人気作家チヨダ・コーキの小説で人が死んだ――というところから物語が始まりますが、本編はそこからいきなり10年飛んで、いきなり脚本家・赤羽環が登場するので、チヨダ・コーキとの関連性が全く見えずに少々イラつきます。この赤羽環が『スロウハイツ』のオーナーで、コーキがここの住人であること、その他の住人も漫画家や映画監督や画家の卵で、共同スペースの多いこのアパートで共同生活を送っていることが分かるまでに少々時間がかかります。
上巻は住民の紹介を兼ねてそれぞれの生い立ちや事情、赤羽環との関わりやスロウハイツに住むようになったきっかけ、現在の人間関係や悩みなどが主に描かれます。出て行った元住民のエピソードも。その中で、クリエーターならではの創作の厳しさなども語られています。
そして空室だったところに新しい住人がコーキの担当編集者である黒木の意向とコーキ本人のお願いによって入ったところから空気が変わっていきます。新住人の加々美莉々亜は新潟出身の小説家でコーキの大ファンで、コーキに異様に接近しようとします。住民たちは引きこもりでコミュ障の作家・コーキについに恋愛のチャンスが訪れたのかもと生暖かく見守りますが、オーナーの環の様子は若干変になっていきます。
そんな中浮上するのは、10年前の事件で非難の嵐に襲われ執筆できなくなっていたコーキを救ったという「コーキの天使ちゃん」の話。彼女は当時中高生で、新聞にほぼ毎日コーキを擁護する手紙を書き、128通も書き続けた熱意が伝わり、ついに新聞に掲載され、それがコーキの立ち直るきっかけになったというもので、正体は不明。莉々亜はもしかしてこの「コーキの天使ちゃん」なのか?
ある嵐の日に代々社(コーキが主に執筆している出版社)からバイク便が届き、それを受け取った環は、宛名が雨でにじんで見えなくなっていたために開封し、驚愕したところで下巻へ。
下巻では画家志望の森永すみれが同居していた長野正義と別れて、別の(問題有り)恋人と一緒に住むためにスロウハイツを出るエピソードから始まり、「バイク便の謎はどうなった?」とじらされることになりますが、その謎もその他の伏線もすべてきっちり回収されます。そしてスロウハイツは環の渡米の話をきっかけに解散に向かいます。
最終章の「二十代の千代田光輝は死にたかった」で、それまでのエピソードで端々に現れていたコーキの過去がまとめて語られ、さまざまな疑問が解かれます。コーキの環に対する秘めたる思いと、環のコーキに対する周囲にもばれていて、本人も諦めてる思いがずっと噛み合わないままなのがとても切なく悲しい。でも二人が結ばれてしまうよりも味わいがあっていいと思います。
この作品中で話題にされている「心に響くかどうか」でいえば、響いてはいませんね。いいお話だとは思いましたけど。
少し残念かも、と思ったのがコーキが福島に里帰りしたことでしょうか。飯館村とかも登場するのですが、この作品が発表されたのは2007年で、当時は「福島」も「飯館村」も多くの人にとってただの(といったら語弊があるかも知れませんが)東北の地名に過ぎなかったと思います。田舎ののどかな田園風景や美しい山間などが連想されたかもしれません。でも、311後の今この作品を読むと、違うイメージがオーバーラップしてしまいます。そこに違う意味で切なさを感じてしまいます。