。ハプスブルク家のアルカサルは1734年のクリスマスに火事でほぼ全焼しましたが、これはわざとだという噂もあります。ベルサイユ宮殿のきらびやかなロココ風建築に慣れた目には、ハプスブルク家の居城は古臭く、やぼったく見えたに違いないので、新しくベルサイユ宮殿に倣った、しかしそれよりも大きな宮殿を建てられるように古い居城を燃やしたのではないかという推測です。とにかくブルボン王家のフェリペ5世はイタリア人建築家のフィリッポ・ジュヴァーラに宮殿の新築を依頼しました。ジュヴァーラ死後は、弟子のジョヴァンニ・バッティスタ・サッケッティが引き継ぎ、設計に一部変更を加え、ファサードにはロレンツォ・ベルニーニ設計のルーブル美術館のファサードを借用しました。1764年に完成し、カルロス3世が新宮殿の最初の住人となりました。2800室以上あるという王宮は、現在は王の居城としては使用されていません。一部一般公開されており、武器コレクションが見ごたえがあるという話です。私たちは興味がないので外から見るだけにしましたが、中を見学したい場合は、前売りチケットを買った方が並ばずに済むのでお勧めです。

以下の写真はツアーが終わってから戻ってきてアルムデーナ大聖堂側から撮影したものです。

  

Catedral de la Almudena

アルムデーナ大聖堂が現在の姿になったのは1960年のことなので、教会としてはかなり新しい部類に入ります。この場所には16世紀には立派な教会が建っていましたが、1870年になぜか取り壊され、その13年後にネオゴシック様式の教会建設が始まりました。工事は遅々として進まず、先に完成した納骨堂が教区教会として1911年から使われていました。1940年になってようやく工事がまともに進むようになりましたが、この際に一部設計が変更されました。王宮に面している側のファサードは王宮の建築様式に合わせて作られたため、大聖堂全体としては様式も色合いも変に混じっていてちょっと奇妙な雰囲気を醸し出しています。非常に古い教会で、数百年もの間に何度も建て替え・建て増しされたものだとよく建築様式が混じっている場合がありますが、それはそれで、それぞれの建設時期の歴史が感じられて味わい深いものがあると思うのですけど、アルムデーナ大聖堂のように数十年の建設期間で混合様式というのはやはりいただけませんね。

ツアーの後に戻ってきて、中に入りました。入場料は1の寄付金のみです。天井やステンドグラスの色彩が新しいだけあってとても鮮やかですが、それを除けば比較的質素な内装です。

            

大聖堂を出て右側(南側)の道を50mほど降りると、納骨堂の入り口があります。ここも入場料は1€の寄付金のみです。この納骨堂はネオロマネスク様式で統一されています。ネオロマネスクは6-10世紀のロマネスク様式の焼き直しのようなものですが、ロマネスクの柔らかな曲線と暖かみを残しつつ現代的に洗練されているのが素敵です。>ゴシック様式に比べて、人間に対して優しい感じがします。

               

現代的な施設に相応しくWifiがあり、wifimuseum.com から案内が聞けるようになっていますが、中では音楽もかかってて、オーディオガイドを聞き取るのは至難の業です。

納骨堂ですので、当然ご遺体が安置されているわけなんですけど、側壁のチャペルの中とかなら違和感がありませんが、床下に埋葬するのはちょっと違和感がありますね。数百年も昔の司教さんとかならその上を歩いてもあまり気にならないかもしれませんが、あんまり新しいとその上を歩いてしまうのにはやはり少々抵抗があります。下の写真のようにお花がお供えされていればもちろんよけますが。。。

また、歴史が浅い分空きスペースもまだあるのが何というか新鮮な驚きみたいな… 歴史ある教会をたくさん見てきたので余計そう感じるんでしょうね。

 

San Nicolas de los Servitas

この教会はマドリード最古の教会だそうです。San Nicolasはサンタクロースのことです。モスクだったところに建てられた教会のようです。塔はイスラム建築の影響を色濃く受けたムデハール様式です。

 

Plaza de la Villa

Plaza de la Villaは「町の広場」という意味で、ハプスブルク王家がここに建てた町役場(Casa de la Villa、1644年、下の写真の右の建物)に由来します。またの名を「3つの牢屋の広場」というそうです。この広場にある建物(Casa de la Villa、Casa de Cisneros、Torre de los Lujanes)にはそれぞれ牢屋があるからだそうです。

 

Casa de la Villa

Casa de Cisneros(シスネロスの家)は15~16世紀の枢機卿フランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロスの甥が枢機卿のために建てたもので、下の写真のようにCasa de la Villaと渡り廊下で繋がっています。シスネロスの政治的影響力の大きさがうかがわれます。

 

Torre de los Lujanes(下)はマドリード最古の非宗教的なイスラム建築(15~16世紀)です。この塔にカルロス5世が1525年のパヴィアの戦いの後捕らえられていました。とはいえ、勝手に出て外を散歩することは許されていて、中もかなり豪華な作りだったようですが。そして彼は自分の居室の入り口をかがまなければ中に入れないように小さくさせて、わざわざフランス王フランソワ1世を呼びつけたとか。結果、フランソワ1世はその入り口のために部屋に入る際にカルロス5世に向かって深くお辞儀するようにかがまなければならず、それでカルロス5世の気が済んだという話です。なかなかせこい真似をしたものですね(笑)

 

