…まずは、震災で亡くなられた皆さまに哀悼の意を表します。
そして、震災後、復興に取り組まれている皆さま、
現地で必死に頑張る皆さまに、深く敬意を表します。
…当時、東京で、
あの日はさすがに、夜、怖くて寝付けなかったこと、
店頭から食料等が消えたことなどを思い起こし、
あの地震の一端を経験したことが、
確かに事実なのだということについて、4年の歳月を重ねると、少し不思議な気がします。
自分自身は、特に何か大きな変化があったことは、これと言ってないのですが、
この日を境に、生き方や考え方を大きく変えた方は少なくないようです。
さらに、歴史上の大きな転換期を迎えた組織があります。
いうまでもなく、自衛隊です。
私も、当時、最初はインターネットで、自衛隊の様々な活躍を拝見していました。
それからしばらくして、
ある陸上自衛官から、直接、当時のお話を聞く機会があり、
アメブロの方で紹介した、桜林美佐さんによる
「日本に自衛隊がいてよかった」
を読んで、涙が止まらず、改めて自衛隊に敬意がこみ上げ、
さらに、実際に、様々な自衛官から直接いろんなお話を伺う機会もあり、
いろんな面から、この4年前の震災を知るという、貴重な機会を頂きました。
先日も、このブログ内で「桂駐屯地での防衛講和」で、
震災についてのお話を伺ったことを書きました。
そして、
この時の自衛隊の様子がメディアに取り上げられ、認知されるようになるにつれ、
国民の自衛隊にする見方が、ガラッと変わり始めました。
先ごろ発表された「自衛隊の好感度が92.2%で過去最高」の文字が、ネット上を賑わせました。
戦後初めて、ようやく、自衛隊が報われる時代が到来したと言っても過言ではないでしょう。
ファンとしてはうれしい限りです…が、
私は、少し思いを致す部分がありました。
このニュースを見て、脳裏をかすめたのは、OBさんや退官近い世代の現役さん達から伺った、
「石を投げられた」
「難癖つけられた」
「暴言を吐かれた」
「防大の時、帽子を取られて捨てられた」
…等々のお話です。
ネット上にも、過去、自衛隊が受けた様々な誹謗中傷の記録もあります。
読んでいて、人間ってどうしてそんなに残酷なことが平気で言えるのだろう?
と、本気で苦しくなり、悲しくなります。
そんな中で、自衛隊を去っていた人たちもいますが、
そんな思いをしながらも、なお、自衛隊に居続け、
それでも、日本を守り続けてくれて、
国を護るという想いを、60年間繋ぎ続けてくれた方達がいるということを、
絶対に、私たちは知っておかねばならないし、忘れてはならないのだと思います。
今が評価され、認められているからいいじゃないか、ではなく、
そういう不遇の時代を、それでもなお、耐えてきてくれた自衛官の皆さまによって、
今という時代を迎えられたのだということを、ぜひとも知っておいて頂きたいのです。
同時に、自衛官の多くは、
うれしくないことはないけども、喜んではいけないという想いがあることも。
彼らは、あの吉田茂元総理の訓示に示される通り、
自衛隊が国民に歓迎される事態が、国難に際してであることを、実感してしまっているから…。
よかったね
と言いたかったけども、なんとなく、それは憚かってしまいました。
別に、私が憚る必要な一切ないのですが、
この2年近く、あまりにもたくさんの自衛官と関わりを持ちすぎ、知りすぎてしまった事から、
彼らに対して、感情移入し過ぎているきらいがあるからだと思いますが、
どうしても私は、手放しで「よかった
おめでとう
」が言えませんでした。
もちろん、よかった
って思っているし、すごくうれしかったのですが…。
ですが、その好感度が上がったき出来事の陰に、
どれほどの犠牲があったかということに想いを致すと、
やっぱり、安易に「よかった」とはどうしても言えませんでした。
現状、たくさんの自衛官が、いろんな想いや悩みを抱えながら、
日々、それでも私たちのために、その任を果たしてくれています。
そして私は、少しでもそういう彼らの想いを拾い上げて、
少しでも多くの人に、自衛官の素顔を伝えることができたら、いう気持ちで、
此方の「チャンネルNippon」でエッセイを書かせて頂いています。
今日の内容に関連した、彼らの想いについては、此方で書くつもりです。
(※これについては、いつ掲載になるかは分かりませんが…)
どれだけのことを伝えられるか、私にもわかりませんが、
それでも、私が自衛隊について、このブログでは書ききれない、
