5月に入り、日本経済新聞の連載コラム「私の履歴書」では、漫画家の里中満智子氏が、その生い立ち、来歴、作品への思いなどを様々に綴っています。
里中氏と言えば、代表作の「アリエスの乙女たち」「あした輝く」などで知られる、押しも押されもせぬ少女漫画界の大御所です。1960年代に高校生漫画家としてデビューして以来、半世紀以上にわたって漫画界の第一線で活躍し、漫画ばかりでなく様々な分野でその才能を発揮されています。
氏には漫画史に残る様々な作品がありますが、中でも私にとっては1968年に発表された「ナナとリリ」で記憶に残る存在です。同じ人を愛してしまった双子の姉妹、ベトナム戦争で引き裂かれる二人、そして戦場から戻った恋人の記憶喪失…と、まるで(今でいう)韓ドラのような怒涛の展開に、小学生だった私もすっかり引き込まれてしまいました。
思えば高度成長期の小学生(の男の子)にとって、少女漫画を読むというのは、なかなか勇気の要る(ちょっと恥ずかしい)経験でした。私も、姉の本棚にあった「少女フレンド」や「別冊マーガレット」などを、雨の土曜日の午後などに自分の部屋でこっそり読んでいたような記憶があります。
当時、少年誌と少女誌には大きく違うところがあったと、里中氏もこのコラムの中で話しています。少女誌は、読者の年代別にたくさんの種類があったのに対し、男性は(今も昔も)小学生から30代のサラリーマンまで同じ雑誌を楽しんでいる。「少年マガジン」(今で言えば「少年ジャンプ」)などは、当時からほとんど全世代に共通して受け入れられる存在だったということです。
実際、里中氏はそんな少年誌の編集者に、男性の世代別の好みの違いを尋ねたことがあるそうです。すると、その答えは「違いはありません」「男子にウケるシーンは全世代で同じです」というもの。それはどんなシーンかと聞けば、その答えは「闘って勝つ場面」だというものだったと氏はこのコラムに記しています。
確かに、その後世界的な人気を博した「ドラゴンボール」も「ワンピース」も、「鬼滅の刃」も「呪術廻戦」も、結局のところそのキモは血沸き肉躍るバトルシーンにあったと言っても過言ではありません。
思わず笑ってしまった。性別によって性格を決めつけたりはしたくないが、男女の精神構造にはやはり無視できない違いもあるのかもしれないと、氏はこのコラムに記しています。簡単に言えば、男はいつまでもロマンチストだということ。一方、女はリアリストで、気が付けば(歳とともに)目の前の現実に関心が向くようにできているということです。
さて、今でこそ「ジャパンクール」などといって日本を代表するカルチャーの一つとして受け入れられているマンガも、以前からそのように評価されていたわけではない。マンガは昔から、(大人たちの)様々な批判にさらされ続けてきたと里中氏はこのコラムで指摘しています。
大学生がマンガを読んでいると、大人たちが眉をひそめた時代は長く続いた。教育委員会や学校現場への持ち込みが禁じられたり、PTAから児童生徒が読むことを禁じられたりしたマンガも多かったということです。
漫画世界にあまたある作品の中には、批判されても仕方のない作品もあるかもしれない。けれど、マンガが持つ無限の可能性を信じている私としては、表現の自由は何としても守りたいと氏はこのコラムの中で語っています。
日本の状況は、しばしば海外のマンガ家から「うらやましい」と言われる。マンガを巡る日本の表現の自由は世界でもトップレベルにある。こうした状況は(いったん手放せば)再び容易に手に入るものではないというのが氏の認識です。
世界には今でも、政権批判につながる作品を描くと投獄されるような国は多い。氏によれば、子供のスカートがめくれてパンツが見えるという絵が許されない国や地域も少なくないということです。
1990年代の初め、一部の自治体で、青少年保護育成条例を強化するなど、漫画表現を規制しようとする動きがあった。近いところでは、東京五輪を控えた2010年代末には、一部の大手コンビニの店頭から成年誌が消えるという事態も生まれたと氏は振り返っています。
マンガをウェッブで提供することが普通になってきた現在では、差別や人権問題など、さらに幅広い指摘が国内外からされるようになった。漫画家も編集者も誰かを傷つけることがないように、コンプライアンスにとても気を使っているということです。
様々な問題があるが歴史が語っているように、何か一つの規制が始まると、あれも駄目、これも駄目ということになるのはものの常。なので、私のような年寄りは、後輩たちの表現の自由のためなら、いつでも矢面に立つ覚悟でいると氏は言います。日本のマンガの創成期から第一線で活躍し、社会に向き合ってきた里中氏の、それが創作者としての矜持だということでしょう。
さて、氏も指摘しているように、(確かに)発表された当時は、くだらない、ためにならない、道徳的でないなどと評価された作品の中にも、後から考えると時代や社会や人生の大きなエポックになっていたというものはたくさんあるような気がします。
「カムイ外伝」「あしたのジョー」「デビルマン」などの青年向けのものから、「巨人の星」「エースを狙え」などのスポ根もの、「おそ松くん」「天才バカボン」そして「クレヨンしんちゃん」などのギャグマンガに至るまで、一世を風靡したマンガには、社会に向けてのメッセージ、そして世の中への多少の毒が込められていたのは(おそらく)事実でしょう。
因みに、私にとってのそれは、小学生の時に出会った「ハレンチ学園」(永井豪1968-1972)でした。「スカートめくり」という荒業を全国の小学校に流行らせたこの作品は、一時期メディアやPTAに猛烈に敵視され、悪書追放の標的になりました。そのおかげで「少年ジャンプ」や単行本を学校に持ち込むことができなくなり、先生に隠れて友達どうしで回し読みしていたのを懐かしく思い出します。
ご存じのように、その内容はエロ、グロ、ナンセンスに尽きるうえ、ストーリーは、(主人公たちが教師たちと抗争を続ける)「ハレンチ学園」を教育委員会が軍隊を使ってせん滅にかかるといった残酷さに溢れています。
それでも、当時の男の子たちはその理不尽さから目が離せなくなった。私自身、戦場となった学園で壮絶な爆死を遂げる「アユちゃん」(←主人公のグループの一人)の姿に戦慄を禁じえなかったのを覚えています。
時代は、70年安保の学生運動が大きな曲がり角を迎え、高度成長にも限界が見えてきた時期に重なります。1970年の大阪万博、そしてそれに続くオイルショック、狂乱物価と、日本の社会や経済は混乱の時代に差し掛かろうとしていました。
「マンガなんか読んでいないで、早く宿題しなさい!」というのは、古今の母親が最もよく口にしてきた言葉でしょう。それでも負けずに子どもたちは、そうしてマンガを読むことで(学校や親からは教えてもらえない)得難い情操を培ってきたということでしょう。
マンガは同世代をつなぎ時代を紬ぎ、友情の大切さや努力の尊さばかりでなく、世の中の理不尽さや残酷も教えてくれた。そしてそれこそが、私が今、我々の世代を育ててくれたマンガ文化に感謝したいと感じている所以です。
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