老後の日々

果物に野菜作り等、
今では趣味にして気間々にやっています。

こんな悲劇を知る

2007年11月23日 | Weblog

テレビで学徒兵、「許されざる生涯」と言う番組 昭和18年10月、学徒出陣があり、 大学生が根こそぎ戦場へ出た。

A老人はその時、陸軍飛行少尉となった。飛行兵が不足していた。

昭和19年後半、レイテ海戦から海軍航空隊は体当たりの特攻を採用した。

やがて陸軍も、となり、希望者の調査があった。A少尉は「希望せず」 に丸を付けた。大学生だから、生命の大切さを思う者が多かった。

だが結局「熟望する」に丸をつけなをした。知覧基地を出て沖縄のアメリカ軍艦に突入する。出発 したら生還しない特攻である。

だが大変多くが生還した。理由は、使った九七式戦闘機は旧式で、故障続出、エンジンが止まり、不時着する、A少尉も乗り込んだかが、エンジンが動かなかった。

特攻に出て戦死したと報告済みの者が生還する。上官達は困り、福岡にある振武寮と言う大きな建物に収容して、外部との接触を断った。

毎日なぜ生還した。おまえらは国賊だ、と攻められ、自殺する者もあった。

明日死ぬという出撃の前夜、教員希望だった友人に感想を聞くと、もし生き返ることが出来るなら、戦争のない国に生まれて、「学校の教壇に立ちたい」と言った。

A老人は涙を吹きながらこの話をした。
テレビの前で私も絶対に戦争のない国にしなければならないと思う。