「人生100年時代」を生きるこれからの日本人という視点から、企業の人手不足感とともに広がる定年延長や定年廃止への動きについて、引き続き専門家の意見を追っていきたいと思います。
6月20日の日本経済新聞の紙面に、ジンザイ株式会社代表取締役の名取敏(なとり・さとし)が「定年延長に安住するな」と題する論考を寄せています。
サラリーマンは、定年の延長を単純に歓迎して受け入れるばかりでよいのか。特に、定年間近の人には(人生100年時代のライフプランの問題として)しっかり考えてほしいと氏はこの論考で語っています。
「定年まで働く」としていた目標を達成しさらに雇用延長となれば、安心感が広がり、自分で次のキャリアを考えなくなったりしはしないか。普通に考えれば、(少なくとも)長年勤めた会社を離れることに一層のリスクを感じるようになり、次の一歩を踏み出すことに躊躇するようになるのではないかというのがこの論考で氏の懸念するところです。
加えて、仮に65歳まで定年延長されても、誰もが「65歳以降はどうするか」という難問からは逃れられないと氏は言います。
年金生活という選択肢もあるが、より長く健康で元気に過ごすには、仕事の継続が欠かせない。築いてきたキャリアの追及や磨きをかけた専門技能で新たな組織に転職するか、本人が決断し実行するしかないというのが氏の見解です。
そのために企業は60歳までの在職支援を徹底したうえで、その後の道は本人が選べるように応援する必要がある。個人が希望を持つ仕事に少しでも接近できるよう有給消化や土日出社を認めたり副業を勧めたりなどのきめ細かな手当てをしながら、定年を迎えた字時に「再雇用」か「新たな選択」かのどちらかを選べるようにすることが重要だということです。
(なので)定年を間近に控えた人たちには、自分のために人事権を行使してほしいと氏はこの論考に綴っています。人生の選択として「納得」の自己決定が最善であり、定年延長でその決断を先送りするのは良くないというのが名取氏の見解です。
改めて、きっちりと人生の計画を立ててみよう。一つの企業や組織に埋もれていては、100年続く人生を現役で充実させることはできないということでしょう。
そこで氏は、「人生100年時代」に臨む企業に求めたいのは定年延長ではない、「ネクストへの自己決定支援」だとこの論考に記しています。また、そのことこそが、長年会社のために尽くしてきた従業員の貢献に報いる恩返しになるということです。
一方、元日経ビジネス副編集長でジャーナリストの磯山友幸氏は、昨年5月の「日経ビジネス」誌に「定年廃止が主流になる日」と題する論考を寄せています。
深刻な人手不足の中で、年齢に関係なく、元気なうちは働き続けてほしいと考える経営者が増えている。いっそのこと、定年を廃止してしまおうという企業も少しずつ増えていると氏はしています。
せっかく戦力になっている人材を、定年年齢に達したというだけで引退させてしまうのはもったいない、働けるだけ働いてほしいというのが(人手不足に悩む)企業の本音だということです。
しかしその一方で、こうした動きは(定年が廃止されるからと言って安穏な終身雇用が待っているというような)従業員にとって決して甘いものではないというのがこの論考における氏の認識です。
実際、定年を廃止している企業では従業員の仕事が明確になっているケースが多く、そうした企業では(年齢は関係なく)成果が目に見えるためそれに応じた賃金を払い続けても間尺に合うと氏は説明しています。
定年制をなくした企業では、社員に対してより専門性を求めるようになる。逆に言えば、その人の専門性が必要とされなくなれば、(年齢に関係なく)解雇されるのが普通になるのではないかということです。
そう考えれば、解雇できる要件を厳しく規定している現在のルールが見直されないと、なかなか定年廃止の動きは広がらないに違いない。政府もそうした要請に合わせ、今後、定年を廃止する企業に解雇ルールを緩めることなどを検討することになるだろうと氏は見ています。
しかし、(自分の専門性が不要になって)クビになったからと言って悲観することはないと氏は言います。今後本格化する労働人口の減少の中では、一定の専門能力があれば仕事は簡単に見つかる時代に変わる。自らの専門性を磨けば、より条件の良い会社へと移動するのが当たり前になるということです。
定年廃止は一見、日本型経営の延長線上にあるように思われがちだが、実際は全く違うというのがこの問題に対する氏の見解です。終身雇用や年功序列賃金、「就職」ではなく「就社」といった日本型の雇用慣行が崩れる大きなきっかけになっていく可能性もあると氏はしています。
いずれにしても、100年の人生を納得して生き抜くには、人生の後半戦を受け身のまま会社に引きずられるのではなく、(50代を迎えたくらいの段階で)「将来」に向けた戦略を立てる必要があるということでしょう。
定年が無くなるということは、裏を返せば(様々なプレッシャーの中で)「辞め時」を自分で考えなければならなくなるということでもあります。
そうした厳しい意味も含め、「定年制の廃止は、これまでの日本の雇用を支えてきた終身雇用制の終焉とともに始まる」と説明するこの論考における磯山氏の指摘を、私も大変興味深く受け止めたところです。
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