今から8か月前、元大蔵官僚で慶応大学大学院准教授の小幡 績(おばた・せき)氏が、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態制限下の今年4月8日にNewsweek(日本版)誌に寄稿した「戦うべき敵は欧米コンプレックス」と題する興味深い論考を、先日目にする機会がありました。
新型コロナへの対応に関し、「欧米ではこうしている」という言説に振り回される日本人の反応はある意味冷静さを欠いているのではないか…この論考でそう訴える小幡氏の指摘を、(首都圏1都3県に対し再び緊急事態宣言が出された)この機会に少し追ってみたいと思います。
今回のコロナ騒動で世間は大混乱の様子を見せているが、混乱に拍車をかけているのは(いわゆるネット民のようないつもの人たちではなく)普段は冷静でネット上のバズりやテレビのワイドショーを批判するインテリと呼ばれる人々だと、氏はこの論考に綴っています。
普段は財政破綻の防止のために消費税増税30%と言っている人々でさえ、コロナショックのためには無制限に金を配れと言っている。一体、どうしてしまったのか。
小幡氏はこの論考において、その背景・原因にはある種の「欧米コンプレックス」があると述べています。
コロナウイルスショックは、最初は欧米人にはかつての植民地の疫病であるかのように扱われた。中国の武漢という、北京でも上海でもない未開の地で発生したコウモリの疫病を、日本というまぬけな国がクルーズ船とともに受け入れ、あたふたしているのをせせら笑ってみていたのではないかと氏は言います。
「オリンピック大丈夫かい?代わりに開催してあげるよ」、とロンドンが名乗り出るとか出ないとかという噂さえあった(←忘れていましたが、確かにそんなことがありました)。しかし、それが一変したのは、このウイルスがイギリスそしてアメリカに上陸した時だったというのが氏の認識です。
これを機に、世界の世論は一変した。インテリメディアといえばイギリス、アメリカであり、この二つが慌てたことで国際社会の論調は180度変わったと氏は言います。
実際、アメリカの共和党とトランプ大統領は3月上旬まで(フェイクニュースとは言わないまでも)「民主党が騒いでいるだけだ」とし、「大げさに言って共和党を不利にしようとしている」という陰謀説まで流す共和党員もいた。しかし、ニューヨークで死者が急増し、世界の雰囲気はさらに一変したというのが氏の指摘するところです。
こうなると、(欧米のインテリの間に)これがいかに人類史上最大の危機か、ということを騒ぎ立てる人たちが出てきた。気の早いインテリたちは、コロナで世界は変わる、コロナ後の世界を論じ始めるようになった。
それは彼らの関心だけで、ひとつの深刻な感染症が再び登場しただけのことなのだけれど、SARSもMERSもましてやエボラ出血熱やジカ熱は未開の地の土着の疫病という扱いだったのに、その途端「コロナは人類の歴史を変えるもの」に姿を変えたということです。
世界を結集して、人類史上最大の問題を解決するために全てのエネルギーを注ぎ込め、ワクチンを全力で開発せよ、そう彼らは正義であるかのように主張するが、これまで大した対応をしてこなかった新型コロナよりも致死性の高い病気は(実のところ)世界に溢れているというのが氏の認識です。
典型例はマラリアで、いまだにマラリアは毎年何十万人もの命を奪っている。2015年には2.1億人が感染し、44万人が死亡したが、ただしその90%以上がアフリカでの報告だと氏は言います。
この感染症は4000年前から知られている病気だが、製薬大企業が全力で解決しているようには見えないし、欧米政府が全力で研究を支援しているとも思えない。NGOなどがいくら訴えても、それはあくまで(彼らにとって)「その世界」での出来事に過ぎなかったということです。
ところが、新型コロナが米英にやってきて事態は変わった。欧州の国々はすべてできることをやっている。イギリスも全力だ。ニューヨークはこの世の終わりのような有様だ。ネット社会を背景に、ロンドンやニューヨークからの報告が日々日本にも入ってくると氏はしています。
そこで、東京に住む日本人のインテリたちは、欧米のニュースを周りよりは感度高くキャッチし、警告をならすようになった。
米国ではこうやっている、イギリスでは、ドイツでは、と警鐘を鳴らし、日本がいかにだめかを説教する。政府と大衆に向かって、「君たちは愚かだからわからないだろうが先進国はこうなっている」「日本だけがこんなことをしている」とインテリ風に警鐘を鳴らようになったと小幡氏はこの論考で話しています。
さて、ここまで綴ったうえで、「もう、こうした欧米コンプレックスはやめよう」というのがこの論考で氏の主張するところです。
今回のコロナ対策で、成功しているのは、アジアの国々で、間違いなく台湾は大成功。韓国は当初は危機かと思われたが、見事に克服した。中国は震源地で賛否はあるが、当初の懸念よりは遥かに小さいダメージで乗り切ったと氏は言います。
もちろん、わが日本も確認感染者数、死亡者数においては(欧米に比べ)圧倒的に少ない。そして、感染が広がったのが先であるから経験値も高いというのが氏の認識です。
それでは、なぜアジアに学ばず、インテリたちは欧米の方向ばかりを見てパニックになるのか。むやみに欧米に倣った厳しい措置ばかりを有難がるのか。
ロックダウンすれば一気に終息するなど、根拠がないと氏はしています。そして、論理的にも、エビデンス的にも破綻しているこうした手法を支持し、ほとんどのインテリたちが自信をもって政府の方針を批判している背景には、欧米コンプレックスがあるとしかか思えないというのが氏の見解です。
欧米と日本のやり方が違えば、日本のやり方が間違っているという先入観に(無自覚に)支配されている日本のインテリたち。しかも、結果は今のところ、日本のほうが相対的に圧倒的にましだと小幡氏は言います。
さて、感染症が人々に与える直接的な影響と実態については、それ自体、確かにまだよくわかっていないのは事実です。しかし、一連の騒ぎが始まってから1年の歳月が流れようとしている現在、そろそろ落ち着いてそうしたものに目を向けてみる必要もあるのではないかとも感じます。
もちろん、「第3波」と呼ばれるような急激な感染拡大が進む昨今、特に人と人との接触機会が多い首都圏等において、感染機会縮減への(有効な)取り組みが求められていることはいうまでもありません。
しかし、(「大変だ、大変だ」と慌てるばかりでなく)少し落ち着いて、どこかに冷静な視線を残しておくこともまた、将来に禍根を残さないための叡知であるような気がします。
欧米の失敗から学ぶのはどんどん学べばよいが、失敗例をそのまま理想としてまねしろというのは狂気の沙汰としか言えない。それが狂気でないとすればコンプレックスのなせる業なのだろうとこの論考を結ぶ小幡氏の指摘についても、(こうした時期だからこそ)きちんと受け止めておく必要があるのではないかと改めて感じたところです。
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