徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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書評:福島菊次郎著、『殺すな、殺されるな(写らなかった戦後3)』(現代人文社)

2017年07月28日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

写らなかった戦後シリーズ1の『ヒロシマの嘘』を読んでから大分時間が経ってしまいましたが、同シリーズ3の遺言集である『殺すな、殺されるな』をようやく手に取りました。初版は2010年発行。ハードカバーで397ページはパラパラと読める分量ではありません。

本書は4部構成で受難者たちの声を拾い、著者自らの「末期に迫った」旅立ちのための一筋の明かりを求めます。

I 殺すな、殺されるな、憲法を変えるな

II 遺族と子どもたちの戦争は続いていた

III 朝鮮人は人間ではないのか

IV 祖国への道は遠かった

 第一部では、「生きて虜囚の辱めを受けず」などの人の命をかけらも尊重しない戦陣訓のために玉砕に追い込まれた沖縄島民の悲劇や「天皇制護持」に執着して、終戦を引き延ばし、多くの非戦闘員・老人や女子供を無駄死にさせ、国土を焦土と化さしめた天皇裕仁に対する憎しみ、戦争責任追及をうやむやに済ませようとする日本のあり方に対する絶望が綴られています。特に戦争責任を「言葉のアヤ」で「文学方面」と英紙タイムズ記者の質問に対して言い逃れをし、広島・長崎の原爆投下については「戦時中で仕方ないこと」と片づけた天皇裕仁に対する憎悪と義憤が、紙を飛び出して、鬼気迫る言霊として浮かび上がってくるようです。

第二部は、著者がカメラマン兼民生委員として福祉施設を取材した経験が綴られています。ここで浮き彫りになるのは名ばかりの福祉行政に苦しむ子供たちまたは老人たちの悲哀です。章の最後の方では横浜市の「親愛学園紛争」が取り上げられ、火災以降多くの施設に分散され、場合によっては兄弟が引き離されたり、家族が面会に行けない程遠方に預けられ、理不尽な抑圧と差別を受けた子どもたちの反乱で勝ち取った親愛学園再建が福祉行政の至らなさにわずかながらの光明を示しています。

第三部は、その題名に反して、「日本人妻」の話から始まります。「国策の花嫁」とか「内鮮結婚」などともてはやされ朝鮮人と結婚した日本女性たちは、戦後言葉も分からぬ韓国社会で差別され、朝鮮戦争で夫や子どもを失い、戦火の中に投げ出されて放浪し、少数のボランティアの支援によって帰国しても外務省・厚生省から冷遇され、浮浪者の一時宿泊所に押し込められるなど悲惨な目に遭いました。
さらに日本軍に強制連行されてサハリンなどに置き去りにされ、戦後何十年も帰国できなかった朝鮮人、強制連行または出稼ぎで広島に来ていて被爆し、国籍を理由に何も補償を得ることなく原爆症で苦しめられた朝鮮人および彼らの障碍を持って生まれた子どもたちなど、侵略戦争に翻弄され、日本政府からの謝罪どころか一顧だにされなかった人たちの話が紹介されています。その怨嗟の声は日本人には届かない。。。

第四部では、占領地域で敗戦濃厚となった日本軍に見捨てられた日本人たち、中国残留孤児たち、在日朝鮮人たちなどやはり戦後日本政府に一顧だにされずに苦難を強いられた様子が描写されています。戦後日本軍が速やかに様々な証拠書類を焼却・滅却したのをいいことに、「書類がないので事実関係が確認できない」とついこの前の加計学園問題に関する誰かさんの答弁のように知らぬ存ぜぬを通して謝罪も補償もしようとしなかった日本政府。

この本で明らかになるのは、人を人と思わぬ日本の権力者たちのスタンスが戦中だけでなく戦後もずっと続いたという事実です。

戦争の総括を怠り、戦争責任を追及せず、補償問題をうやむやにし、事実関係を書類隠滅や教科書検定でひた隠しにし、どんどん戦前回帰をつき進める自民党そしてあらゆる問題に関して無知で無関心な国民。根強く残る朝鮮人や中国人への差別。高度経済成長期の公害問題や福島原発事故の対応も日本の変わらぬ人権軽視のあり方を浮き彫りにさせます。

国民を大切にしない国を愛せますか?普通は愛せないから、わざわざ「愛国精神」なるものを洗脳する必要があり、「非国民」という罵り言葉を使った同調圧力を機能させる必要が出てくるのです。その異様な「空気」は様々な人たちを今なお苦難の淵に突き落として行きますが、それは一体どこへ行きつくのでしょうか?