Mercado de San Miguel

サン・ミゲル市場は1835年から現在の位置にあります。20世紀の初めに鉄骨構造が完成し、さらに今世紀になってガラスの壁がはめられ、暑さ寒さに対応できるようになりました。長期にわたる改装工事が終わり、再オープンしたのは2009年5月なので、市場としての歴史はあるものの、外装・内装共にとてもきれいな印象を受けます。

中は常に観光客で賑わっており、私たちのような人ごみの苦手な人間には混んでいる中並んで何かを買うというのはなかなか難しい課題です(;^_^A

今回はツアーの一環として中を見学したものの、その時もその後のマドリード滞在中も何も買うことができませんでした。次回はそれに挑戦したいですね。

  

 

Plaza Mayor

 

Plaza Mayorを「マヨール広場」と訳している旅行ガイドサイトを見かけますが「Mayor」は固有名詞ではないので、「大広場」または「中央広場」と訳すのが適切かと思います。

サン・ミゲル市場から下り坂のCava San Miguelを下りて行くと、様々な伝統的なレストランが並んで壁に埋め込まれています。洞窟のように掘ってあるので「Cava」と名付けられているわけですが、実際に中に入ってみると、天井が丸くなっています。上階が建て付けられているので、地形を認識することは難しいですが、崖のような斜面になっていると思います。こうした洞窟レストランがならぶ崖の上がPlaza Mayorです。

Meson del Champinon(マッシュルーム専門店)の店内

 

La Bodega Bohemiaの店内

  

下の写真の階段を上っていくと、Plaza Mayorに出ます。

 

下の写真が階段を上ってすぐのところから撮影した写真です。一部のファサードが改修中で、その面の絵が描かれた布が張ってありました。一応それでオリジナルの雰囲気は掴めますけど、やっぱりちょっと興醒めですね。 

Plaza Mayor 120 X 90 mの長方形で、四方を同じ様式の建物に囲まれています。豪華に見えますが、元々は肉屋やパン屋として使われていました。この広場は商業の中心地であるばかりでなく、王様が重要事項を交付したり、処刑が行われたり、闘牛や演劇または騎士の剣術大会などのイベントも行われました。一時期公園のように木が植えられたこともあるようで、現在またそのようにしてはどうかという案が議論されているそうです。

   

フェリペ3世の騎馬像は、最初からここにあったわけではなく、もとはCasa de Campoにあったそうで、1847年になって現在の位置に移設されました。移設のために騎馬像は分解されたのですが、その際に中からたくさんの鳥の骨が出て来たそうです。馬の口が開いていたため、小鳥が中に入り込み、出られなくなってしまったらしいですね。このため、現在の場所に移設する前に馬の口が閉じられたのだとか。

この騎馬像が、息子のフェリペ4世が張り合って自分の騎馬像を作らせたもとで、馬の前脚が1本だけ上げられています。馬のお腹が異常に大きく騎手のフェリペ3世が小さく見えるので、必ずしも優れたデザインとは言えないのですが。Plaza de Orienteにある両前脚を上げた躍動感溢れるフェリペ4世の騎馬像の方が数段芸術的だと思います。本人が意図した通りに父親を超えています( ´∀` )

ガイド付きのツアーはここで終了でしたので、私の観光名所案内もここで一度中断し、(3)で続きを書こうと思います。

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スペイン・アンダルシア旅行記(1)

スペイン・アンダルシア旅行記(2):セビリア

スペイン・アンダルシア旅行記(3):モンテフリオ(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記(4):グラナダ

スペイン・アンダルシア旅行記(5):グアディックス(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記 II(1):マラガ

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スペイン旅行記~マドリード(1)


スペイン旅行記~マドリード(1)航空会社・ホテル・レストランなど

2018年10月06日 | 旅行

2018年9月26日から10月2日まで6泊7日でマドリードに滞在しました。初日を除いて晴天が続き、日中の最高気温は25~30℃、最低気温は17~20℃でした。旅行に適した気候でしたね。2日目にマドリード旧市街を案内してくれたガイドさんによると、地元では「マドリードには冬が3か月あり、残りは地獄」と言うんだとか。特に8月は熱地獄のようで、日中は40度以上、雨なし、風なし、なのだとか。このため、「マドリードに行くなら秋」と考えたのは私たちばかりではなかったようで、観光客がかなり来ていて、定番の観光名所などはかなり混雑してました。

マドリードは言うまでもなくスペインの首都で、人口350万人、ヨーロッパで3番目に大きい都市です。にもかかわらずこれといったランドマークがないのも特徴です。1516年にハプスブルク家のカール(カルロス)1世(同時に神聖ローマ帝国皇帝カール5世)がマドリードを首都に定めるまでは、防衛の要所ではあったものの小さな地方都市でしたので、旧市街の街並みは16~17世紀のハプスブルク王家による建造物と18世紀のブルボン王家によるバロック建築が支配的です。

観光名所などは後に記すとして、まずは飛行機やホテルについて。

飛行機

飛行機はAir Europaで、デュセルドルフ10:35発~マドリード13:05着、帰りはマドリード15:10発~デュセルドルフ17:45着のチケットを格安(一人当たり約123€)で購入しました。

