さて、前回に引き続き、憲法についてのお話です。
日本を護るにあたり、自衛隊のままではいけないのか?
という点についてですね。
自衛隊のままで護れない、とは思いませんが、
極めて困難だと思います。
というより、
護ってもらう国民の立場でみるなら、極論はどちらでもいいのかもしれません。
ですが、護ってくれている自衛隊の立場で見るなら、改正すべきだと考えます。
だって、
攻撃できないんですよ?
敵がそこにいるのに。
そこで狙っているのに。
…敵が攻撃してきてるのに!
反撃してはいけない、ってふつうに考えておかしいでしょ?
合憲派だろうがなんだろうが、ここは民主主義国家で、
言論と思想の自由が保証されていますから、
そんなものは個人の自由ですからそれはとやかく言いませんが、
憲法9条を死守!と叫ぶ人たちに、これだけは言いたい。
それを叫ぶあなた方が、最前線に出て、
敵に攻撃されることは絶対にない。
あなた方は、
常に安全で平和な所にいるだけだろうが!と。
だからそんな、寝言のような事が言えるんですよ。
敵に身をさらし、攻撃を受けても反撃が許されない中、
それでもなお、任務をしなければならい状態を、
ほんの少しでも想像してみたらいいと思う。
自分自身や、自分の大切な家族がそのような立場におかれてもなお、
そうその人たちは考えるのだろうか?
一切の軍備を放棄というが、
日本に敵が攻めてきて、
あなた自身や、あなたの妻や子供に恋人に、銃口を突きつけてもなお、
そんなことが言えるのだろうか?
軍備や軍化というと、
「戦争反対!」とアレルギー反応を起こす人は多いが、
軍化すること、国防軍を保有することと、戦争をすることとは、イコールではありません。
完全に違う話です。
護憲派はそこを単純に結びつけることで、
国民感情を、護憲側へバイアスをかけようとしているだけ。
憲法に則っていえば、
日本以外は「平和を愛する諸国民」らしいので、
軍備なんぞ持たなくても平和で、
なまじ持つから、刺激して攻撃されるという論法を振りかざしてくるのが、
この人たちですよ。
そんなわけあるか!(笑)
軍備を持たないから、攻撃してくるんです。
攻撃してこないとわかっているから、
安心して領海を侵犯してくるんですよ。(しかもしょっちゅう!)
現に、民主党時代、防衛費は削減されてきましたが、
それに呼応するように、中国は日本領海を侵犯し始めました。
泥棒は、警備が手薄な家を狙いますよね?
もう一度いっておきますが、
改正派は、戦争をしたいわけでも、戦争に賛同しているわけでもないんです。
自国は自国の手で護られるべきだと、ごく当たり前のことを言っているだけです。
この一年間、陸・海の、士官の自衛官の幾人かと知り合い、お話をさせて頂きました。
みなさん、それぞれに人格的にも素晴らしい方たちで、
…これは私の感情論ですが、
この方達が、戦場に行く姿なんか、絶対に絶対に絶対に、見たくありません。
戦争に賛同もしません。
絶対いやです。
ですが、彼らが任務を遂行するにあたり、
現行憲法では、彼らが能力を最大限に発揮できないということは、
その現場にいる自衛官にとって、どれほど忸怩たる思いをかかえることだろうかと、
考えずにはいられません。
ソマリア沖の海賊対処の話1つとっても、
法整備が整わない中、
危険な任務につき、
手足を縛られているに等しい中で、
任務をこなさなければいけないという状況を、
護憲派の人たちは、少しでも想像してみたらいいのです。
行く必要がないというかもしれませんね。
ですが、日本は海洋国家で、貿易の実に約90%は船舶による運搬に依存しています。
職務として、運搬に従事している民間船の乗組員の心情だけでも、せめて慮ってほしいものです。
で、そこで自問してほしいものです。
自分なら、その任務をその状況でこなせるか、と。
参考までに、ソマリア海賊対処について
とてもよくまとめてある動画がありますので、
リンクをご覧下さい。
9条を守るとか言っている人達は、
日本の商船を守るために、こんな危険地域に、
危険な仕事をしに行くことはないのだろうし、
しに行こうとも思わないでしょうね。
だから、平気でそんなことが言えるのでしょうよ。
というか、普段そうことを平気で言っているくせに、
ピースボートなんかは、ペルシャ湾を通過する時は、
違憲だなんだと言っている相手から、何食わぬ顔で護ってもらっているわけです。
失礼にもほどがあると思います。
そういう時だけは、日本国籍の船だから、自衛艦から護ってもらうのは当たり前だっていうのでしょうね。
そういう種類の人達が、基本的に合憲派だと私は思います。
つい先日、戦争を体験された方とお話する機会を得ました。
そのおじいさんが語られたことは、
「戦争は、あれだけは二度としてはいけない。経験したものでないと、
あれは、絶対に分かりませんよ。戦争経験者が、生きているうちは
まだいいですよ。ですが、いつかはみんないなくなる。
その時がねぇ…心配ですね…。
だからこそ、日本は自分自身で自分の国を護れないといけない。
攻撃されるまで、待っていなきゃいけないなんて、そんなバカな
話はありませんよ」
と。
無抵抗の状態で、
敵が上陸した時、どんな状態になるか少しくらい想像力を働かせてみてほしい。
特に女性は、確実に悲惨な目に合いますよ?
