今年も行ってまいりました、記念行事。
これも、防衛モニターとしての最後のお勤めです…たぶん。
というわけで、気合を入れていきます
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…ところで、この日、私、感謝状を頂くことになっておりました…。
感謝状贈呈式があるので、そのために0900時前には駐屯地入りすることに。
控室にまず通していただいて、しばらくして、贈呈式の会場(すぐ隣)に移動。
10人くらいの方が感謝状を贈呈されるようでした。
あ、ちなみに、防衛モニターには、全員に送られていましたので、別に私が特別何か貢献したわけではありませんので…悪しからず。
でないと、私が頂けるはずない(笑)
しかし、びっくりしたのは、駐屯地司令の大場一佐が一番最初の方に感謝状及び楯を贈呈される時、
部屋の後ろの方から、表彰時にお馴染みのあの曲
「ちゃ~
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が、音楽隊の生演奏で行われたことです
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生演奏で賞状頂くとか初めてですよ…。
以後、司令が一人一人の元に来られて手渡しをされる、という方式で、こちらが呼ばれて頂きに行く、というものではなかったのです。
こんな細かいところですが、自衛隊ならではのご配慮を感じずにいられません。
感謝状なので、司令が自ら贈られる方の元に足を運ばれての贈呈となったのではないかと思う次第です。
しかも、感謝状及び楯が置いてある机には3人の自衛官が配置され、司令に手渡すWACさんがさらにいます。
こういう一部の隙もない、きっちりした感じがさすが陸上自衛隊だなぁ…としみじみ感心しました
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また、よくよく聞いてみると、感謝状の内容がそれぞれ少しづつ違っているのです。
これだけでも、形だけの感謝状でないことがよくわかります。
こういうところも、本当に頭が下がります。
ちなみに、私が頂いた感謝状はこちら…
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この賞状の冒頭に、
「あなたはかねてから、我が国の防衛と自衛隊の任務について深いご理解を寄せられ普及に努められるとともに…」
と書いて頂いていることにとても感動しました…(ノД`)・゜・。
…これは、すごくうれしかったです…。
自衛隊には、こちらが感謝をしてもし足りない存在なのに、感謝状を頂く、というのは純粋にうれしさよりも、
「頂いちゃっていいのかなぁ」
という気持ちになるのですが、感謝状の冒頭の言葉に、とにかくじ~~~んと感動してしまいました。
そして、楯も頂きました。
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さて、この真ん中の黄色い部隊マーク菊龍にご注目くださいませ。
久留米駐屯地の歴史を遡りますと…。
≪菊兵団≫
尚武の地 久留米市は、明治時代から軍都として栄え、その精強ぶりは全国へ名を轟かせています。
第18師団(菊兵団)隷下部隊の歩兵第56連隊が昭和12年に久留米駐屯地に開設
菊兵団の(菊)とは、久留米第18師団の秘匿称号です。
秘匿称号とは、太平洋戦争(大東亜戦争)時の大日本帝国陸軍において、部隊の名称を秘匿するために用いられた暗号名です。
第18師団は、大日本帝国陸軍の一つで、日露戦争後の1907年(明治40年)と支那事変(日中戦争)勃発後の1937年
(昭和12年)に編成されました。
通称号は皇室の紋章「菊」を与えられた事から「国軍最強」を自負し、他の兵団からも一目置かれていました。
派兵や転属などで戦力を削がれながらも終戦まで粘り強く戦い抜いた誇り高き兵団です。
チャーチルからも蒋介石からも世界最強の兵団と言わせしめた、福岡県久留米市を拠点においた軍団です。
南京攻略、マレー作戦、コタバルの敵前上陸敢行、シンガポール攻略、ビルマに転戦。
~久留米駐屯地HPより転載~
そして、
≪龍兵団≫
大東亜戦争の準備過程で1940年(昭和15年)に新たに編成され、翌年1941年(昭和16年)に動員され運
用が開始された50番台7個師団の一つで、久留米第56師団の秘匿称号です。
「りゅう」ではなく「たつ」と呼びます。
既存の久留米第18師団(菊)とは、いわば兄弟の関係にあり、1942年以降は主に南方に作戦を展開し、ともに第33軍
(昆)隷下の2師団として、北ビルマ・雲南戦線の防衛の任務につきました。
したがって「菊と龍」と呼称されるが、これは「きくとたつ」と言うのが正解です。
主にビルマ国境に近い中国雲南省で戦闘、特に拉猛・騰越守備隊の戦闘は有名。
~久留米駐屯地HPより転載~
…つまり、帝国陸軍が誇る最強2つの師団の秘匿称号を重ねてつけられて「菊龍」となって、このマークが誕生したのです。
それにしても、皇室の御紋である「菊」を賜るとは…。
世界最強だから賜るのか、賜ったから世界最強なのか…おそらくその両方なのだと思いますが、
こういう精神性ってやはり、戦前は特に強かったのは疑いないですよね。
「皇室の御紋を頂いているからには、その名に恥じぬ師団でなければならない
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当時の方々に聞かずともわかろうというものです。
それにしても、海上自衛隊と比べるとどうしても、戦前の陸軍の伝統が残っているとは言い難い陸上自衛隊ですが、
それでも、完全に払拭されているのではなく、やはりこうして、先人の魂と伝統が受け継がれているところがある、
ということが分かると、ホッとするというか、うれしくなります。
よかった~残ってて( *´艸`)…っていう感じです。
さて実は、この贈呈式の時、もう一つ気になることがありました。
最後に贈呈されていた方が、かの「一番長い日」に出てこられるあの大将閣下と同じ姓の年配の男性だったのです。
確認できなかったのですが、この方、陸上自衛隊のOBでいらしたようですので、
高い確率で・・・・・・そうなんじゃないかなぁ、と勝手に思っているのですが…。
珍しい苗字ですしね。
海上自衛隊もそうですが、陸上自衛隊にも、戦前の将軍クラスの方の曾孫さんとか子孫の方がいらっしゃるんですよね。
他にも、私はお会いしたことがありますので。
よく「代々、武門の家柄」という言葉を小説なんかでは見ますが、
現実的に現代の日本にも結構あるんだなぁ…と思うことが、少なくありません。
つまり、帝国陸軍人の曾祖父→祖父→陸上自衛隊の父親→陸上自衛隊の息子…というような方や、
同様に海軍バージョンの方も、けっこういらっしゃるのだなぁと驚きます。
その方が気になりながら、感謝状贈呈式が終了します。
最後に、玄関前に出て記念撮影とのことで、そのまま記念行事に向かうとすると、この感謝状及び楯はどうしたらいいの?
と思っていたら…
「感謝状と楯は、そのまま机の上に置いておいてください。後ほど、お帰りの際に広報室まで取りに来ていただければ大丈夫です」
…さ、さすがです
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感動したまま、玄関に向かい、司令の隣の席に名前が書いてありましたので、僭越ながらその席で記念撮影。
にこやかに撮影を終えて、式典開始まで解散です。
さて、式典のお席はどこかな~~~
…ってところで、続く…(笑)