4月8日のNewsweek(日本版)誌に寄稿された「戦うべき敵は欧米コンプレックス」と題する論考において、元大蔵官僚で慶応大学大学院准教授の小幡 績氏は日本の新型コロナへの対応に関し、欧米からのものの見方や被害意識に振り回されすぎているのではないかと綴っています。
日本のコロナ対策は、平均的に見て欧米諸国よりもうまくいっている。そもそも、ここ日本における新型コロナウイルス感染症の影響や被害は、欧米ほどの深刻さを伴っているのかというのが氏が呈している疑問です。
しかし、普段は冷静なインテリ層などが中心となって、負担の大きい欧米並みの強い規制を政府に求めているという現実がある。一方、こうした声を受けた政府の対応によって現実経済には(これまでにない)大きな影響が生まれ始めており、そこに対する対策のコストは、今後の日本の社会に大きな影を落とす可能性も見えてきていると氏は言います。
彼ら日本のインテリ層がそこまでコロナにこだわる背景には、明治維新以降、特に日本のインテリ層に育まれてきた欧米へのコンプレックスがあるのではないかというのが氏の指摘するところです。
長年、(アジアではなく)欧米(の方ばかりを)を向いてきた習慣が日本人の目を曇らせ、日本の現状から乖離した対策を余儀なくしているのではないかと、この論考で小幡氏は懸念を表しています。
さて、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏は11月23日発売の『週刊プレイボーイ』誌に「日本の長い「戦後」はこうして終わった」と題する論考を寄せ、(小幡氏と同様の観点から)今回の新型コロナによる欧米の混乱を機に「アメリカ(西欧)の影」に覆われてきた日本の長かった「戦後」も終わると話しています。
明治維新以来の日本の近代史をひと言でまとめるなら、「西欧(白人)への卑下と自尊の繰り返し」だったと、橘氏はこの論考の冒頭に記しています。
明治の知識人たちは西欧の文化とテクノロジー、学問の水準に圧倒され、(「文明開化」の名のもとに)それが大衆に広がって、「欧風」すなわち白人の真似をする流行が生まれた。しかし、日露戦争に勝ったあたりから(その反動として)徐々に自尊感情が強まったということです。
そこに世界大恐慌後の被害者意識が加わって、軍部主導の熱狂にもとでアメリカに宣戦布告したが、軍人・民間人あわせて300万人の膨大な死者と広島・長崎への原爆投下、全国各地の焼け野原になった都市だけが残される結果となったと氏は言います。
一方、敗戦後、マッカーサー米陸軍最高司令官を訪問した昭和天皇の写真が公開されると、(肥大していた)日本人の自尊心は粉々に砕け散った。どちらが「上位」かはその立ち位置から一目瞭然で、GHQにはその後しばらくの間、多くの日本人から「拝啓、マッカーサー元帥様」という大量の手紙が届いたという記録が残っているということです。
因みにその内容は、「日本をアメリカの属国にしてほしい」というものから「村の紛争を解決してほしい」というものまで。誰もがアメリカを賛美し、返す刀で日本と日本人を全否定して、マッカーサーに自分たちの望みを叶えてもらいたいという大衆の気持ちを反映したものだったと氏は説明しています。
その後、日本が主権を回復し高度経済成長が始まるとこうした極端な卑下は下火になるが、1960年代の高度成長期に入ると日本人はハリウッド映画やロックンロールに夢中になり、ホームドラマで描かれたゆたかさに強烈な憧れをもつようになった。当時の日本人にとって、アメリカはまさに「夢の国」だったというのが氏の認識です。
さて、時は移って1980年代のバブル絶頂期、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などとおだてられ、「“坂の上の雲”はもうなくなった(日本は西欧を超えた)」という勘違いが一瞬だけあったと氏は言います。
しかし、それもバブル崩壊と「失われた30年」で消え失せ、その間に中国・韓国をはじめアジアの国々が急速にキャッチアップしたことから、日本人の中で「日本はアジアで一番」という自尊感情まで揺らぎはじめたということです。
「嫌韓」「反中」がネットや書店に溢れる見苦しい事態も起きるようになった。今では、世界で唯一米国に対抗できる超大国といえば誰もが中国を指すようになり、少子高齢化と経済の不調による日本の斜陽化は日本人の心の中から無邪気な夢を奪っていったというところです。
さて、ところが今回の新型コロナを機に、そうした欧米社会にも混乱が目立つようになってきたと氏はここで指摘しています。
感染抑制に失敗したヨーロッパ諸国は再度のロックダウンに追い込まれ、パリやニース、ウィーンで相次いでテロが起きている。1000万人の感染者と20万人を超える死者を出したアメリカでも大統領選前から各州で感染が拡大しており、トランプが敗北を認めないままでは効果的な感染抑制策も難しい局面を迎えているということです。
それに対して、いち早く感染症を抑え込んだ中国では経済成長率も回復し、人々が日常生活を取り戻している姿も報じられている。こうした状況を見た今の子どもたちは、「アメリカは銃を振り回すひとたちがいる怖い国、ヨーロッパは教師が首を切り落とされる異常な国」で、中国を“デジタル先進国”と思うようになるかもしれないと橘氏は話しています。
コロナへの対応も含め様々な情報がリアルタイムで共有される現在、新型コロナ感染症で大きく混乱する欧米諸国に向ける非欧米諸国の視線は、(橘氏も言うように)確かに少しずつ変わり始めている。少なくとも今回のコロナ禍が、我々の目に映る世界の姿を変えつつあるのは事実でしょう。
新型コロナの影響は今年に入っても収まる気配を見せず、日本人の間にも戸惑いは広がっています。しかし、だからと言って、トランプ大統領を支持する群衆が議事堂内に乱入して死者まで出す国に憧れ、尊敬の眼差しで見る人はもはや(世界でも)少数派と言えるかもしれません。
こうした状況を考え併せれば、「アメリカ(西欧)の影に覆われてきた日本の長い戦後は、このような経験の中でようやく終わるのではないか」とこの論考を結ぶ橘氏の指摘にも、さらにリアリティが増してくるというものです。
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