今日は「女たちのカーニヴァル(ヴァイヴァーファスナハト、Weiberfastnacht)」です。地元の方言ではアルトヴィーヴァ(Altwiever)とも言います。Altは「年取った」、WieverはWeiberの変形で、Weib「女性」の複数形。英語のwifeと語源は同じです。
通常、ライン川流域でカーニヴァルといえば、ローゼンモンターク(Rosenmontag)、つまり来週の月曜日の仮装行列が頂点で、その前の木曜日は前祝的な感じで、街道カーニヴァルの開始をマークするものなのですが、ボンのライン川右岸にあるボイエルという町では、この日がカーニヴァルの頂点となります。1824年に婦人委員会という団体が地元洗濯女たちによって結成され、それまで女性は朝から晩までライン川の冷たい水で洗濯するなど働き詰めで、カーニヴァルの馬鹿騒ぎは男性の独占だったことに不満が爆発し、女性も積極的に祝う権利を勝ち取ったそうです。ナポレオン占領下で廃れてしまっていた街道カーニバルはケルンで「パレード整列する委員会(Festordnenden Comites)」が1823年に結成されたことによって復活したわけですが、既にその翌年にボイエルでご婦人のカーニヴァル委員会が結成されたことは注目に値します。これは一種の女権運動の萌芽と見られています。
以来比較的年を取った女性がオーバーメーン(Obermöhn、Oberは「上」、Möhn(e)は地元方言リプアーリッシュで既婚女性の呼称。日本語の「奥さん」に通ずるものがあるかも)という女性代表に選ばれ、若い女性が洗濯屋プリンセスに選抜されます。そして彼女たちはこのカーニヴァル前の木曜日にボイエルの町役場を襲撃し、象徴的に権力を握りました。具体的には役場の入り口のカギを収奪します。1957年以降はこの婦人委員会だけではなく地元の全てのカーニヴァル委員会が襲撃に参加しています。現在では何と17団体だそうです。ボイエル町役場襲撃の様子はこちらで見られます。今年はテッサ1世がカギを奪い取って、ボイエルに君臨するそうです。本当にローカルな話題でどうでもいいことですが。
参照記事:ボイエル洗濯プリンセス、「ヴァイヴァーファスナハトの歴史」
そういうわけで、「女たちのカーニヴァル(Weiberfastnacht)」は祭日ではないにせよ、雇用主は地元の慣行を尊重し、従業員たちが仮装して出勤しても、午後も早い時間にカーニヴァルパーティーのために早退しても、鷹揚に対応することになっています。
私の会社(ボイエルにあります)でも仮装して出社してる人たちがちらほらいますし、そもそも休みを取っている人も多く、今朝は地下駐車場ががら空きでした。
昔は会社で結構大きな催し物とかがあり、社内でも女性たちが男性のネクタイをちょん切って集めるなどという慣わしがありましたが、地元でない人の割合が多くなりすぎたためなのか、切られても大丈夫なネクタイをしてくる男性も、ネクタイを切って相手の男性のほほにキスをするという女性もとんと見かけなくなりました。
もっと地元民の多い会社や商店とかは違うのかもしれませんが。
ケルンでも例年通り街道カーニヴァルが開催されました。ただし警備にあたる警察官の数は例年よりも大幅に多くなっていました。大晦日に大事件のあったところですから、警備が厳重になるのも頷けます。警察は早期介入をモットーに任務にあたったため、カーニヴァル参加者たちは安心してバカ騒ぎができたようです。特記すべき事件は一切起こらずに済んだようで何よりでした。
街道カーニバルの歴史については拙ブログ「カーニヴァルシーズン開始」もご覧になってください。