オーストリア大統領ファン・デア・ベレンは、80年前の1938年3月12日にナチスドイツ軍がウイーンに侵入し、オーストリアを併合した歴史を振り返るための記念行事で、これまでの「オーストリアはナチスドイツの最初の犠牲者」というスタンスを改めて、ナチスの悪逆無道な行ないにおける自国の役割を批判的に見直し、自国の責任を認める演説を行いました。
アドルフ・ヒトラーの生まれ故郷であるオーストリアの併合は、第二次世界大戦の前段階と見なされています。
オーストリア首相セバスティアン・クルツは、「オーストリアは長い間自国をナチスドイツの犠牲者のように見てきたが、実際には多くの人が体制を支持していた」と指摘し、「この日からオーストリアのユダヤ人にとっての長い苦しみが始まり、その事実は今日でも私たちを困惑させる。この黒い歴史は絶対に忘れられてはならない」と述べました。
本来極右政党で、ナチスと関係の深いFPÖの代表で、現在副首相であるクリスティアン・シュトラッヘも「我が国の追放及び殺害されたユダヤ人の方々の追悼は我々の義務」と表明しました。政権に参画することになって以来、何度もナチズムやレイシズムや反ユダヤ主義を非難してきましたが、党内には未だにオーストリアを「大ドイツ」の一部とみなす流れが強くあります。
オーストリア政府は水曜日の閣議において、慰霊記念碑建設について話し合う予定とのことです。記念碑はオーストリアで命を落とした約6万6千人のユダヤ人犠牲者の方々の名前を刻んだ壁になる予定です。
80年経って漸く自国の責任を問うのは、時間がかかり過ぎたと言えますが、それでも認めたことは進歩ですし、称賛に値します。日本の第二次世界大戦・太平洋戦争における責任を真向否定する日本会議に牛耳られた安倍政権とは雲泥の差があります。
写真:Votava/dpa、1938年3月14日、ヒトラーをウイーンで迎える群衆
オーストリアの場合、ヒトラーの出身国であるばかりでなく、ナチスドイツがウイーンに侵入した際に、ハーケンクロイツの旗を振った群衆が出迎え、「嬉々として」 ナチスドイツの一部になった歴史的事実を鑑みれば、「オーストリアはナチスドイツの最初の犠牲者」とみなすこと自体にそもそも相当の無理があるのですが。。。オーストリアにおける反ユダヤ主義の歴史は古く、根強い差別があったことも事実で、ナチス政権下で何の抵抗もなくユダヤ人迫害が早速始まったことも事実なのですが、そういった史実を徹底的に振り返って反省するというようなドイツ的歴史教育はオーストリアでは一切行われて来ませんでした。このため、ナチスと関係の深い極右政党FPÖが連立与党になることにも抵抗が少ないようです。この点では歴史をきちんと振り返ろうとせず、むしろ「自虐史観」とか言って否定しようとする流れが強い日本と共通していると言えます。
この文脈の中で、今日のオーストリア併合記念行事においてオーストリア大統領・首相・副首相がそろって「オーストリアの責任」を認めた意味は大きく、歴史的と言えるでしょう。
参考記事:
Zeit Online, 12. März 2018, "Österreich hat Mitverantwortung für die Gräueltaten der Nazis(オーストリアはナチスの極悪無道な行いの責任の一端がある)"
ZDF heute, 12. März 2018, "80 Jahre "Anschluss" Österreichs(オーストリア併合80年)"