MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1739 僕たちの青春に、ある日突然サザンオールスターズはやって来た(その2)

2020年10月08日 | アート・文化


 さて、思い出話をしていたら、ずいぶん前置きが長くなってしまいました。

 そんなサザンオールスターズの活躍に関し、9月15日のウェッブメディア「CITRUS」に、ライターでイラストレーターの山田ゴメス氏が「デビュー時のサザンオールスターズの“あの頃”を振り返ってみる」と題する一文を寄せています。

 サザンオールスターズが初めて世に出た(先に述べた)1978年の「ザ・ベストテン(TBS系)」における生中継について、何語かわからない歌詞を早口でまくしたて、「僕らはただの目立ちたがり屋の芸人です!」と自己紹介する桑田の姿は衝撃的だった(らしい)と、山田氏はこの記事に記しています。

 当時16歳だった氏は、実際にはこの歴史的な生中継を見ていなかったことを、今では大変後悔しているということです。

 氏は、サザンオールスターズという(当時の感覚で言えばかなりマニアックな)ロックバンドが「ザ、・ベストテン」という歌謡番組に出演した背景には、「ロックを歌謡曲と同じ目線で売り出す」というプロデュース側の思惑があったと指摘しています。

 その斬新さが、まだロックの「ロ」の字あたりでウロチョロしていた(自分たちのような)いたって平均的でミーハーな日本の青少年たちに、大きなインパクトを与えたというのが氏の回想するところです。

 「日本語ロック」のはしりと言えば、一般的には細野晴臣・大瀧詠一・松本隆・鈴木茂らによって結成された『はっぴいえんど』などが有名です。

 しかし、最近ではもうスタンダードとなった「ロックを英語っぽく日本語で歌う手法」を音楽界へと広く浸透させたのはサザンオールスターズではないかと、山田氏はこの記事で指摘しています。

 小節内に可能なかぎりの文字数をブチ込み、タンキングを多用しながら、あえて「一度聴いただけでは、なにを言っているのかよくわからない」スタイルを前面に押し出す。

 さらに(サザンオールスターズにいたっては)その「なにを言っているのかよくわからない」を逆手に取り、歌詞中に“エロワード”をも巧みに取り入れて大人たちの顰蹙をあえて買い、若い世代の話題を誘ったということです。

 高校3年生の(熱い)夏を過ごしていた私にとっても、サザンオールスターズの登場とその後の活躍はインパクトの大きいものでした。

 ハイテンポの曲が醸し出すラテン系のノリとエロティックな疾走感。その一方で、スローバラードとも相性の良い桑田佳祐の音楽性と(演歌のような)節回しに、私たちの世代の多くが魅了されたのは、40年以上続くその人気が証明しています。

 この間、高度成長期の終わりにあった日本は、バブル経済の絶頂を迎え、その崩壊を経て失われた20年、30年へと向かいます。

 地味でダサく理屈っぽかった若者たちも、バブルのおかげもあって次第に洗練されるようになり、それと同時に人々はものを考えなくなりました。

 しかし、時代はそれほど甘くなく、携帯やスマホの普及と同時に、世界経済から落ちこぼれていく日本の姿があったのも事実です。

 そして現在、サザンのデビュー当時に10代だった若者たちも今ではもうアラ還を迎え、(人の波も消えた)「砂混じりの茅ヶ崎」は初老を迎えた夫婦が散歩する「思い出の場所」となっていることでしょう。

 それでもサザンのメンバーが、変わらず気取らないアロハシャツ一枚の姿のままJ-POPの先頭を走り続けているのは、まさに奇跡としか言いようがありません。

 20世紀の世紀末を若者として日本に生きた世代の、少し投げやりな「豊かさ」や「自由さ」を体現した彼らの楽曲たち。私たちの世代の青春時代に(学生運動や)プレスリーやビートルズはいなかったけれど、サザンオールスターズがそこでキラキラと輝いていたことは間違いありません。

 そうした想いを胸に、「日本ロック界の潮流が劇的に変わった瞬間を目の当たりにできた私(ら世代)は、もしかすると結構幸せ者なのかもしれない」とこの記事を結ぶ山田氏の指摘を、私も(少し遠い目をしながら)しっかり受け止めたところです。



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