『富嶽百景』は、日本に年末年始に行った時に本屋で見かけた太宰治作品集の5番目に収録されている作品で、作者が昭和14年、甲州御坂峠に上り、井伏鱒二の厚意で甲府の石原美知子と見合いをする前後のことを書いた手記・エッセイです。
描かれた富士山の頂角について、広重の富士は85度、文晁の富士も84度などという富士山に関するほとんどどうでもいいことの考察から始まるこの手記の文体は平易で、『人間失格』のような魂の叫びのようなわーわーした感じがない、とても静かで、ささやかなユーモアと落ち着いた将来に対する希望すら漂っています。
「風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文通りの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった。」とか、
「どうにも俗だねえ。お富士さん、という感じじゃないか。」「見ているほうで、かえって、てれるね。」など昔から絵のモチーフとして描かれてきた富士山のある景色を見て好き勝手な感想を漏らしているところに可笑しみがあります。
富士山見て照れる、恥ずかしくなる感覚は、初めてあるいはごくたまに盛装・正装してばっちり決まった自分を姿見で見る感覚に通じるものがあるのかもしれません。決まり過ぎてて恥ずかしい、みたいな。(* ̄▽ ̄)フフフッ♪
昭和14年(1939年)と言えば支那事変が始まってから2年、太平洋戦争開始前2年。世の中は不穏に軍国主義に染まっていく真っ最中だったはずですが、この作品からはそのような不穏さなど一切感じられず、静謐で俗世の動きなど超越してしまっているかのようです。