「知ってほしい」
を、できるだけ伝えられるよう、努力したいと思う次第です。
そして、震災後、復興に取り組まれている皆さま、
現地で必死に頑張る皆さまに、深く敬意を表します。
…当時、東京で、
あの日はさすがに、夜、怖くて寝付けなかったこと、
店頭から食料等が消えたことなどを思い起こし、
あの地震の一端を経験したことが、
確かに事実なのだということについて、4年の歳月を重ねると、少し不思議な気がします。
自分自身は、特に何か大きな変化があったことは、これと言ってないのですが、
この日を境に、生き方や考え方を大きく変えた方は少なくないようです。
さらに、歴史上の大きな転換期を迎えた組織があります。
いうまでもなく、自衛隊です。
私も、当時、最初はインターネットで、自衛隊の様々な活躍を拝見していました。
それからしばらくして、
ある陸上自衛官から、直接、当時のお話を聞く機会があり、
アメブロの方で紹介した、桜林美佐さんによる
「日本に自衛隊がいてよかった」
を読んで、涙が止まらず、改めて自衛隊に敬意がこみ上げ、
さらに、実際に、様々な自衛官から直接いろんなお話を伺う機会もあり、
いろんな面から、この4年前の震災を知るという、貴重な機会を頂きました。
先日も、このブログ内で「桂駐屯地での防衛講和」で、
震災についてのお話を伺ったことを書きました。
そして、
この時の自衛隊の様子がメディアに取り上げられ、認知されるようになるにつれ、
国民の自衛隊にする見方が、ガラッと変わり始めました。
先ごろ発表された「自衛隊の好感度が92.2%で過去最高」の文字が、ネット上を賑わせました。
戦後初めて、ようやく、自衛隊が報われる時代が到来したと言っても過言ではないでしょう。
ファンとしてはうれしい限りです…が、
私は、少し思いを致す部分がありました。
このニュースを見て、脳裏をかすめたのは、OBさんや退官近い世代の現役さん達から伺った、
「石を投げられた」
「難癖つけられた」
「暴言を吐かれた」
「防大の時、帽子を取られて捨てられた」
…等々のお話です。
ネット上にも、過去、自衛隊が受けた様々な誹謗中傷の記録もあります。
読んでいて、人間ってどうしてそんなに残酷なことが平気で言えるのだろう?
と、本気で苦しくなり、悲しくなります。
そんな中で、自衛隊を去っていた人たちもいますが、
そんな思いをしながらも、なお、自衛隊に居続け、
それでも、日本を守り続けてくれて、
国を護るという想いを、60年間繋ぎ続けてくれた方達がいるということを、
絶対に、私たちは知っておかねばならないし、忘れてはならないのだと思います。
今が評価され、認められているからいいじゃないか、ではなく、
そういう不遇の時代を、それでもなお、耐えてきてくれた自衛官の皆さまによって、
今という時代を迎えられたのだということを、ぜひとも知っておいて頂きたいのです。
同時に、自衛官の多くは、
うれしくないことはないけども、喜んではいけないという想いがあることも。
彼らは、あの吉田茂元総理の訓示に示される通り、
自衛隊が国民に歓迎される事態が、国難に際してであることを、実感してしまっているから…。
よかったね

別に、私が憚る必要な一切ないのですが、
この2年近く、あまりにもたくさんの自衛官と関わりを持ちすぎ、知りすぎてしまった事から、
彼らに対して、感情移入し過ぎているきらいがあるからだと思いますが、
どうしても私は、手放しで「よかった


もちろん、よかった

ですが、その好感度が上がったき出来事の陰に、
どれほどの犠牲があったかということに想いを致すと、
やっぱり、安易に「よかった」とはどうしても言えませんでした。
現状、たくさんの自衛官が、いろんな想いや悩みを抱えながら、
日々、それでも私たちのために、その任を果たしてくれています。
そして私は、少しでもそういう彼らの想いを拾い上げて、
少しでも多くの人に、自衛官の素顔を伝えることができたら、いう気持ちで、
此方の「チャンネルNippon」でエッセイを書かせて頂いています。
今日の内容に関連した、彼らの想いについては、此方で書くつもりです。
(※これについては、いつ掲載になるかは分かりませんが…)
どれだけのことを伝えられるか、私にもわかりませんが、
それでも、私が自衛隊について、このブログでは書ききれない、
「知ってほしい」
を、できるだけ伝えられるよう、努力したいと思う次第です。