どうしてもイメージがわかない方は、
南京虐殺のページでも読んでみて下さい。
ちなみに、これ、日本軍がやったのではありませんから。
元になっているのは、
通州事件という読むのが気持ち悪くなる事件が、当時ありましたが、
(勇気がある方は、リンクからどうぞ)
私は、これを読んでめまいと吐き気に襲われ…気分が悪くなりました。
この話がもとになってでっち上げられたのが、南京虐殺ですね。
ここまで、危険を煽る必要もないとは思いますが、
憲法を変えようとすると、眉をひそめる人達は、
憲法という国家の根幹を、
元の敵国が押し付けたものを、60年以上も粛々と護ってきた事を、
是としているわけで、
かつ、
ことさら、正しく憲法を理解するなどという言葉を使って勉強会するあたり、
胡散臭さを感じざるを得ないのです。
こういう言葉使うの好きですね、彼らは(笑)
あとは、「市民」とか「団体」という言葉を好みますね。
日本人のフリした人たちとか、
日本が嫌いな人たちは。
そういえば、この前、九死に一生を得た、
辛坊氏は「この国の国民でよかった」という言い方をしましたね。
日本人なら、日本人でよかったという言葉を使うと思うのですけど…。
注意深くいると、変だな?と思うことがたくさんあるのが、この国です。
マスメディアが発信する情報は、特にです。
憲法改正についても、いろんな人の様々な思惑があるので、
自分なりに発言の意図を読み、
自分はどちらを指示するかを自分で考えて決めれば良いと思います。
ただ、もう、どうなるか、
既定の路線となっているであろうことは、間違いないと、考えますが…。
総論。
9条にかかわらず、
敗戦を期に、わずか数名の連合軍スタッフによって9日で作成した憲法を、
敵国が、日本を崩壊させることを意図して押しつけた憲法を、
遵守する理由も正当性も、何一つ見当たらないと愚考する次第です。
国家の根幹をなす、憲法の作成は自国民の手によって行われてしかるべきでしょう。
当たり前のことです。
日本を護るにあたり、自衛隊のままではいけないのか?
という点についてですね。
自衛隊のままで護れない、とは思いませんが、
極めて困難だと思います。
というより、
護ってもらう国民の立場でみるなら、極論はどちらでもいいのかもしれません。
ですが、護ってくれている自衛隊の立場で見るなら、改正すべきだと考えます。
だって、
攻撃できないんですよ?
敵がそこにいるのに。
そこで狙っているのに。
…敵が攻撃してきてるのに!
反撃してはいけない、ってふつうに考えておかしいでしょ?
合憲派だろうがなんだろうが、ここは民主主義国家で、
言論と思想の自由が保証されていますから、
そんなものは個人の自由ですからそれはとやかく言いませんが、
憲法9条を死守!と叫ぶ人たちに、これだけは言いたい。
それを叫ぶあなた方が、最前線に出て、
敵に攻撃されることは絶対にない。
あなた方は、
常に安全で平和な所にいるだけだろうが!と。
だからそんな、寝言のような事が言えるんですよ。
敵に身をさらし、攻撃を受けても反撃が許されない中、
それでもなお、任務をしなければならい状態を、
ほんの少しでも想像してみたらいいと思う。
自分自身や、自分の大切な家族がそのような立場におかれてもなお、
そうその人たちは考えるのだろうか?
一切の軍備を放棄というが、
日本に敵が攻めてきて、
あなた自身や、あなたの妻や子供に恋人に、銃口を突きつけてもなお、
そんなことが言えるのだろうか?
軍備や軍化というと、
「戦争反対!」とアレルギー反応を起こす人は多いが、
軍化すること、国防軍を保有することと、戦争をすることとは、イコールではありません。
完全に違う話です。
護憲派はそこを単純に結びつけることで、
国民感情を、護憲側へバイアスをかけようとしているだけ。
憲法に則っていえば、
日本以外は「平和を愛する諸国民」らしいので、
軍備なんぞ持たなくても平和で、
なまじ持つから、刺激して攻撃されるという論法を振りかざしてくるのが、
この人たちですよ。
そんなわけあるか!(笑)
軍備を持たないから、攻撃してくるんです。
攻撃してこないとわかっているから、
安心して領海を侵犯してくるんですよ。(しかもしょっちゅう!)
現に、民主党時代、防衛費は削減されてきましたが、
それに呼応するように、中国は日本領海を侵犯し始めました。
泥棒は、警備が手薄な家を狙いますよね?