が!しかし!!! 行きは1時間半遅れて、帰りはいったん搭乗した後に整備のやり直しのために降ろされて、さらにマシン交換となり、3時間以上の遅れとなりました。どこのエアラインでも運が悪ければそういう問題が起こるものなのでしょうが、行き帰りの両方だったので、Air Europaの評価は最悪です。格安だけあって、機内食はすべて有料ですし。とにかく帰りが最悪でした。デュセルドルフに着いたのが20:10くらいで、それなら20:50のボン行きの最後の直通電車に乗れるかと期待したのですが、荷物受取の場所まで相当距離歩かされた挙句、なかなか荷物出しが始まらず、自分たちのスーツケースを受け取った時点ですでに電車が出てしまいました。(´;ω;`)

デュセルドルフ空港からボンまでの接続は1時間1本の直通電車を除けば、すべてケルン乗り換えになってしまいます。乗り換え接続も夜遅くなるとかなり悪くなるので、飛行機の3時間の遅れはかなり痛かったです。結局帰宅したのは翌日の1時くらいになってしまい、疲れ果ててしまいました。Air Europaには二度と乗らないと誓いを立てたくらい腹を立てました。デュセルドルフ空港の利用も今後は控えようかと考えています。ケルン・ボン空港であれば、最悪タクシーで帰宅しても50€くらいで済みますが、デュセルドルフからだとタクシー代は最低でも150€、下手すると200€になってしまうので、かなり手痛い出費になってしまいます。

空港と電車の接続という意味では少し遠くなりますが、フランクフルト空港の方が逆に便利かもしれません。

とにかく、Air Europaはサイテー!!!

というわけで、今回の旅行の思い出は大分割り引かれてしまってます。

ホテル

宿泊したホテルはマドリードの中心地ではなく、北東部の郊外・コンセプシオン地区にあるNovotel Madrid Puente de la Pazという4つ星ホテルです。セビリヤの時もNovotelに泊り、いい感じだったので今回もそんな感じを期待していたのですが、残念ながら期待は裏切られました。設備の老朽化が進行しており、洗面所の水はけが悪かったり、絨毯の痛みが目についたり、ベッドの軋みが激しかったりして、部屋が快適とは言い難かったのです。

 

従業員のサービスはよく、朝食ビュッフェもなかなか豪華でしたが、保温装置が不十分で、ちょっと遅めに行くと調理されたものが若干冷めてしまっているという難点はありましたが。以下は朝食の写真。

     

 

ホテルでは初日だけ昼食ビュッフェを利用しました。お味はちょっと残念な感じでしたね。デザートは豊富にあって美味しかったのですが。

  

一応屋外プールもついてます。小じんまりしてますが、深さが両端で違います。カフェのテラスからプールへ降りてすぐの側(下の写真の手前側)が深くて、1.3メートルくらいでしょうか。反対側は階段もあり、60~70センチくらいだと思います。私がプールに入ったのは一度だけですが、外気温が30℃近くあっても水温は23℃くらいだったので、温水プールに慣れた軟弱者の私には若干冷たすぎる感じでした。なので結局一度入った後はプールサイドでゴロゴロしていただけでした(笑)

 

なんでこんな郊外のホテルを取ったかと言えば、2か月近く前にBooking.comでベストディールとして出ていた街中のホテルを、ダンナの言に従って「様子見」してしまったため、数日後にはすべて売り切れになってしまい、慌てて別のホテルを様々な旅行サイトで探したら、もう値段の高い所しか残ってなかったのです。6泊で1000€超えるところはさすがに予算オーバーなので、しかたなく郊外のホテルに目を向け、Arcor ホテルの会員になっている私はIbisやNovotelやMercureに10%割引で泊まれるので、このNovotelにした次第です。Arcorのサイトでも街中のホテルは売り切れでした。マドリードの行楽シーズンは侮れませんね。2か月前ならまだ時間があるように思いましたが、本当にいいホテルを手ごろな値段で取りたかったら、「様子見」をする余裕はないということを今回のことで学びました。

レストラン

時系列は無視して、まずは旧市街の中心地、Plaza Mayor や Mercado de San Miguel のすぐ近くにある伝統的なレストランからご紹介いたします。

Meson del Champnonは、Cava San Miguelに立ち並ぶ洞窟レストランの1つで、名前の通りマッシュルームを専門としています。1皿7€だったと思います。観光地にしては安いのかもしれませんが、アンダルシア州の相場に比べればやはりやや高めですね。でもとっても美味しいです。

 

マッシュルームとピーマンの揚げ物

伝統的なレストランのわりには、メニューがタブレット端末で、言語が選べるようになっているのが驚きでした。外の看板も多言語対応で、日本語もあります。カタカナで「マッシュルーム」と書かれているのですぐに分かると思います。外国人観光客対応がばっちりですね!

もう1件同じ並びにあるLa Bodega Bohemiaにも行きました。パエリアが得意料理のようですが、ものによってはハズレのお品もあるみたいです。

  

私が食べたのはArroz negroというイカ墨ごはん。なかなか美味しかったです。ピーマンの揚げ物も期待を裏切らない味でした。まあ、失敗しようがないという話もありますが(笑)

ダンナの頼んだ、ソーセージの入ったスープみたいなものは失敗だったみたいです。

 

 価格は相場通りだと思います。全体評価は平均点でしょうか。「ここは外せない」というようなお勧めではないです。

すごくお勧めなのは、旧市街からは離れてますが、ショッピング街として有名なサラマンカ地区にあるタパス・レストラン「Lateral」です。値段も手ごろで、タパスの種類も豊富です。地元の人に人気があるようで、夜9時以降かなり混雑します。英語対応できる従業員は限られているので、呼び鈴で従業員を呼んでも、英語ができる従業員がくるとは限らないので、スペイン語のできない観光客には不便かもしれません。でも、とっても美味しいんです。

