MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1431 リベラルの「うさん臭さ」とは

2019年08月17日 | 社会・経済


 政治的には正論に聞こえる(ある意味)「リベラル」な主張や「ポリコレ(political correctness)」の中には、建前としては理解できても現実社会では利害の対立を生みがちで、なかなか皆が皆納得する形での決着が難しい(だろうな)と思われせるものが結構あるような気がします。

 エネルギー確保と放射能へのリスク、さらには核の軍事利用などがせめぎ合う「原子力」の問題。国家の安全保障と一部地域へのコストのしわ寄せにかかる「沖縄の基地」の問題。国民の生存権の具体的な姿を問う「生活保護」の在り方など、理想の姿を実現していくためにはまだまだ相当の議論が必要そうです。

 LGBTの人権の問題など、問題の所在は頭では分かっていても生育環境によっては基本的に共感できない人もいるかもしれませんし、弱者の救済を求めるイデオロギー的な「権利」の主張に(実は)辟易としている向きも多いかもしれません。

 身近なところでは、NIMBY(ニンビー:Not In My Back Yard(我が家の裏には御免))を巡るトラブルなどもよく聞くようになっています。少し前に話題となった「港区の青山に児童相談所」ではありませんが、建前としてはわかるけれど自分に影響するとなると「ちょっと…ね」と考えるのはいたしかたのないことでしょう。

 ポピュリズムの増勢が世界的に伝えられる中、こうした「リベラル」と「リアル」の狭間で揺れる社会の行方について、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が4月17日のYahoo newsに「リベラルはそろそろダブルスタンダードを止めよう」と題する興味深い一文を寄せています。

 橘氏はこの論考の冒頭、トランプ米大統領が米国内で一定の人気を維持し続けているのは、ときどき正しい(そして面白い)ことを言うからではないかとこの論考に記しています。

 例えば、最近では「不法移民の聖域都市への移送「本当に検討」」というニュース。マイノリティに対し寛容な政策をとる(民主党の支持基盤となっているアメリカ東部のニューヨーク、ボストンや西海岸のサンフランシスコ、ロサンゼルスなどの)「聖域都市(Sanctuary city)」に、この際不法移民を強制的に移してはどうかという提案です。

 こうした聖域都市ではトランプ大統領の移民排斥政策を厳しく非難するばかりでなく、不法移民に対しても(「不法」というだけで逮捕や強制送還されることはなく)市民権を持つ者と同等の公共サービスを提供してきました。

 それに対してトランプ氏は4月12日、お得意のツイッターに「(アメリカ社会に対して)きわめて危険な移民法を民主党が改正したがらないという事実(ファクト)により、われわれは本気で、既に報道されているように不法移民を聖域都市に移送することを検討している。ラディカルな左翼だけが常に『国境を解放し、移民を無条件に受け入れる政策(Open Borders,Open Arms policy)』を支持しているようだ。だとしたら、これは彼らをとてもハッピーにするだろう」と(皮肉を込めて)ツィートしたということです。

 移民を受け入れることが正義だというのなら、まずは率先して自分たちの住まい(東部や西海岸のエリートたちは大金持ちしか購入できない高級住宅地に暮らしている)に大規模な移民キャンプをつくればいい。大量の不法移民を移送してやるから、ほんとうにそんなことができるかどうか見せてくれ…というものです。

 「アメリカ大統領にしては確かに乱暴な言い草だが、筋は通っている」…というのが、こうしたトランプ氏の言動に対する橘氏の認識です。

 そもそもアメリカの人権団体は国内の不法移民を聖域都市に避難させる活動をしているのだから、それを国家が大規模に行なうことに文句があるはずがない。

 いたずらに不要な対立を煽るという批判はもちろんあるだろう。だが、トランプを「悪」、自分たちを「善=正義」として対立を煽ってきたのはリベラルも同じであり、きれいごとばかりいってきたリベラルはこの批判に誠実に応えなくてはならないということです。

 氏はここで、我が日本でも、「リベラル」を自称する人たちは(これまでずっと)ダブルスタンダードを容認してきたと説明しています。

 例えば、男女の社会的な性差を評価するジェンダーギャップ指数が110位と世界最底辺の日本で、テレビや新聞などマスメディアは国会はもちろん地方議会の女性議員割合が極端に低いことを盛んに問題にする。しかし、そうしたメディアの「女性活躍」はどうなっているのかと取締役名簿を見ると、「リベラル」とされる会社でも女性取締役は数えるほどしかいないのが現実だと氏は指摘しています。

 また、安倍首相が2018年の施政方針演説で「同一労働同一賃金を実現し、非正規という言葉をこの国から一掃する」と宣言してから「働き方改革」は一気に進み、裁判所でも非正規の原告の主張を認める画期的な判決が相次いでいる。

 「同じ仕事をすれば、身分や性別、人種などのちがいにかかわらず同じ賃金が支払われる」というのはリベラルな社会の大前提だが、「リベラル」を自称する労働組合はこれまで同一労働同一賃金に頑強に反対し、正社員の利益を守るために非正規への身分差別を容認しているということです。

 これまで「リベラル」は、自分たちのダブルスタンダードへの批判をずっと黙殺してきた。だがトランプのTweetへの反響を見ればわかるように、多くの人たちはこの偽善にずっと前から気づいているというのが(こうした問題に対する)氏の認識です。

 これが報道機関に対する信頼が極端に低くなった一因であり、インターネットやSNSの普及によって、「リベラル」のダブルスタンダードへの風当たりはこれからますます強くなる(だろう)というのが、氏がこの論考で予測するところです。

 しかし、裏を返せば、これは(「女性活躍」にしても「同一労働同一賃金」にしても)安倍政権に尻を叩かれる前に自ら率先して実現すればいいだけの話。これで堂々と政権批判ができるようになるのだから、こんなにいい話はないだろうと橘氏はこの論考をまとめています。

 現実をいかに理想に近づけていくことができるか、その形を具体的に(行動で)示すのがこれからの「リベラル」の最大の課題ということでしょう。

 理想を掲げる者は、まずは身を切る努力をしなければならない。そして、このようにして社会はより「リベラル」へと進化していくのだと結ばれたこの論考における橘氏の指摘を、私も興味深く受け止めたところです。



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