建仁寺の境内にある禅居庵です。建仁寺から行くと裏門になる為に、改めて表門から出直し、写真を撮りました。↑
禅居庵は建仁寺の塔頭で“摩利支尊天”が祀られています。
摩利支天(まりしてん)の語源はサンスクリット語のMarici(マリーチ)からで、意味は太陽や月の光線になります。そして、陽炎が神格化したのが摩利支天です。ご利益は“開運”と“勝利”で、戦国時代の武将の間には摩利支天信仰が広まったそうです。楠木正成や前田利家は兜の中に摩利支天の小像を入れて出陣したと言われています。
↑中に入ると猪が迎えてくれます。
摩利支天の多くの像は、1頭の猪の上に立っているか、5頭または7頭の上に坐しています。
↑1331~3年、小笠原貞宗により創建され、大鑑清拙正澄(だいかんせいせつしょうちょう)禅師が開山されました。天文の兵火で焼かれた堂宇は、1547年に織田信長の父信秀が建立したと伝えられています。その後、整備や大改修が行われています。
私が摩利支天を知ったきっかけはNHKの大河ドラマ“風林火山”です。山本勘助が信仰していましたよね。気になっていた憧れの摩利支天様をお詣り出来て良かったです。
↑おみくじを引くと“中吉”でした。だいたい“吉”を引く事が多いのですが、お詣りしてさっそくのご利益を頂けたみたいで嬉しかったです。
亥年の方がお詣りすると更にご利益が頂けて良いそうです。訪れてみては如何でしょうか…。
■禅居庵■
京都市東山区大和大路通四条下がる四丁目小松町
禅居庵は建仁寺の塔頭で“摩利支尊天”が祀られています。
摩利支天(まりしてん)の語源はサンスクリット語のMarici(マリーチ)からで、意味は太陽や月の光線になります。そして、陽炎が神格化したのが摩利支天です。ご利益は“開運”と“勝利”で、戦国時代の武将の間には摩利支天信仰が広まったそうです。楠木正成や前田利家は兜の中に摩利支天の小像を入れて出陣したと言われています。
↑中に入ると猪が迎えてくれます。
摩利支天の多くの像は、1頭の猪の上に立っているか、5頭または7頭の上に坐しています。
↑1331~3年、小笠原貞宗により創建され、大鑑清拙正澄(だいかんせいせつしょうちょう)禅師が開山されました。天文の兵火で焼かれた堂宇は、1547年に織田信長の父信秀が建立したと伝えられています。その後、整備や大改修が行われています。
私が摩利支天を知ったきっかけはNHKの大河ドラマ“風林火山”です。山本勘助が信仰していましたよね。気になっていた憧れの摩利支天様をお詣り出来て良かったです。
↑おみくじを引くと“中吉”でした。だいたい“吉”を引く事が多いのですが、お詣りしてさっそくのご利益を頂けたみたいで嬉しかったです。
亥年の方がお詣りすると更にご利益が頂けて良いそうです。訪れてみては如何でしょうか…。
■禅居庵■
京都市東山区大和大路通四条下がる四丁目小松町
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