 

取り敢えずビールとお水。そしてガスパッチョ。

ハムコロッケ。アンダルシアでは見かけたことなかったんですが、マドリードではほぼどこにでもコロッケ(Croqueta)があります。チーズや魚が入ってるものもあり、どれも美味しいです。

野菜天ぷらにヨーグルトソース。果たしてどんな味がするものやら疑問でしたが、これがなかなかいけるんです。絶妙な組み合わせ。

スペインに来たらたこ足は外せません( ´∀` )

イベリコ豚も外せませんね。こちらはダンナのチョイス。

最後にスペアミントティーを飲んでみました。

 

次は絶対に行ってはいけないレストランをご紹介します。サラマンカ地区から割と近い、Recoletos駅や国立図書館・博物館のあるPasseo de Recoletosの車道に挟まれた緑地帯にテラスとパビリオンを出している「El Espejo」というレストランです。サルスエラ・ディナーショー(下)をやるレストランから近く、ディナーショーの時間を間違えて連絡されたために入れずに、しかたなく雨宿りもかねて入ったのがここだったのですが、見かけはなかなかおしゃれっぽい感じでも、サービスはそれほどよくありませんし、高価格。そして何よりも許せないのが、美味しくないこと。値段が高くても美味しければ納得がいきます。でもまずいのは全然納得できません。結局ここで食べたご飯がマドリード滞在中の食事で一番高かったです。二人で52€(チップ抜き)。他のところでは大抵40~47€(チップ込み)で済みましたので。

 

    

スープ、チキン、サーディンと赤ピーマン、ズッキーニの揚げ物はまあまあ何とか食べ切れるレベルで、チキン入りサラダが全然無理な味でした。ソースとサラダの調和がとれておらず、葉っぱはしなびた感じで、新鮮な野菜の食感ゼロでした。チキンは乾燥しすぎでした。

外観につられてうっかり入らないように気をつけてください!

 

Zarzuela(サルスエラ)

スペインといえば闘牛やフラメンコを思い浮かべる人が多いでしょうが、闘牛は動物愛護の観点から全く見る気はしませんし、フラメンコはすでにアンダルシア旅行で見ているので、今回はスペインのオペラ・サルスエラを見ることにしました。

とはいえ、オペラ座に入ってかしこまって観劇するのではなく、La Castafiore というレストランで毎夜9時からあるディナーショーに行きました。チケットはGetYourGuideで購入。ここのサイトの日本語訳では「ザルズエラ」となっていますが、スペイン語のZは「θ」の音ですので、カタカナ書きするなら「サルスエラ」が正解です。

ウイキペディアによると「1657年、スペインの劇作家、宮廷詩人であるペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカと、スペインのバロック声楽の作曲家フアン・デ・イダルゴ (Juan de Hidalgo) による喜劇の新作 "El Laurel de Apolo"(アポロの月桂樹)が、マドリード市外の別荘サルスエラにおいてスペイン国王フェリペ4世とマリアナ妃、廷臣たちの前で上演されたのが、この新しい音楽様式がこの名で呼ばれるようになった始まりであると考えられている」そうです。

というわけで、スペイン独特のオペラ作品が聴けると期待してディナーショーに行きました。ところが、スペイン独特の作品はむしろ稀で、歌われたアリアのほとんどが「ラ・トラビヴィアータ」や「カルメン」、「リゴレット」の「ラ・ドンナ・エ・モビレ」などの有名オペラのアリアでした。残念と言えば残念ですが、それはそれで楽しめました。

歌うのはウエイターのうちの二人とウエートレスの二人の計4人。第一線のオペラ歌手とは違いますが、間近で聴く迫力はあり、なかなかのものでした。

 

ショーの流れは、まずは飲み物と前菜が供され、お客が前菜を食べ終わったころにアリア2・3曲。

   

メインディッシュが供され、またお客が食べ終わったころにアリア2・3曲。

 

デザートが供され、またお客が食べ終わったころに数曲連続でデュエットやカルテットで歌われます。また、観客に一緒に歌うように促すこともあります。

 

 

今は楽譜もタブレットにロードして演奏できるのですね。タブレットであれば楽譜を照らす照明器具が必要なくて、暗い環境でも便利ですね。ピアニストの人がタブレットを使っていたので感心しました。

ディナーのコースはいくつかありますが、どれも美味しかったです。まあ、舌鼓を打つほどではないかもしれませんが。ディナーを美味しくいただきながら、オペラ(のさわり)を間近で堪能できる良い体験だと思います。

このレストラン「La Castafiore」はColonという地下鉄の駅から徒歩5分くらいのところにあります。RenfeのRecoloetos駅からも近いです。オペラを気軽に楽しみたいというか単位はお勧めですので、ぜひ立ち寄ってみてください。

 

観光名所など「スペイン旅行記~マドリード(2)観光名所その1」へ続く


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

スペイン・アンダルシア旅行記(2):セビリア

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スペイン・アンダルシア旅行記 II(1):マラガ

スペイン・アンダルシア旅行記 II(2):グラナダ~アルハンブラ宮殿

スペイン・アンダルシア旅行記 II(3):シエラネヴァダ山脈

スペイン・アンダルシア旅行記 II(4):アルメリア

スペイン・アンダルシア旅行記 II(5):カボ・デ・ガータ(アルメリア県)

