いきなり脳腫瘍~病名が聴神経腫瘍→右脳腫瘍→右小脳橋角部髄膜腫。手術後に東日本大震災、2度目は右顔面神経麻痺~

最初の病気の告知から入院・手術と順繰りに回想…はブログの頭(2012.4.7開始)の方、2018.3の再手術で障害を負う

12年経ったのね

2023-03-11 21:39:30 | 大震災・余震
私は横浜住いなので、被災した内に入らないが
(市内でも海沿いの土地が陥没したりはあったが)、
テレビを通して見た光景と、ACのCM音は、
いつまでも心に重く残っている。
そして個人的にはどうしても、
一回目の手術とセットの記憶になっている。
手術を受けることが決まってから不安で
メンタルをやられた日々を過ごし、
ようやく手術を受け、ICUに入って吐きまくり、
一般病室に戻っても数日間頭を固定されて
身動きができず拷問のよう、退院して家に戻ったら、
東日本大震災が起きた…
計画停電もバッチリあり(後になって知ると、
計画停電が実施されない家の方が多かった)、
術後の身体で暖房がなく寒さに震え、
品不足で、寒い中長時間、スーパーに並んだ。
被災はしなかったが、術後だったから、
心身の負担は大きかった。
…被災された方々を思えば、何でもないことだが、
あの前後数ヶ月は、地獄絵図として、
死ぬまで一生、私の中にも残っている。

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3 コメント

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みなみさんへ (くりまんじゅう)
2023-03-11 22:44:14
今夜WBCデビューした佐々木朗希投手は 12年前の9才時に
東日本大震災で当時37才の父親と 祖父母を津波に飲まれました。

お父さんは生きていたら現在49才の若さで 私の子どもとそう変わらない年齢です。
そんなことや12年前のこの日 定年退職を2ヵ月後に控えた私は
後任者に業務引き継ぎ書を せっせと作っていたことなどが
思い出されます。

12年前の大震災直後に みなみさんは大手術を受けたのですね。
そのことはみなみさんの 冒頭の自己紹介にも書かれていますが
退院後も震災のため 暖房が取れないなどのつらい目にあいましたね。

つらいことを数々経験されましたが 今現在体に気をつけつつも
お元気になられて 本当に良かったと心から思います。
まだ連れて行くには早すぎる 生きてお母様の面倒を看なさいよと
神様が決めたと思うんですよ。
 
みなみさん 私が勝手に書きたいことを書いていますので
お返事は要りませんよ 早くおやすみなさい。

あ 今試合が終わりました。朗希投手が勝利インタビューを受けています。
これを見て私もうるうる・・ 涙もろくなりました。
返信する
東北の被災者の方々は (みなみ)
2023-03-12 09:16:20
家や仕事等の大切な居場所を失ったり、
それ以上に多くの方の命が一瞬で失われ、
その何倍もの方々が大切な人を失っておられるので、
私は自分の病気と合わせて思い出してしまいますが、
(東北の方々に比べれば)何でもないことなんだよと、
そのことは忘れないようにしようと思います。

ありがとうございました。
返信する
非公開希望さん (みなみ)
2023-03-12 21:31:41
それは思い当たらないので、私は読んでいないと思います。
私が知らない事の方が、きっと多いです。
…ごちゃごちゃしているんですか?

その件は、私も少し出し始めていますが…
返信する

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