老後の日々

果物に野菜作り等、
今では趣味にして気間々にやっています。

今年最後の大きな声で言いたい愚痴

2007年12月09日 | Weblog

ハッキリ残る幼い頃の村での葬式、人が亡くなると口伝いでみんなに知らせる。隣村にも口でしかない、日暮れになくなった従兄、その弟の子と二人で提灯の灯りで山を登り峠を越して遠い村まで知らせに行った思い出がはっきり残っています。
知らせが来るとまずはお悔やみに、その時、婦人達は明日からみんなが来て食べる料理の打ち合わせ材料の持ち寄り、男性達は葬儀に使うものはすべて各自の材料で手作り。若衆達は土葬のため墓場で穴掘り、誰から指示を受けるのでもなく自分の判断で手の少ない方に行く。

損得など無いみんな無償で働く喜びの顔だったと思う。特に穴掘りなどした若衆の顔などは。子供の私にはどんな作業たが分からないが 、 無くなった日から3日間はみんな集まっていました。当然お坊さんも3回はその家に出向いていました。そのお礼もお心任せ、みんな自覚していてお金のある家はそれなりに出すようでした。しかし年間何度もないことで住職さんの生活はなり立ちません。

そこで村人は何かある事に「寄り合い」を開いて住職さんの生活も支えていたようです。それまでは村人との絆も深く お寺の境内は子供達の遊び場、だれがいなくても和尚さんがいる、そんな場所だったのだと思います。やがて若い住職さんになると子供達が集まるのを好まなくなり、境内を花畑にし狭くなったのと、村役場に勤めるお坊さんは安定した収入に対して村人は楽な生活ではなく、

村からの援助も途切れたのではないかと思うのですが、とにかく戦後10年も過ぎ、この頃から既に私の村に限らず人間が変わり始めていたように思えてなりません。当時母から聞いた言葉に、人が亡くなった時だけはお金は無くても葬儀はしていただけるとの言葉が残っています。そして現在お坊さんは請求書こそ出しませんが、葬式、法要など料金は決まっているようです。

 


二 話

2007年12月09日 | Weblog

今、私が住んでいるところにも小さいけれど立派なお寺があります。そこにやがて90才にも近い和尚さんがいました数年前ここもお寺を建て替え、その後まもなく引退して近くの小さなお寺にいますが 、この和尚さん、私の母が亡くなった時、何も言わなかったのに、立派な戒名を頂きました。いくらお支払いすればと聞きますと、お心任せと言って僅かなお金しかとってくれませんでした。

理由は戦場に出向いた主人の後、留守を守った人だから、主人の位に価値する戒名を与えてあげるのは当然のことです、と言ってくださいました。他のお寺では大きい金額と聞いていたし、今の時代こんな人がいるとは思ってもいませんでした。感謝は勿論ですが頭の下がる方です。

私としてもこのままではいけないと思っている時、お寺の建て替えと言う事になり数ヶ月後寄付を集める知らせが回り、そこには和尚さんの住宅も含まれています。我が家としては、さすがにトップの金額は出せませんでしたが二番目の金額を、ほんの一部でもと恩返しのつもりで納めさせて頂きました。 ここまでが私の幼い頃から知る、庶民と和尚さんのイメージです。

ごく最近人が亡くなった時から居合わせた葬儀があるのですが。何処のご家庭にも外交が行き届いていて、冠婚葬祭に供え、会員制にして積み立てをしたり、事があるとすぐ来てくださり段取りをしてくれる便利さがあります。この家庭も無くなったすぐ連絡をしてあったのでしょう。正午過ぎ腰を低くした青年の方が来まして、早速ですがと、、葬儀の進め方の説明を始めました。

そして祭壇は3種類あって、ごく小数で行うところと、一般には使用料48万円と80万円  のがありますが、今回は4件の葬儀が決まっていて48万の祭壇は既に予約済み、80万の方しか残っていないと話しています。それが駄目なら日を改めてと?..葬式なんですよ?  そこに死人がいます、みんなに連絡もしてあります。祭壇がないから明日にしますなんて言い直せますか? ...  そこの奥さんその金額の差に言葉を失っている。息子さんも納得のいかないようす、


三 話

2007年12月09日 | Weblog

気の毒に思ったので私がみんなに連絡をしてからまだ時間も過ぎていないからもう一度電話をすればと横槍を入れる事に。そこは葬儀や、親類は良いとして町内などは口伝えに広まっているのでどうだろうと言いながら値引きが始まります。48万の祭壇が無い場合に限り飾り物などを替えることにより近い金額に出来ますとのことで結局それに収まったのですが、確かに一日借り切りです。

でも、その前に座る時間は僅か1時間30分ほどです。手に触れることなどありません、傷つくことも汚れることもありません。作るのにいくらかけているのかは分かりませんが、ほとんど毎日利用しているものです。もう少し安く利用させてはもらえないものなのでしょうかね。 それに食事からおみやげまでみんな葬儀屋の手配です。つまりマージンの含んだものです。総額にし120万ぐらいでしょうと言っていました。

前書きが随分長いのですが言いたいのはここからも続きます。 お坊さんに時間を連絡しておくと自分の車でその時間に会わせて来てくれます。拝む時間2回で50分ぐらいでしょうか計ってないのではっきりは分かりません。拝み終わるとにっこりと頭をぺこぺこ下げながら会場を後にします。後でお金とおみやげ、食事も折り詰め出来る物は一緒に届けるしきたりだけは残っているようです。

そしてお坊さんにはお礼と言う名目になっていて20万から30万円が 相場だそうです。皆さんあまり関心のないところなのですが誰もが一度はお世話になるので、高齢化と温暖化で夏場はこれぐらいと、それは仕事だからちゃんと計算できているかもです。一般の家庭ではその金額も気にならないかも知れませんが、学校の給食費も払えない家庭も増えていますし、生活するだけでも大変な家庭だってたくさんあります、この家庭も主人が病弱で病院を出たり入ったり10年の歳月が過ぎてるそうです。

初めの頃は年金のもらえる年齢でもなく、病院代もかさみ子供もいて大変だったようでが後になっても奥さんが働いて生活しながら病院の支払い、残すお金など出来ないでしょう。それでもいつか我が身がと少しづつ貯めているお金、それをはたいても足りない金額。せめて仏の道に仕えるお坊さんビジネス化してしまったとはいえ、ほんの少しも情は無いのでしょうか??....