スペイン・アンダルシア旅行記 II(6):アルムニエーカル

 


スペイン・アンダルシア旅行記 II(6):アルムニエーカル

2018年06月12日 | 旅行

アルムニエーカル(Almuñécar)について

第2回アンダルシア旅行最後の宿泊地は、アルメリアから西のマラガ方面へ向かって120㎞くらいのところにあるアルムニエーカル(Almuñécar)というリゾート地です。コスタ・トロピカル(Costa Tropical、熱帯海岸)と呼ばれる海岸の町で、その名の通り亜熱帯気候で、晴れの日が年間約340日もあるのだそうです。つまりほぼいつも晴れてるわけですね。キウイやパイナップルなどの果物の産地としても知られており、高速道路から見える範囲一面にビニールハウスが広がっているという光景がやや不気味でもあります。

アルムニエーカルはまた、スペインの地中海沿岸の町の中で最も高い山系(2000メートル級)が海岸線に迫っている特殊な地形でも知られています。

フェニキア人が住んでいた頃はセクシ(Sexi)という名称でした。ローマ人がここに作った水道は現在も使われているものがあります。1500年以上使用されている水道って凄いですよね。

私たちは行きませんでしたが、旧市街の上には庭園、鳥類園、ローマの魚の塩漬け設備に囲まれたサンミゲル城(Castillo de San Miguel)があるそうです。8世紀にモーロ人によって建設され、16世紀にキリスト教徒によって改築・拡張されたというこの地域の他のお城とほぼ同じ歴史をたどっています。大元はローマ人の居住地か要塞・駐屯所だったはずです。

ホテル

宿泊したのは町はずれの大きなリゾートホテル「Bahia Tropical」で、中庭にプールがあり、目の前が海水浴場といういかにもなリゾートホテルです。今回のバカンスには少なくとも1日くらいは観光で歩き回ったりせずにビーチかプールサイドでゴロゴロするつもりでしたので、その線でホテルを探していたら、Booking.comというサイトでセールになっていたので、このホテルを予約してみました。二人二泊朝食付きでたったの135€でした。シーズン中なら一泊分の料金でしょう。

私たちの部屋は5階にあり、プールも海も見えました。35平方メートルの部屋は玄関・居間・寝室・浴室に分けられており、浴室は寝室と玄関の両方から入れるようになっていました。居間からベランダに出られます。

玄関 ↓ (靴を履くためのベンチ、姿見、クローゼットがある)

 

居間 (テーブルと椅子3脚、ソファーとローテーブル、サイドボード2つ、テレビ付き)↓

 

寝室 ↓

浴室 ↓

ベランダ

ベランダから見た中庭のプール ↓

晴れていましたが、気温は22~23度で風も割と強く、プールは温水ではなかったので、温水プールに慣れた軟弱者にはちょっと冷たすぎる水温でした。というわけで、ちょっと泳いだだけで、後はプールサイドで日向ぼっこしてました。

ホテルでは朝食だけでなく、昼食及び夕食ビュッフェもあり、一日中ホテルで過ごせるようになっています。スパもあるようでしたが、利用する時間はありませんでした。

朝食ビュッフェ ↓

   

私がアルメリアのアルカサーバで足をくじいてあまり歩けなくなっていたので、夕食もホテルで頂きました。夕食ビュッフェは一人15€、飲み物は別料金。

 

ビュッフェは四つ星ホテルに相応しい豪華さで、味もよかったです。たぶん1週間このホテルで食べ続ければ飽きてしまうとは思いますが(笑)

周辺

ホテルの目の前にある海水浴場は小規模で、「これだけ?」という印象を持ってしまいますが、少し街中の方向へ行くと、まとまって長い砂浜(Playa Tropical)があります。砂は細かくなくて、どちらかというと砂利に近いです。風が吹いても飛ばないので痛くないという利点はありますね。

 

 

到着した日(6月5日)はホテルの昼食ビュッフェの時間が過ぎていたので(ホテルのビュッフェの時間はスペイン時間とはずれがあるようです)、近所のレストラン El Kiosco で遅い昼食を取りました。例によって日替わりメニュー。

サラダとサルモレーホ(Salmorejo)というコールドスープ。ガスパッチョと違って、卵やベーコンやクルトンが入ってます。

  

メインは「San Jacobos」。辞書で調べても見つからなかったので、試しに頼んでみました。ダンナは同じ「ヤーコプ/ハコボス」だからエスカロップ貝(ドイツ語でJakobsmuschel)を想像してましたが、出てきたのはハムにチーズを挟んでパン粉の衣で揚げたコルドンブルーでした(笑)思いっきり騙されましたね。

 

アルムニエーカルに着いた翌日6月6日はシエラネヴァダにドライブに行きました。つくづく一か所でゴロゴロするバカンスができない私たち...

