年末を控えたこの時期、総務の給与担当者から所得税の年末調整の手続きに必要な書類をそろえるよう求められるのは、サラリーマンなら年中行事のようなもの。扶養控除の申告書や保険料控除の申告書など、(「めんどくせーなー」と)苦手意識を持っている人は結構多いかもしれません。
そういえば、先日の自民党総裁選で河野太郎候補が、この「年末調整」を廃止し国民全員が「確定申告」する方式に変えるとの公約を発表し話題を呼びました。「税金の使い方にもっと興味を持ってもらいたい」…といった趣旨からの発言のようですが、国民の反応はあまり芳しいものではなかったようです。
年末調整は、簡単に言うと毎月の供与から天引き(源泉徴収)されすぎた所得税を正しく計算し直し、余剰分を還付する手続きのこと。勤め先の指示で必要書類を出せばあとは会社がやってくれるのですから、まあ、楽と言えば楽なもの。一方、「納税」に関する無関心が増長されることで、「これはこれで良い制度だ…」と感じている政治家やお役人も少なからずいるかもしれません。
ともあれ、今回の総裁選で久々に光が当たることとなった年末調整の仕組みに関し、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が『週刊プレイボーイ』誌の9月16日号に「民主政治の基盤である納税を会社に一任して、不思議とも思わない国」と題する一文を寄せているので、参考までに概要を残しておきたいと思います。
サラリーマンなら誰でも知っているように、被雇用者は給与から税・社会保険料を源泉徴収されている。このうち所得税は、扶養家族が増えたり各種控除があったりして過不足が生じることがあるため、これを計算し直してツーペイするのが年末調整の手続きだと、橘氏はこのコラムで説明しています。
氏によれば、アメリカでも給与からの源泉徴収は行なわれているとのこと。しかし、各自が還付の計算を年度末に行なうこととされ、このタックスリターン(確定申告)は国民の一大イベントになっていて、アメリカ人はこの機会に納税者としての自覚をもつようになるということです。
ところが日本では、サラリーマンの確定申告を会社に丸投げするという「イノベーション」により、経理に必要書類を提出するだけで還付の計算をしてもらえる仕組みが一般化。しかしこれでは、「納税者」であるにもかかわらず、自分の納税額すらちゃんと把握していないことになってしまうと氏は言います。
さらに氏によれば、それ以外にも、年末調整にはさまざまな批判があるとのこと。そのひとつは、国が会社をタダで使っていることだということです。
徴税は国の仕事なのだから、それを民間事業者にアウトソースするのなら、相応の対価を支払うべきだというのがその主張。加えて、計算を簡便にするために、仕事の内容にかかわらず「給与所得控除」の名のもとに、控除できる金額を一律に決めているのも矛盾があると氏は指摘しています。
働き方が多様化すれば、仕事に必要な経費は一人ひとりちがってくるはず。しかも、より重要なのは、控除を受けるために家庭の状況を会社に伝えなければならないことで、離婚したり、家族が障害者になったりと、一般的に職場などには知られたくない個人情報を(人事に近いセクションに)伝えなければならないということです。
これが問題にならなかったのは、かつて日本の社会では会社は「イエ」であり「家族」であったので社員のプライベートな情報を集めることに違和感がなかったから。しかし、こうした価値観は、今では大きく変わっているというのが氏の認識です。
近代的な市民社会は、有権者が民主的な手続きによって税金の使い方を決めることで成り立っている。そのため、税の専門家からはこれまでも、「源泉徴収はともかく、年末調整は廃止すべきだ」という意見があったと氏は解説しています。
「国民全員が確定申告する」という河野氏の主張は、その意味ではきわめてまっとうなもの。それにもかかわらず、ネットには「面倒くさい」「裏金を暴かれた仕返し」などの批判があふれ、メディアもそれを面白おかしく報じるだけということに、日本の「民主主義」のレベルが象徴されているというのがこの論考における氏の見解です。
頭ではわかっていても、国や自治体予算を集められた自分たちの税金(の使い道)と実感できていない日本人。そういう私自身も、自分がいくら納税しているのかについてそんなに興味をもって接した記憶はありません。
例え少々面倒くさくっても、1年分をまとめて納税すればそれなりの金額にはなるはず。自分の稼ぎの何割かを提供していると実感すれば、その使い道の悔しさや残念さに「身を斬る思い」になるかもしれないと、私も感じたところです。
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