書評:福島菊次郎著、『ヒロシマの嘘(写らなかった戦後)』

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書評:アイリーン・ウェルサム著、渡辺正訳『プルトニウムファイル』(翔泳社)

2017年07月28日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

アイリーン・ウェルサム著、『プルトニウムファイル』(翔泳社)を購入したのは随分前ですが、療養中で暇なのでようやく読破することができました。

原作の『The Plutonium Files: America's Secret Medical Experiments in the Cold War』は1999年10月発行。

日本語版は翔泳社から2000年に上下巻で発行。私が手に取ったのは2013年に同社から発行されたその改定合本である『プルトニウムファイル いま明かされる放射能人体実験の全貌』の電子書籍版です。

5部47章にわたって第二次世界大戦中の原爆開発プロジェクト・マンハッタン計画に始まり、戦後も国家安全の名の下に多数行われた無意味な実験およびその関係機関、実験者、被害者たちが詳述されたピューリッツァー賞受賞の大作。その構成は以下の通り:

第一部 「産物」

第二部 核のユートピア

第三部 核実験のモルモット

第四部 合衆国版・ナチの収容所

第五部 清算

ウェルサムはクリントン政権下で情報公開が始まる以前の1979年からプルトニウム注射患者の特定を突破口に放射性物質を使った人体実験を追っていましたが、機密のベールは厚く、結局クリントン政権下のエネルギー省長官オリアリーの公開政策によって書類が大量に放出されるのを待たねばならなかったようです。

人体実験は大部分が第二次世界大戦後の冷戦中に実施され、国が資金を出し、ロスアラモスなどの国立研究所が中枢となっていました。主な実験は:

  • 患者18名へのプルトニウム注射(サンフランシスコ、シカゴ、ロチェスターの病院)
  • 妊婦829名に放射性鉄を投与(ヴァンダービルト大学、ナッシュヴィル)
  • 施設の子供74名に放射性物質を投与(マサチューセッツ工科大学、ファーノルド校)
  • 患者700名以上に全身照射(TBI)(シンシナチ大学、オークリッジほか)
  • 囚人131名の睾丸に放射線照射(オレゴン州とワシントン州)
  • 数千名の兵士および風下住民の試験被曝(太平洋およびネヴァダ核実験場など)

広島・長崎の被爆者を治療せずに観察だけし、被爆者の死体を収集・解剖したABCCはこうした放射性物質・核開発を取り巻く人体実験の文脈の中で活動していたのです。

本書は人体実験の全容を暴くばかりでなく、クリントン政権下で実施された情報公開やその後設置された調査委員会の成れの果て、裁判の行方や補償の有無に至るまで、詳述しています。クリントン大統領(当時)が1995年10月3日の朝、調査委員会の報告書を受け取り、調査委員会の意向を無視して被験者全員に謝罪したこと、そしてそのニュースがO.J.シンプソンの殺人容疑の評決のニュースに掻き消されたことまで言及されています。本来ならば厳しく糾弾され、罪に問われてしかるべき実験者たちおよび研究機関は、O.J.シンプソンのおかげで追及を免れたわけです。

原水爆実験における兵士や風下住民らの被害は比較的よく知られた核開発の闇部分で、私も随分前からその事実を認識していましたが、それ以外のがん患者を始め本来健康な子供や妊婦や囚人たちに直接放射性物質を投与したり照射したりと言ったあからさまな人体実験の事実には衝撃を受けました。インフォームドコンセントは全くなかったか、形式的で不明瞭なものだけで、被験者にリスクが十全に伝えられた形跡はありません。アメリカ医学会(AMA)の審査基準にもニュルンベルク憲章の原則にも反する実験で、「時代が違う」では片づけられない犯罪です。しかしながら、結局「国家安全」の大義の下に彼らが罪に問われることはありませんでした。

日本軍の731部隊が行った人体実験の成果をGHQに提供することで死刑を免れた構造とよく似ていると思います。

国家権力の大義の裏で、被験者や被験者の遺族たちは補償どころか謝罪さえろくにしてもらえない無念に泣く構造は今後も変わらないのでしょうか?