 

追記

帰国日の6月7日は、朝食後荷物をまとめ終わってから、チェックアウト時間の12時ギリギリまでホテルのベランダで日向ぼっこしてました。そしてマラガに行き、ショッピングセンターで時間を潰してから空港に向かい、16時50分フライト予定だった飛行機に乗って帰国しました。フライトは1時間近く遅れたと思います。デュセッルドルフ空港は土砂降りでした。このため空港からDBのデュセッルドルフ空港駅へ移動するスカイレールが運行しておらず、シャトルバスで行くように指示が出ていたのですが、そのバス停を探すのが面倒なので、Sバーンという近距離列車用の駅でケルン行きの電車に乗りました。しかしその電車も悪天候のためデュセッルドルフ中央駅で止まってしまい、乗り換えを余儀なくされました。デュセッルドルフ中央駅からボンへ直通で行く電車はその時間帯なかったので、ケルン行きの電車にまず乗り、ケルンで乗り換えてボンまで帰りました。荷物がなくても電車の乗り換えはうざいと思いますが、スーツケースを抱えての乗り換えとなるとかなり重労働ですよね。私は足をくじいてましたので、スーツケースを運んだのはダンナですが。

あの抜けるような青空のスペインからドイツに帰国して、今日(6月12日)に至るまで灰色の空しか見てません(´;ω;`) 今日も雨です。なので「すぐにでもスペインに戻りたい!!!」とダンナともども地団太を踏んでおります ( ´∀` )


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

スペイン・アンダルシア旅行記(2):セビリア

スペイン・アンダルシア旅行記(3):モンテフリオ(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記(4):グラナダ

スペイン・アンダルシア旅行記(5):グアディックス(グラナダ県)

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スペイン・アンダルシア旅行記 II(4):アルメリア

2018年06月11日 | 旅行

グラナダの後にシエラネヴァダ山脈をドライブし、今回のアンダルシア旅行3番目の宿泊地アルメリア(Almería)に行きました。

アルメリア市について

アルメリアはコルドバを首都とする後ウマイヤ朝の重要な港で、貿易及び織物工業の中心地として栄えた街です。1489年にキリスト教徒に征服されて以降はおよそ300年間廃れる一方でしたが、19~20世紀に鉱山業の勃興及び港の新築を機に復興します。しかしスペイン内戦によってその繁栄も急速に収束してしまいます。現在は良質な海岸のあるリゾート地としてそれなりに栄えているようです。

アリメリア市内の見どころは1000年の歴史を誇るスペイン最大のイスラム建築の要塞であるアルカサーバ(Alcazaba de Almería、面積25000平方メートル以上、城壁の長さ430メートル)で、現在も考古学的発掘調査が行われています。発掘区域は立ち入り禁止ですが、それ以外は入場料なしで入ることができます。ただし月曜日は閉まっています。

もう一つの見所はアルメリア大聖堂です。北アフリカから来るベルベル人の海賊の襲撃に備えて要塞化した教会で、その外観の無骨さは要塞そのものですが、1522年の地震の後に造られたルネサンス様式のファサード(上の写真)や繊細な彫刻が施された聖歌隊席、ゴシック様式の身廊やアプスに設置された大理石の祭壇の他、優美な噴水のある中庭を囲む柱廊など、結構なお宝が見られます。また、ゴシック様式では通常身廊の天井が側廊の天井より高くなっていますが、大砲による襲撃に備えて構造的安定を実現するためにこの教会ではどちらの天井もほぼ同じ高さになっているのが興味深い点です。

港と平行に走る車道に沿って作られた公園はなかなか素敵です。

ホテル

私たちが泊まったホテルは Hotel Catedral で、その名の通り大聖堂(Catedral)に隣接しています。予約したのはスタンダードルームだったのですが、手違いで空きがなく、追加料金なしでスペリオールルームにアップグレードしてくれました。5階のベランダ付きの部屋で、ベランダから屋上のミニプールに行けるようになっていました。

  

ベランダから見下ろせる Plaza de la catedral ↓

朝食ビュッフェは四つ星ホテルに相応しい豪華さで、特にフルーツの豊富さがうれしかったです。

   

スクランブルエッグや目玉焼き、ベーコンやソーセージなどはビュッフェに作り置きされておらず、注文すると作ってもらえるようになっていました。温かい食べ物はその方がおいしいですよね。

このホテルの難点は、駐車場が若干遠いことと、バスルームにシャワーしかなく、全体的に設備が古くて使いづらいことです。でも、アメニティは豊富に用意されていました。

お値段は二人2泊朝食付きで178.20€。

 

観光

アルメリアに到着したのが結構遅い時間だったので、特に何かを見に行くことはしませんでしたが、目の前の教会広場で堅信礼と思われる儀式が行われていたのでそれをしばらく眺めてました。素人撮影ですが、ビデオはこちら

 

この儀式を見終わった後に夕食に出かけました。レストランが並ぶ界隈は非常に範囲が狭く、選択肢が大してなかったので、取り敢えず開いていてそこそこ賑わっているレストランに入ってみました。「Taberna Nuestra Tierra」というレストランで、飲み物一つ頼むと、小さなタパスをただで選べるようになっていて、それ以外の食べ物にはきちんと値段がついています。システムを理解するまでに少々時間がかかりましたが、アルメリアでは飲み物&ミニタパスで一つの値段というのが割とあるようです。

ポテトチップスとパンが載ったお皿がミニタパス。お肉のお皿は普通の有料タパス。↓

 

ズッキーニのフライ(ミニタパス)↓

   

焼きタコ

デザート(フランとチーズケーキ)

 

脂っこい料理とデザートでかなりお腹いっぱいになりました。支払はチップも含めて33€。

Catedral

6月4日は月曜日でアルカサーバは閉まっていたので、まずは目の前の教会を見学しました。見学者用入口は教会広場から建物に沿って左に曲がり、その壁面の終わりに近い所です。入場料はオーディオガイド込みで5€でした。

