私は横浜住いなので、被災した内に入らないが
(市内でも海沿いの土地が陥没したりはあったが)、
テレビを通して見た光景と、ACのCM音は、
いつまでも心に重く残っている。
そして個人的にはどうしても、
一回目の手術とセットの記憶になっている。
手術を受けることが決まってから不安で
メンタルをやられた日々を過ごし、
ようやく手術を受け、ICUに入って吐きまくり、
一般病室に戻っても数日間頭を固定されて
身動きができず拷問のよう、退院して家に戻ったら、
東日本大震災が起きた…
計画停電もバッチリあり(後になって知ると、
計画停電が実施されない家の方が多かった)、
術後の身体で暖房がなく寒さに震え、
品不足で、寒い中長時間、スーパーに並んだ。
被災はしなかったが、術後だったから、
心身の負担は大きかった。
…被災された方々を思えば、何でもないことだが、
あの前後数ヶ月は、地獄絵図として、
死ぬまで一生、私の中にも残っている。
東日本大震災で当時37才の父親と 祖父母を津波に飲まれました。
お父さんは生きていたら現在49才の若さで 私の子どもとそう変わらない年齢です。
そんなことや12年前のこの日 定年退職を2ヵ月後に控えた私は
後任者に業務引き継ぎ書を せっせと作っていたことなどが
思い出されます。
12年前の大震災直後に みなみさんは大手術を受けたのですね。
そのことはみなみさんの 冒頭の自己紹介にも書かれていますが
退院後も震災のため 暖房が取れないなどのつらい目にあいましたね。
つらいことを数々経験されましたが 今現在体に気をつけつつも
お元気になられて 本当に良かったと心から思います。
まだ連れて行くには早すぎる 生きてお母様の面倒を看なさいよと
神様が決めたと思うんですよ。
みなみさん 私が勝手に書きたいことを書いていますので
お返事は要りませんよ 早くおやすみなさい。
あ 今試合が終わりました。朗希投手が勝利インタビューを受けています。
これを見て私もうるうる・・ 涙もろくなりました。
それ以上に多くの方の命が一瞬で失われ、
その何倍もの方々が大切な人を失っておられるので、
私は自分の病気と合わせて思い出してしまいますが、
(東北の方々に比べれば)何でもないことなんだよと、
そのことは忘れないようにしようと思います。
ありがとうございました。
私が知らない事の方が、きっと多いです。
…ごちゃごちゃしているんですか?
その件は、私も少し出し始めていますが…