MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1175 これからの経営とリベラルアーツ

2018年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム


 教養学部とは、特定の学問の分野を超え、人文科学・自然科学・社会科学の諸科学にまたがる分野の教育研究を行う大学の一組織です。

 専門学部に押され、1990年代には様々な名称の学部への再編が続いていた国内大学の教養学部に、復権の兆しが見え始めているという話を聞きました。

 学際分野や基礎分野を広くカバーする学部として、総合科学部や総合人間学部や国際教養学部などと看板を換え、学生の人気も高まっているとのことです。

 一般に大学で教育研究の対象となる「教養」と言えば、いわゆる「リベラルアーツ」を指すのが普通です。

 特にアメリカでは、大学と言えば大学院を持つ大きな総合大学(University)とリベラル・アーツ・カレッジに二分して考えられることが多く、リベラル・アーツ・カレッジでは(総合大学よりも)少人数体制で、幅広い範囲の教養を身に付けるための教育が行われています。

 リベラル・アーツ・カレッジはアメリカにおける上流階級やアッパーミドル階級の価値観を大きく反映しており、実際に上流階級やアッパーミドルクラス出身の学生が多いとされているようです。

 勿論、カレッジを終えてから専門分野に進む学生も多く、ロースクールやメディカルスクールへの入学者には、リベラル・アーツ・カレッジ出身者も多いと聞きます。

 もとよりリベラルアーツとは、古代ギリシャに起源を持つ、自由7科(文法、修辞、論理、算術、幾何、天文、音楽)を基本とする(人を不自由さから解放し、より良い世界へと導く)「人を自由にする学問」を意味する言葉だということです。

 一方、これまで我が国で「教養」と言えば、歴史や哲学、文学、芸術などの幅広い分野の知識から芸事や習い事なども含まれる、(まあ、有体に言ってしまえば「実社会ではあまり役に立たない」)実学の反対に側にあるものとして認識されることが多かったような気がします。

 しかし、昨今のビジネスの世界では、(オンライン経済紙を見渡しても分かるように)「リベラルアーツ(教養)」の重要性が改めて見直されている気配です。

 そうした中、2018年のビジネス書大賞で準優勝となった山口周(やまぐち・しゅう)氏の「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」(光文社新書)を読みました。

 氏によれば、現在、世界のグローバル企業のエグゼクティブや幹部候補生たちが、こぞってアートスクールや美術系大学院のカリキュラムに参加し(美術に関する)専門的なトレーニングを受けているということです。

 なぜ、世界のエリートたちは「美意識」を鍛えるようになったのか? もちろんそれは、彼らが「こけおどし」のための教養を身に付けるためなどではないと山口氏はこの著書に記しています。

 彼らは極めて功利的な目的のために美意識を鍛えている。なぜなら、これまでのような「分析」や「論理」「理性」に軸足を置いた経営、いわば「サイエンス重視の意思決定」では、今日の様な複雑で不安的な世界でのビジネスのかじ取りが不可能なことが判っているからだということです。

 そもそも、これまでのような論理的・理性的な情報処理スキルには限界があるというのが、この問題に対する氏の認識です。

 多くの人が(経営コンサルタントが提案するような)分析的・論理的な情報処理を行えば、当然ながらそこから導き出される問題解決の方向性は似たようなものになる。そこからは必然的に差別化が消失し競争力が失われると氏は言います。

 また、氏によれば、分析的・論理的な情報処理スキルには、そもそも方法論としての限界があるということです。

 現在のグローバル企業の経営環境は、様々な因子が動的に交錯することで不安定化し、不確実で複雑、曖昧なものとなっていると氏はしています。そのような世界においてあくまで論理的・理性的であろうとすれば、(いつまでたっても合理性は担保されず)経営における問題解決能力や想像力の麻痺をもたらすということです。

 従って、このような複雑系の世界においては、単純な要素還元主義の論理思考的アプローチは機能しないと氏は言います。そこでは、全体を直観的に捉える感性と「真・善・美」が感じられる打ち手を内省的に創出する構想力や創造力が求められるということです。

 さらに、この著書において山口氏は、経営に美意識が求められるようになったもう一つの要因として、世界中の市場が「自己実現的消費」に向かいつつあることを挙げています。

 世界中に広まった豊かさは、全人口のほんの一握りのものであった「自己実現の欲求」を、ほとんどの人に広げることを可能にした。これにより、世界は今巨大な「自己実現欲求の市場」になりつつあると氏はしています。

 このような市場で戦うためには、消費行動によって「自分らしさ」を発信できる自己表現のための記号が必要となる。つまり、こうした市場で勝ち抜くためには、人の承認欲求や自己実現欲求を刺激するような「感性」や「美意識」が重要になるというのが氏の見解です。

 一口で分かりやすくいってしまうと、全ての消費ビジネスが「ファッション化」しつつあると山口氏は市場の現状を説明しています。そして、このような世界においては、企業やリーダーの「美意識」の水準が、企業の競争力を大きく左右することになるということです。

 山口氏はこの著書において、現代社会の問題点として、様々な領域で「法律の整備が追いつかない」状況にある事を挙げています。

 そのような世界においてクオリティの高い意志決定を継続的にし続けていくためには、明文化されたルールや法律だけに依拠するのではなく、内在的に「真・善・美」を判断するための「美意識」が求められるというのが、氏の(さらに)主張するところです。

 革新的な新技術やイノベーションによってもたらされる社会や出来事に対し、責任を持って内部的なルールを定めモラルを維持していくことが求められる。そこには、自らを律して目的に向かう「真・善・美」の美意識が必要となるという指摘です。

 市場を通じて人を幸せにする「良い経営」とは何なのか。これからの社会には、その本質を鍛えられた美意識により直観的に判断できる経営者が求められていると考える山口氏の視点を、私もこの著書から大変興味深く読み取ったところです。




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