ホテルの部屋のベランダから撮影した大聖堂。要塞にしか見えない ↓

 

中に入って、階段を上ると修道院と柱廊に囲まれた中庭に出ます。中の噴水はイスラム建築の名残りですね。

 

アピスに設置された背の高い祭壇とその両側にある説教台 ↓

 

パイプオルガンは聖歌隊席を挟んで両側にあります ↓

聖歌隊席の裏側にもう一つ3色の大理石が使われている祭壇があります。

別室の礼拝堂の祭壇 ↓

絵画もたくさん飾られています。

身廊と交差廊が交わる交差部

側廊にはたくさんチャペルが設置されています。そのうちの一つ ↓

Sala Capitular

中の博物館に展示されていた楽譜(?) ↓

 

 教会見学の後はアルメリア県内のカボ・デ・ガータ自然公園へ。

 

アルカサーバ

アルカサーバは6月5日(火)に見学しました。 緑の部分が多いイスラム様式の庭の方から徐々に緩い勾配を登っていくと元王家の居住地区(まだ大部分が発掘中)があり、そこからさらに上ると砲台塔などがあるキリスト教徒によって建築された部分に至ります。

     

王家居住区域にある長方形の池にはなぜか金魚がいっぱい ↓

 

下の庭園と王家居住区域を分ける城壁にある塔の中 ↓

キリスト教徒による建築部分。イスラム的要素がほとんどない ↓

  

ここから引き返す途中の段差でよろけて、バランスを取り戻そうとして余計にふらついて結局こけてしまいました。転んだ時にごつごつした表面の石畳に右手をついたので擦りむいたところが地味に痛みましたが、後から痛みがひどくなったのはくじいた右足でした(´;ω;`)

午後1時ごろにアルメリア市を出て、次の目的地アルムニエーカルへ向かいました。


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

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スペイン・アンダルシア旅行記 II(5):カボ・デ・ガータ(アルメリア県)

2018年06月11日 | 旅行

カボ・デ・ガータはアルメリア県東南部にある自然公園です。地図で見ると、イベリア半島の右下の角に当たります。この辺りはスペインでも最も乾燥している地域なんだそうです。

私たちが最初に目指したのは Mirador Las Salinas という本来は塩田なのですが、水鳥の憩いの場になっているところが見渡せる場所でした。

バードウオッチング用の小屋 ↓

フラミンゴの群れ ↓

    

ラス・サリナスに生息する動物たちの解説 ↓ 全部スペイン語なので、分かるのは絵だけですが(笑)

そこから海岸沿いのAL-3115をドライブして、灯台のところまで行きました。火山岩が波に削られて見事なリアス式海岸を形成しているなかなか風光明媚な眺めです。

途中で下りて灯台を撮影 ↓

灯台に到着してから撮影 ↓

 

この岩がモアイのように見えるのは私だけ?

灯台を見た後はラス・サリナスに戻って最初に見つけた開いているレストラン(El Naranjero)で遅い昼食を取りました。シーズンオフで開いているレストランが少ないと色々不便ですね。日替わりメニューを頼んで、チップ込み26€で済んだのはいいのですが、お味の方はなんというか、いまいちでした。私の頼んだサラダやダンナの頼んだ煮込みスープはOKでしたが、メインの魚のフライ盛り合わせの中には明らかに「まずい」と感じて食べられないものがあり、お肉の方もいまいち(ダンナの感想)でした。トリップアドバイザーの口コミが散々なのが理解できます(笑)

   

このいまいちなごはんにめげずにシエラ・デ・カボ・デ・ガータ山脈を越えてサンホセという海水浴場までドライブしました。

「Mirador」の標識を見るとつい行きたくなってしまう癖がついてしまい、狭いくねくねした道を運転する羽目になったダンナが文句を言っておりました(笑)プラットフォームは真新しい感じで、作ったばかりのようでした。

 

 

空いているの海水浴場 Playa de San Jose

 

ここで肌寒くなるまで(18時半くらい)ゴロゴロしてました。 ダンナはちょっとだけ海水に入ってましたが。浅瀬の範囲が広く、30mくらい進んでも腰くらいの水深にしかならないところです。風が強くなると細かい砂がバチバチと体に当たって結構痛かったです(´;ω;`)

サンホセの海水浴場はさほど長くなく、街中も山の斜面に張り付いているような狭くるしい区域が多いので、結構リゾート地化されてますが、そんなに魅力的とは言い難いと思いました。地図で見る限りでは、サンホセの南方8㎞くらいのところにある Playa de los Genoveses の砂浜の方が長いので、そちらの方がよかったかもしれません。

この後アルメリア市に戻って食べた晩ごはんはちょっと失敗でした。宿泊中のホテルから近いシーフードレストラン「Entremares Cervecerías」で、ここもやはり飲み物を頼めばただでミニタパスを1皿選べるようになっていましたが、店員がやたらと量が多く高いものを勧めるので、まだ片言しか話せないダンナが根負けして、貝のミニタパスがフルサイズに化けてしまいました。

  

でもこのナスのフライ、ハチミツソースかけは美味しかったです。やはり量は多すぎた感がありましたが… ↓

教訓:店員のお勧めに根負けしてはいけない(笑)


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

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スペイン・アンダルシア旅行記 II(3):シエラネヴァダ山脈

