今年の4月1日の診療報酬改定で導入が始まった「リフィル処方箋」が、普及の壁に直面していると4月13日の日本経済新聞が報じています。(「リフィル処方箋石及び腰」朝刊5面)
同じ処方箋を繰り返し使えるようにして患者の負担を減らし利便性を高めるとして導入されたリフィル処方箋。しかし、肝心の処方箋を書く医師が発行を認めないケースが相次ぎ、利用が進んでいないということです。
高血圧症などの慢性疾患の患者は健康状態が変わらないまま(降圧剤などの)同じ薬を使い続ける人は多いと記事はしています。リフィル処方の導入により、薬をもらうためだけに通院する「お薬受診」や通院負担が減る。政府はリフィル処方箋の導入には年間で110億円程度の医療費(国費ベース)抑制効果があると見ているということです。
それではなぜ活用が進まないのか。日本医師会の中川俊男会長は3月27日の会合で、「処方から投薬に至るまでの責任は医師にある」としたうえで、リフィル処方については「慎重に判断いただきたい」とくぎを刺したとされています。
記事は、こうした(医師会を中心とした)動きの背景には、薬剤師の役割が大きくなることに対する医師側の危機感があるとしています。もちろん、患者が受診しなければ医療機関に診療報酬は入りません。その一方で、医師の診察なしに処方箋を使いまわすことへの(薬剤師への)不信感もあるということでしょう。
こうしてなかなか進まないリフィル処方箋の活用に関し、(近年、日本の医療制度に厳しい視線を向けることの多い)日本経済新聞は、5月1日の社説に「リフィル処方の一律拒否を認めるな」と題する社説を掲載しています。
一定期間内なら1つの処方箋を反復して利用できる「リフィル処方箋」。この仕組みの浸透に早くも暗雲が漂っていると記事は指摘しています。
リフィル処方箋は、症状が安定していて診察なしで投薬を続けても問題ないと医師が判断した患者に発行が認められるもの。具体的には、「リフィル可」という欄にチェックされた処方箋を調剤薬局に持って行けば、指示された期間内で最大3回まで薬の受け取りが可能になると記事は説明しています。
この制度は欧米では広く浸透している仕組みで、日本でも10年以上も前から議論され、今回の改定でようやく導入された。しかし、今回の改定を根底から骨抜きにするような診療所の動きが相次いで発覚していると記事は指摘しています。
患者の病状に関係なく、リフィルを一律で拒む診療所の存在が次々と指摘されている。患者の問い合わせに「当院ではやっていない」と回答したり、すべての処方箋のチェック欄を二重線で機械的に消していたりする事例なども次々に確認されているということです。
リフィル処方の可否は、患者一人ひとりの病状を踏まえて医師が個別に判断すべきもの。医療機関が勝手に「自院の方針」として一律に対応を拒否するのは制度の趣旨を逸脱していると記事はしています。
もとより、薬が切れるたびに通院し、長い順番待ちの末、短時間の診察で処方箋が出されることに疑問を感じている患者は多いはず。医療上の判断からリフィル処方が認められないのなら、その理由を患者に個別に説明すべきだというのが記事の見解です。
リフィル処方を拒む医療機関は、収入源である再診患者が減るのがいやなのだろうが、その多くを国費で負担する高齢者の医療費が年々膨らむ中で効率化を追求するのは当然のこと。医療保険制度を司る厚生労働省は、適切な対応を拒む医療機関に厳しい態度で接するべきだということです。
さて、処方箋を巡る今回の制度改正に、「処方箋の使いまわしなんて、そんな無責任なことができるか」とお怒りの医師の方も(おそらく)多いのでしょう。しかしその一方で、「日本の医療界は近年、(患者のニーズと)どこかが少しずれてきているのではないか?」という懸念が、新型コロナへの対応をきっかけに、確信に変わり始めているのは私だけではないはずです。
記事によれば、岸田文雄首相は経済財政諮問会議で、「リフィル処方箋の使用促進に取り組む」と述べているということです。
既に、適正な手続きの下で制度は改められている。政府は、患者の希望を確認・尊重する正しいリフィル処方の運用を医療機関に徹底させてほしいと結ばれたこの社説の指摘を、私も同じ思いで読み取った次第です。
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