きものの華・友禅染⑤ 小袖雛形本(2)
現存する最古の「小袖雛形本」は、寛文6年(1666年)に発行された「新撰御ひいなかた」といわれています。また一説には万治3年(1660年)に発刊された家庭百科事典的な本に小袖雛形があることから「女諸礼集」が最古の「小袖雛形本」ともいわれます。しかし「新撰御ひいなかた」は、背面から見た小袖の中に模様を描き、その外側に小袖の地色や加工方法、模様の解説などを書き、その後の雛形本のページレイアウトを確立した意味でも、「小袖雛形本」は「新撰御ひいなかた」に始まったといえましょう。「新撰御ひいなかた」には200種類もの小袖の図案が掲載されています。序文には当時の人気仮名草子作家・浅井了意を起用し、幅広い読者層を狙い、ベストセラーを作り出そうという版元のチカラの入れようが想像できます。
さて宮崎友禅斎に先立ち、江戸時代初期のファッション界に2人のスーパースターが登場しています。1人は浮世絵の開祖といわれる浮世絵師・菱川師宣です。師宣の父は京都で修行し、安房国平郡保田本郷、いまの千葉県鋸美波町(生誕の地を記念して菱川師宣記念館があります)で金箔刺繍の縫箔(ぬいはく)師をやっていました。師宣も子供の頃から家業の手伝いをしていたので、布地や染織加工の知識やデザインなどきもののプロでしたから、背面から見た小袖姿の中に模様を描く機能的な雛形本には飽き足りませんでした。また挿絵や絵本を得意とした絵師として活躍していた師宣ですから、生き生きとした女性を描きたいと考え、帯や小物などをトータルコーディネイトした着姿を暮らしのシーンの中に描きました。いまのファッション誌の編集者と同じ発想で、いままでにない雛形本をクリエイトしました。右頁に暮らしのシーンの中にいる着姿の女性、左頁に雛形を配した画期的なデザインの雛形本「小袖の姿見」(天和2年、1682年)は見本帳からグラフィックなファッション誌へと変貌し、大評判となり、師宣は小袖のデザイナーとしても一躍有名になりました。続けて「当世早流雛形 (とうせいはやりひながた)」 (1684年)を発刊しましたが、以後師宣は浮世絵師として活躍することになり、雛形本を発刊していません。
*掲載図版は「正徳ひな形」です。