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書評:鈴木荘一著、『明治維新の正体 徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ』(毎日ワンズ)

2018年03月24日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

明治維新150年に際して出版ラッシュとなっているようで、面白そうなものを数冊まとめて買いました。この『明治維新の正体 徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ』(毎日ワンズ)もその一冊です。

先に読んだ『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト 改訂増補版』(毎日ワンズ)では長州と幕府・会津等東北列藩の対立軸を中心に幕末史が描写されていましたが、本書ではタイトルからも察せられるように徳川慶喜と西郷隆盛の対立軸に重点が置かれています。いわく、徳川慶喜はイギリス型議会制民主主義の導入の先鞭をつけたステーツマンであり、西郷隆盛はポピュリズムを煽る扇動テロリストである、という対比です。その枠内で水戸学を憲政史上の初めに位置付け、慶喜の大政奉還上表文の宣言にイギリス型議会制民主主義の発芽を見出しています。本書の目的は「勝者によって消された歴史を掘り起こすこと」としています。

目次

はじめに

第一章 維新の先駆者徳川慶喜

第二章 日米和親条約を容認した徳川斉昭

第三章 通商条約の違勅調印

第四章 吹き荒れる攘夷の嵐

第五章 慶喜が条約勅許を得る

第六章 イギリスが薩長を支援

第七章 徳川慶喜の登場

第八章 大政奉還の思想

終章 万民平等の実現

あとがき

 

本書では諸外国の動向が比較的詳細に書かれており、「世界の中の日本」という視点が多く取り入れられています。日本史の本としてはその意味で少々異色かもしれません。特に第六章のイギリスの明確な反幕府の姿勢などはあまり顧みられることのない側面なのではないでしょうか。

水戸学と徳川慶喜の評価については、原田伊織の『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト 改訂増補版』を読んだ後だと相当の違和感があります。原田氏は水戸学こそ諸悪の根源で、水戸藩第二代藩主光圀(俗にいう水戸黄門)が始めた『大日本史』を「観念論による虚妄の歴史書編纂」と一刀両断にしており(p154)、水戸の攘夷論の特徴は「誇大妄想、自己陶酔、論理性の欠如に尽きる。つまり、ロマンチシズムとリアリズムの区別さえできず、大言壮語しているうちに自己陶酔に陥っていく」(p158~159)とまで断言しています。対して鈴木荘一氏は水戸尊王論を「万民平等の思想」と位置づけ、日本の議会制民主主義の萌芽をそこに見出しているようです(終章、p295~314)。尊王論である以上、たとえ誰にも絶対的権力を持たせないものであるのだとしても「万民平等の思想」とは言えないはずです。なぜなら「万民」には天皇が含まれていないのですから。

西郷隆盛がテロリストであること、いわゆる「明治維新」という一連の出来事は水戸学の尊皇攘夷論に始まり、長州の尊皇倒幕に終わるという点、そしてその「尊皇」が単なるお題目に過ぎなかったことに関しては原田・鈴木両氏の一致するところですが、水戸学と徳川斉昭・慶喜の評価に関しては完全に対立しています。私にはどちらが正しいかなど判断できませんので、「意見が分かれている」ということを認識するにとどめておくだけですが、書籍としての信頼性という観点から見ると、鈴木氏の『明治維新の正体』の方が若干劣っているように見受けられます。出典・根拠不明の断言や参考・引用文献の不備(巻末の文献一覧と文中に引用されている文献が一致しない)が目立ちます。

またタイトルが『明治維新の正体』であるならば、まずは『明治維新』という言葉がいつから使われるようになり、具体的に何を指しているのかを定義する必要があると思いますが、そういうことは一切言及されていません(原田氏の著書にはそれがあります)。

また、ペリー来航時(1853)の日本の軍事力について「当時の日本では飛び道具としてはせいぜい弓矢か火縄銃だ」(p27)と根拠なしに断言されていますが、それが史実ではないことはちょっとググればすぐに分かります。例えば火縄銃よりはましなゲベール銃は1831年から日本に導入されていましたし、大砲も「大筒」と呼ばれるものが戦国時代からあり、ヨーロッパの青銅製鋳造砲は徳川家康が取り入れ、その後それらを基に和製大砲が開発されていた(ウイキペディア「和製大砲」より)そうなので、ペリー来航時には少なくとも火縄銃ばかりでなく、ゲベール銃と和製大砲が飛び道具として存在していたことになります。

更におかしな発言は「明治三十八年、この諸説のとおり日本は列強の一角ロシアを屈服させる」(p118)です。確かに日本は日露戦争に勝利しましたが、それはロシア革命で敵国が弱体化していたからに過ぎず「屈服させる」という状態からは程遠い事態でした。

イギリスやアメリカと日本との関係史に詳しい人が見ればこの他にももっと「アラ」が見つかるかもしれません。

諸外国の幕末期の事情と日本との関係における思惑などを考慮し、大政奉還上表文というあまり注目を浴びないものを再評価したことは「ナイストライ」と思えますが、だからと言って鳥羽伏見の戦い後「たとえ千騎戦没してただ一騎となるとも退くべからず」と言い放って戦意をあらわにし、その翌日夜には「自ら陣頭指揮して反撃に出る」と宣言した翌日に自分だけ江戸に逃げ帰るような軍の指揮官としてあり得ない行動を「錦旗を掲げた者は、たとえ何ものであっても、官軍」とかいう神保修理の訳の分からない尊王論に説得された(p300)という理由で正当化できるものではありませんし、「国家万民のため、渾身の力を尽くして」(p314)などと称賛できるものでしょうか。形式的な尊王論を守るためと言うなら官軍となった薩長軍に恭順の意を示し、兵たちを守るために自分の身を拘束されてでも幕府軍が平和裏に交代できるように交渉すべきだったのではないでしょうか。それをせずに自軍をほったらかしにして自分だけ江戸に帰ったことは「渾身の力を尽くした」という称賛に値することでしょうか?

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