古里に兄夫婦が居るのですがなかなか行くことが出来ません。それでも例年に比べると今年は数回行く機会があった。
いつ訪れても嬉しい話などはない。人が亡くなったり、廃屋が増えたり、やがては古里に来ることも無くなるのではないかと思いながら短い時間を過ごしました。
私の生まれ育った村は勝浦川の支流、当時、本流の方にはトロッコ道なのに、私の村までは物心ついた頃から道路あり小学校は片道4 キロ中学になると3 校合併で7 キロだったが 、
他の村の子よりは道路伝いなので雪の降った日などはとても助けられた。
また、なぜか 他の村に比べると人工も少しは多かったし、これも他に比べると大きな立派なお寺が有ります。
そこの住職さんが亡くなり、その後住職さんを迎えるに当たってお寺を建て替えました。
私が小学校の高学年でした。間もなく若い住職さん、まだ十代 だったのでしょう。当時は数十人の坊さん達が集まり大きな儀式が行われたのを憶えています。
やがてお嫁さんを迎え、村も華やかな時期だったのでしょうか。ですから現在もお寺としては古い物ではありませんし 、
住職さんも高齢では無いのですが亡くなったとの事でした。
この住職さん私にとっても恩人なんです。私の父は子沢山を残しての戦死でしたから、朝は姉達に起こされお弁当は作ってもらえるのですが、
ぐずぐずする私たちをかまっていては自分達が学校に遅れるので先に出かけてしまいます。
それから出かけても忘れ物があったり、用がしたくなったりで何時も走って学校に行くことが多かったのですが 、そんなとき村役場に勤めていた若坊さん、
後から自転車で来て荷台には自分のカバンを積んでいるのにその上に私をまたがらせて走ってくださる。
時にはタイヤの空気が少ないから走って行くと言っても、かまわないと言って乗せてくださった。ただカバンの上にまたがった事が当時とてもおそれおおきことのように思えた。
今年の春、兄の家で法事があり、その時話をしたのが最後になりとても寂しい思いです。