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スペイン・アンダルシア旅行記 II(3):シエラネヴァダ山脈

2018年06月09日 | 旅行

シエラネヴァダ山脈(Sierra Nevada)はアンダルシア州のグラナダ県及びアルメリア県にまたがる山脈で、3000メートル級の高山がいくつもそびえる国立自然公園です。最高峰はムラセン(Mulhacén)で、3482メートル。

6月3日、私たちはグラナダ市を出て、シエラネヴァダの南側に連なる山系ラス・アルプハラス(Las Alpujarras)をドライブしてアルメリア市へ向かう予定でしたが、ナビをうまく調整できず、グラナダ市から高速道路A44で南下すると最初に出て来る「Sierra Nevada」の標識に従って車を走らせたら、A395を辿ってシエラネヴァダの北側にあるスキー場に出てしまいました(笑)

 

A395では素敵なパノラマ展望が楽しめます。

ルート上に植物園(Jardines Botánicos Hoza de Pedraza)があったので入ってみました。スキー場まであと4㎞のところです。シエラネヴァダにはこうした植物園のネットワークがあるらしいです。ここの植物園は駐車場から斜面をかなり降りたところに管理棟があり、そこから左右になだらかな坂があり、植物を観察しながら山の眺めを楽しみつつ散策できます。

       

植物園をひと回りしてから、昼食を取るためにレストランを探しにスキー場のほうまで行きましたが、オフシーズンですからもちろん開いているお店はほとんどなくて、見た限りで唯一開いていたレストランは非常に混雑していたので、元来た道を戻って、グエハル・シエラ(Güejarr Sierra)という地区にあるペンションのレストラン(Pensión El Desvio)で何とか食事にありつけました。

大したものはありませんでしたが、簡単なスープにオムレツを食べました。そこそこ食べられる味で、取り敢えず空腹が満たされたのでよしとしました。

 

高速道路A44に戻る途中で撮影した風景 ↓

 

当初の目的地だったラス・アルプハラス(Las Alpujarras)には6月6日にアルムニエーカルから行きました。

高速道路A44をグラナダ方面に向かい、途中でA348へ行くとランハロン(Lanjaron)という村に入ります。ランハロンは水源地として知られており、「シエラネヴァダの水(Aqua de Sierra Nevada)」はここで採取されます。風力発電機が多く設置されており、村の入り口には見晴らしの良い展望台公園があります。

 

  

鉄分を含む鉱泉水があるため、保養地としても知られているそうです。どおりで小さい村の割にホテルやペンションが多く、混雑していたわけですね。通過した時は不思議に思いましたが、後で調べて納得しました。

A348をさらに走ると、オルヒヴァ(Órgiva)というシエラネヴァダ最大の町に出ます。私たちは市街地をさっさと通過し、そこからA-4182でさらに奥地へと向かいました。その途中に洞窟があり、いい具合に駐車場もあったので覗いてみました。

駐車場から見た景色 ↓

 

ソルテス洞窟(Cueva de Sortes)↓

  

この洞窟は現在オルヒヴァ市に属していますが、洞窟の名前は以前その近くにあった「ソルテス」という古い街に由来するらしいです。写真を撮影した時点では表札もなかったので洞窟の名前すら知りませんでしたが、ジオデータ付きで撮影したので、後から位置情報を地図上で確認することができ、洞窟の名前もそれで知ることができました。最近の技術はすごいですね!

A348をさらに進むと、ポケイラ谷(Poqueira)の斜面に張り付くように白い家々が並ぶ山村に着きます。パンパネイラ(Pampaneira)がその最初の村で、そこから上の方にあるブビオン(Bubión)とカピレイラ(Capileira)という村も見えます。

  

私たちはパンパネイラ村の集落に入る手前にあった食料品店を兼ねたレストラン Guillermo で昼食をいただきました。入口のすぐ近くに車を止められたので、足をくじいていた私には都合がよかったのです。

前菜にはダンナはサルモレーホ(Salmorejo)という冷たいスープを、私は単なるサラダ(Ensalada de la casa)を食べ、メインにはこの地方の郷土料理の一つ Migas alpujarrañas を頂きました。ミハ(Migas)はパンくずのことで、上に乗っているものに全然言及しない料理名(アルプハラのパンくず)ですね。ちなみにパンくずの上に乗っているのはブラッドソーセージ、オニオンソーセージ、ピーマン、この地方のハム及びメロンです。もう一つはこの地域独特の調理法で作られた目玉焼き(Huevos fritos)。焼き跡がついてないので、焼いたというよりは蒸したか茹でたかしたのではないかと思われます。

 

 

パンパネイラの集落を通り過ぎてブビオンやカピレイラへ向かう道が分岐するところにあったガソリンスタンド&駐車場から撮影した景色 ↓

  

ここで折り返して、アルムニエーカルのホテルに向かいました。

その途中のオルヒヴァでA348でガダルフェオ(Guadelfeo)川を越えてモトリル方面行のA346に入ったところで撮影した風景 ↓ 
遠くにシエラネヴァダ最高峰のムラセン(Mulhacén)が見えます。

  

車で行ける部分だけしか見ていませんが、シエラネヴァダの風景の素晴らしさを堪能しました。


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

スペイン・アンダルシア旅行記(2):セビリア

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スペイン・アンダルシア旅行記(5):グアディックス(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記 II(1):マラガ

スペイン・アンダルシア旅行記 II(2):グラナダ~アルハンブラ宮殿