もう一度いっておきますが、
改正派は、戦争をしたいわけでも、戦争に賛同しているわけでもないんです。
自国は自国の手で護られるべきだと、ごく当たり前のことを言っているだけです。
この一年間、陸・海の、士官の自衛官の幾人かと知り合い、お話をさせて頂きました。
みなさん、それぞれに人格的にも素晴らしい方たちで、
…これは私の感情論ですが、
この方達が、戦場に行く姿なんか、絶対に絶対に絶対に、見たくありません。
戦争に賛同もしません。
絶対いやです。
ですが、彼らが任務を遂行するにあたり、
現行憲法では、彼らが能力を最大限に発揮できないということは、
その現場にいる自衛官にとって、どれほど忸怩たる思いをかかえることだろうかと、
考えずにはいられません。
ソマリア沖の海賊対処の話1つとっても、
法整備が整わない中、
危険な任務につき、
手足を縛られているに等しい中で、
任務をこなさなければいけないという状況を、
護憲派の人たちは、少しでも想像してみたらいいのです。
行く必要がないというかもしれませんね。
ですが、日本は海洋国家で、貿易の実に約90%は船舶による運搬に依存しています。
職務として、運搬に従事している民間船の乗組員の心情だけでも、せめて慮ってほしいものです。
で、そこで自問してほしいものです。
自分なら、その任務をその状況でこなせるか、と。
参考までに、ソマリア海賊対処について
とてもよくまとめてある動画がありますので、
リンクをご覧下さい。
9条を守るとか言っている人達は、
日本の商船を守るために、こんな危険地域に、
危険な仕事をしに行くことはないのだろうし、
しに行こうとも思わないでしょうね。
だから、平気でそんなことが言えるのでしょうよ。
というか、普段そうことを平気で言っているくせに、
ピースボートなんかは、ペルシャ湾を通過する時は、
違憲だなんだと言っている相手から、何食わぬ顔で護ってもらっているわけです。
失礼にもほどがあると思います。
そういう時だけは、日本国籍の船だから、自衛艦から護ってもらうのは当たり前だっていうのでしょうね。
そういう種類の人達が、基本的に合憲派だと私は思います。
つい先日、戦争を体験された方とお話する機会を得ました。
そのおじいさんが語られたことは、
「戦争は、あれだけは二度としてはいけない。経験したものでないと、
あれは、絶対に分かりませんよ。戦争経験者が、生きているうちは
まだいいですよ。ですが、いつかはみんないなくなる。
その時がねぇ…心配ですね…。
だからこそ、日本は自分自身で自分の国を護れないといけない。
攻撃されるまで、待っていなきゃいけないなんて、そんなバカな
話はありませんよ」
と。
無抵抗の状態で、
敵が上陸した時、どんな状態になるか少しくらい想像力を働かせてみてほしい。
特に女性は、確実に悲惨な目に合いますよ?
どうしてもイメージがわかない方は、
南京虐殺のページでも読んでみて下さい。
ちなみに、これ、日本軍がやったのではありませんから。
元になっているのは、
通州事件という読むのが気持ち悪くなる事件が、当時ありましたが、
(勇気がある方は、リンクからどうぞ)
私は、これを読んでめまいと吐き気に襲われ…気分が悪くなりました。
この話がもとになってでっち上げられたのが、南京虐殺ですね。
ここまで、危険を煽る必要もないとは思いますが、
憲法を変えようとすると、眉をひそめる人達は、
憲法という国家の根幹を、
元の敵国が押し付けたものを、60年以上も粛々と護ってきた事を、
是としているわけで、
かつ、
ことさら、正しく憲法を理解するなどという言葉を使って勉強会するあたり、
胡散臭さを感じざるを得ないのです。
こういう言葉使うの好きですね、彼らは(笑)
あとは、「市民」とか「団体」という言葉を好みますね。
日本人のフリした人たちとか、
日本が嫌いな人たちは。
そういえば、この前、九死に一生を得た、
辛坊氏は「この国の国民でよかった」という言い方をしましたね。
日本人なら、日本人でよかったという言葉を使うと思うのですけど…。
注意深くいると、変だな?と思うことがたくさんあるのが、この国です。
マスメディアが発信する情報は、特にです。
憲法改正についても、いろんな人の様々な思惑があるので、
自分なりに発言の意図を読み、
自分はどちらを指示するかを自分で考えて決めれば良いと思います。
ただ、もう、どうなるか、
既定の路線となっているであろうことは、間違いないと、考えますが…。
総論。
9条にかかわらず、
敗戦を期に、わずか数名の連合軍スタッフによって9日で作成した憲法を、
敵国が、日本を崩壊させることを意図して押しつけた憲法を、
遵守する理由も正当性も、何一つ見当たらないと愚考する次第です。
国家の根幹をなす、憲法の作成は自国民の手によって行われてしかるべきでしょう。
当たり前のことです。