いきなり脳腫瘍~病名が聴神経腫瘍→右脳腫瘍→右小脳橋角部髄膜腫。手術後に東日本大震災、2度目は右顔面神経麻痺~

最初の病気の告知から入院・手術と順繰りに回想…はブログの頭(2012.4.7開始)の方、2018.3の再手術で障害を負う

自己紹介

2012-04-08 09:26:13 | 自分のこと
病気の告知から、手術前検査通院、入院・手術・退院、その後の外来まで、
退院後に会社を仕事休み中に、思い出しながら詳細な記録をワードで作りました。
(この間に東日本大震災が起きた)
それを貼っていくだけでも相当の分量ですが、
その前に、も少し自己紹介かな。

生息地は、首都圏です。
通勤や帰りのスーパーでの買い物時間を含めて、毎日お勤め11時間。
休日は、掃除、大きい洗濯、母の入浴や車椅子散歩の介助。
食事はパックご飯に出来合いのお惣菜で、料理を全くしないので、
6時間睡眠は取れてるけど、毎日ばたばたです。

いつからかな、恐らく十年前には、全身の不調があり、すぐに車酔いし、
手術の4年前頃から激しい耳鳴り、2年前頃からふわふわめまい、
やがて眼振が起き、おととし秋頃から同じ位置に立っているのも辛くなりました。
耳鳴りが起きてからは、耳鼻科病院3ヶ所に行って、
聴力検査で中低音域の聴力低下が確認できても、
「他は異常がない」とか「耳鳴りはそのうち慣れる」とか言われて。
3番目の耳鼻科が、偉そうな対応をされどっさり薬を出し続けられて、一番酷かった。
原因不明で仕方なし…この時期、母の状態も悪化していたので、
疲れと精神的ストレスだと思っていました。
確かにそれもあったでしょうが、裏に重大な病気が隠れていて・・・

今でも、外見上全くわからなくても健常者ではないと
自覚してますが、世間は厳しいわ。
この冬、12-1月も、長時間寒いとこで歩き仕事をしたのですよ。
毛糸の帽子をかぶって。
脳の病気の大変さが認知されていないと、痛感しました。
そんなことも、おいおいと。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 初めてブログを始めました。 | トップ | 脳腫瘍告知の瞬間 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こちらから失礼します。 (yo-サン)
2019-08-16 21:01:07
長年、ご苦労をなさって来られたのですね。
まだ全文の拝読は出来ていないのですが、私も
同様の体験をしていますので、一言メッセージを
させて頂きます。

実は私、不特定の公開はしていませぬのですが、
貴方の病状等を拝読して、私も同じでした。
7年前に親しい内科の開業医から、医大耳鼻科へ
紹介状を書いて頂きCT、MRI等の検査結果、脳腫
瘍でした。経過観察ばかり2年間でした。
その後、2週間の開頭手術と言われました。左聴覚
は失うので人工内耳云々と。

それでセカンドオピニオンをとり、県外の最先端医療
施設でサイバーナイフ治療を受けました。全くメスは
入れずに放射線治療です。準備期間は少しありまし
たが入院は1日入院(日帰り)でした。
一応寛解ですが、今は1年に1回検査受診しています。
しかしながら、耳鳴りなどの症状は残っています。
また、母を8年間の在宅老々介護でした。昨暮れに身
罷り、こ年は初盆でした。しかしながら今尚心残る日々
です。
すみません。長々と私事を連ねました。何だか共感しき
りでつい。どうぞご寛容にお願い致します。
また、お邪魔させて頂きます。暑さまだ残りますこの頃、
どうぞご自愛なさって下さいますよう念じつつ、失礼致し
ます。
返信する
ありがとうございます (みなみ)
2019-08-16 21:35:32
なんとご挨拶すればよいのかわかりませんが、
大変でしたね、
私もまだ自分のことばかりで余裕がありませんが、
おいおいと拝読させていただきます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

自分のこと」カテゴリの最新記事