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10月5日、NHKドラマ「聖☆おにいさん 第II紀」の放送が始まりました。
俳優の松山ケンイチと染谷将太がそれぞれイエス・キリストとブッダに扮し、東京の下町で共同生活を始めるという極めてユニークなストーリーです。
この作品の原作は、累計発行部数1,600万部を超える中村光の大人気コミックです。これを実写化したドラマの続編として俳優の山田孝之が製作総指揮をとり、「聖人」ならではの少しとぼけた暮らしぶりをユーモラスに描いたのが今回の作品ということになります。
前回のクールでこのドラマを初めて見た際、キリスト教や仏教を真面目に信仰している人も多いのに「これって(NHK的に)アリなの?」と随分びっくりしたものです。しかし、こうして続編が作られるくらいですから、「話題」にはなってもあまり「問題」にはならなかったということなのでしょう。
もちろん、主人公がイエスやブッダではなくモハメッドであったりすれば、相当ヤバイことになっていたかもしれませんが、それにしても日本の社会における宗教や信仰への寛容さ(というか「緩さ」)には改めてびっくりさせられるところです。
6月29日の総合情報サイトPRESIDENT Onlineでは、北海道大学准教授の岡本亮輔氏が、宗教に対するこうした日本人の「ゆるい」感覚について、「なぜ日本はブッダとイエスをイジれるのか」と題する(ある意味少し真面目な視点からの)論考を寄せています。
文化庁の発行する『宗教年鑑(2018)』によれば、日本の神道系の信者総数は約8616万人、仏教系は約8533万人であり、合わせて1億7000万人を超えると岡本氏はこの論考に記しています。
神道と仏教の信者だけで総人口を超えてしまっているのは、各宗教団体による報告数をそのまま掲載しているから。しかし、仮に信者数を半分に割り引いたとしても日本人の2人に1人以上がなんらかの宗教の信者であるというのは、あまりに実感とかけ離れているのではないかというのがこの論考における岡本氏の見解です。
こうした状況がなぜ起こるのか。氏は、「イエスを救世主と信じる」というのと同じような意味での信仰は日本の宗教文化にはなじまない。日本の伝統宗教である仏教と神道では、そもそも「信じる」ことはそれほど重要ではないからだと説明しています。
たとえば神道国際学会のウェブサイトによれば、「神道は古代から現代まで続く土着の民族宗教であり、アニミズム的な自然崇拝の性格が強い」とある。「宗教的体系はなく教祖もおらず、聖書のような教典もない」「神道に神学はなく、氏子は信者ではない」と書いてあるということです。
これはどういうことかと言えば、神道は信じるか信じないかという以前に、そもそも信じるべき明確な内容を有していないということ。だからこそ、明治維新以降の王政復古では、「神道は宗教ではない」というレトリックが可能になったと氏は言います。
一方、仏教の場合は、神道よりも確固とした教学の伝統があるのは事実でしょう。しかし、高い抽象度と論理性を備えた仏教の教義が一般民衆に浸透しているかというと、それはまた別の話だというのが岡本氏の見解です。
そもそも、現在でも日本人の多くがどこかの寺の檀家になっているのは、江戸時代、幕府によって寺が民衆統制の出先機関に指定されたため。どこかの寺に所属することで、当時禁止されていたキリシタンでないことを証明し、寺はそれによって檀家という比較的安定した経済基盤を獲得したということです。
このように、神道も仏教も、大半の日本人はその教えに共鳴して選択したわけではない。神道は(祭礼などを通じて)地域というコミュニティ単位で、仏教は(先祖供養などを通じて)家単位で関わるものであり、個々人が神仏や極楽浄土についていかなる信念を持っているかとはあまり関係ないものだと岡本氏はこの論考で指摘しています。
一方、キリスト教の場合は、神道仏教とは事情が異なります。カトリックであれ、プロテスタントであれ、キリスト教には精緻に組み上げられた信仰体系が存在する。世界はいかにして始まり終わるのか、人の命はどのようなものであり、また人と自然がどのような関係にあるかも語られると氏は言います。
しかし、(そのためかどうか)キリスト教の国内の信者数はふるわない。日本のカトリック中央協議会によれば2017年の信者数は約44万人で、さまざまなプロテスタント教会の信者数を合計しても、日本の総人口の1%前後と見積もられるということです。
日本のキリスト教は、文化や芸術、あるいはクリスマスのようなイベントとしてはなじみがある。井上ひさし、遠藤周作、曽野綾子といったクリスチャンの作家も親しまれてきたし、国内外を問わず、旅先で高名な教会を訪れる日本人観光客は多いと氏はしています。
しかし、「信じるか?」となると話は別で、信仰という形でキリスト教に接する人は常に少数であり、神道仏教とは異なる意味で信者なき宗教だというのが岡本氏の見解です。
つまり、「信じないが知っている」という独特の(軽い)関係でキリスト教と仏教に接してきた日本独特の宗教風土が、このドラマの「面白さ」を成立させていると氏は言います。
それでは、日本人の心根にある信仰心とは、一体どこにあるのか。
少なくともそれは、教義や禁忌、預言者への崇拝などと強く結びついた(世界的に一般的な)宗教観とは基本的に異なるものだと考える岡本氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。
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