徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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書評:原田伊織著、『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト 改訂増補版』(毎日ワンズ)

2018年03月22日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

明治維新150年に際して出版ラッシュとなっているようで、面白そうなものを数冊まとめて買いました。この『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト 改訂増補版』(毎日ワンズ)は、そのうちの一冊です。

先に読んだ『薩長史観の正体 歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す』(東洋経済)が【薩長史観】と【真相】を対比させることに終始し、全体的に細切れな印象を受けるのに対して、本書はまとまりがあり、幕末史の全体像が生々しさを以て俯瞰できるのが特徴です。題名から察せられるように長州に対する並々ならぬ怒りが全編を貫いていると言ってよく、歴史を考察する本にしてはいささか感情的な気がしますが、だからこそ余計に「歴史とは人の営み」であることが浮き彫りになります。巻末の参考文献・資料も充実しています。その意味で武田鏡村氏の『薩長史観の正体』とは格が違うと言えますね。とは言え欧米の引用作法に慣れ親しんだ身には、出典の明記が不十分に感じざるを得ないのですが。

目次

はじめに ~竜馬と龍馬~

第一章 「明治維新」というウソ

第二章 天皇拉致まで企てた長州テロリスト

第三章 吉田松陰と司馬史観の罪

第四章 テロを正当化した「水戸学」の狂気

第五章 二本松・会津の慟哭

第六章 士道の終焉がもたらしたもの

あとがき

本書の目的の一つは、日本の近代史がいかに勝者(主に長州)によって書かれ、今日の学校教育にまで受け継がれているかを暴くことにあります。もう一つは長州テロリズムの断罪でしょうか。もちろん西郷隆盛指揮下の赤報隊(薩摩御用盗)が江戸で暴虐の限りを尽くして幕府を挑発するなどの薩摩のテロリズムも断罪しています。しかし著者にとっては薩摩の方がいくらが礼節を弁えており、長州は世良修蔵に代表されるように武家の礼節を一切無視した無法の衆ということのようです。

京都で「活躍」していたいわゆる【勤皇志士】を自称する長州人たちを著者は以下のように描写しています。

現代に例えていえば、地方公務員が勝手に東京へ公費で出張して来て、県庁の指示を無視して長期滞在し、県民の税金で歌舞伎町や六本木辺りで女を買いまくり、金が足りなくなると著名な企業に押しかけ、いろいろ難癖をつけて寄付を強要する、といった具合である。そして、飲んでは「地方主権を確立しよう!」などと体裁作りに喚いているといった様を想像すればいい。(211p)

これだけでも噴飯ものですが、やれ【天誅】だなんだと勝手な言い分で暗殺しまくり、挙句に「蛤御門の変」では御所に向かって大砲をぶっ放し(「尊皇」はどこに?)、朝敵となったにもかかわらず、そのわずか数年後には偽造した錦旗を掲げて【官軍】を自称し、残虐非道の限りを尽くした人たちが、さしたる国家理念もなく明治政府を樹立するに至り、【攘夷】から一転して西欧化に突き進んだその変わり身の速さには開いた口が塞がらないとしか言いようがありません。そういう人たちに「賊」扱いされ、和平工作は悉く突っぱねられて武力衝突に追い立てられ、その戊辰東北戦争において多大な犠牲を強いられ、その後も昭和に至るまで軽んじられた会津を始めとする東北人のやるせなさはいかばかりだったことでしょうか。

「会津に処女なし」と言われるほど、主に長州・騎兵隊による強盗・強姦・殺人などの残虐非道な行為が残した禍根は簡単に消えるものではなく、昭和61年に長州・萩市が「もう百二十年も経ったので」として議会決議によって会津若松市との友好都市関係の締結を申し入れ、会津は「まだ百二十年しか経っていない」としてこれを拒絶したそうです(本書262-263p)。

日本国内でも120年経っても消えない禍根。150年経った現在もそうなのかは分かりません。関ヶ原から幕末に至るまでおよそ270年間薩摩・島津家および長州・毛利家に対する警戒を解かなかった徳川家も執念深いと言えますが、それなのに、第二次世界大戦・太平洋戦争後「たったの」70年で日本軍が隣国で行なった残虐非道な行為を水に流そうとし、あまつさえ「なかったこと」にしようとする現在の日本政府や極右集団は長州の厚顔無恥さをそのまま引き継いでいるのではないかと思えるほどです。実際明治以降の陸軍は長州閥で構成されて昭和まで継承されていたので、中国大陸や朝鮮半島で行われた残虐非道な行為は幕末の長州テロリズムをそのまま引き継いでいたと見る歴史家も多いようです。

反省しない加害者(の子孫)を被害者(の子孫)は決して許すことはないのではないでしょうか。和解には先ず事実を認識するが前提となりますが、その事実すら「自虐史観」などと言って認めない向きが国の実権を握って居る限りは、何百年経とうが被害者側に禍根は残されたままでしょう。親から子へ脈々と語り継がれていくものを侮ってはいけない。

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書評:武田鏡村著、『薩長史観の正体 歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す』(東洋経済)