
今日は St. Valentine's Day。
テレビの画面からは、愛を告白する二人の映像とともに、聴きなれたラブソングが様々に流れてきます。
7-A…What number is this to?(え、(Take)7-Aだっけ?)
Okay, don't get excited man, it's 'cause I'm short, I know
(わかってるよ、あんまり大声出すなって。背が低くてよくわからなかったんだ。)
収録スタジオでの(ジョークを交えた)こんなやり取りに続く軽妙なピアノのイントロフレーズから始まる楽曲は、アメリカのアイドルグループ「モンキーズ」が1967年にシングルリリースし、同年12月に週間ランキング第1位を獲得した「Daydream Believer」。
2009年に惜しまれて亡くなった忌野清志郎(に「よく似た人」が)率いる「タイマーズ」が1989年に発表したカバー曲で、国内でも広く知られるようになりました。コンビニチェーンのセブン・イレブンが2011年から実に8年近くCMに使い続けているので、日本人には既にこちらの方が有名かもしれません。
モンキーズは、デビュー当初からテレビを中心に活躍する商業ベースのバンドとして知られていたため、音楽業界では評価が低かったということです。確かに私の記憶でも、テレビでよく見かけた『ザ・モンキーズ・ショー』は、音楽番組というよりは(子供心にも)ドタバタのショートフィルムを組み合わせたアイドル番組という印象が強く残っています。
1964年の結成当初はそれぞれ楽器も演奏できなかったと言われる彼らですが、1967年には音楽プロデューサーを変え、音楽性の高い楽曲をいくつも残すようになりました。その中でも、ワールドワイドで最も広く歌い継がれているのが、この「Daydream Believer」かもしれません。
タイトルを直訳すれば「白昼夢を信じる人」となりますが、メロディはそんなに重いものではありません。歌詞の中身はずっと親しみやすい、自分を「白馬の騎士」と讃えてくれる女性のことを、朝のまどろみの中で想う「僕」の日常を描いた作品です。
一般には、幸せな彼女との生活を夢見心地に暮らしている青年の姿を描いたものとされているこの曲ですが、当然ながらそこで彼が見ているのは(あくまで)「Daydream」なので、その日常は実は「現実」ではないと捉えることもできます。
彼女は最初からいなかったのか、既にわかれてしまったのか、亡くなってしまっているのか。(いずれにしても)既に「そこにはいない」彼女を想う曲とも考えられているところです。
そんなこともあって、実際、かなりシンプルなはずのこの曲の歌詞は、(半世紀もの歳月を経た今でも)様々な解釈がなされています。
「Daydream believer」
Oh, I could hide 'neath the wings
Of the bluebird as she sings
(あの囀っている青い鳥の翼の下(=彼女との夢の中)にずっと隠れていられたらいいのに)
The six-o'clock alarm would never ring
But six rings and I rise
(6時の目覚ましが鳴らなければいいのに。それでも鳴るから仕方なく起き出すのさ)
Wipe the sleep out of my eyes
The shaving razor's cold and it stings
(眠たい目をこすり、髭を剃っても冷たくてヒリヒリするだけ)
Cheer up sleepy Jean
Oh, what can it mean to a Daydream believer and a Homecoming queen?
(起き出して現実に戻れ、寝ぼけたジーン(=僕)。学園祭の花形だった彼女の白昼夢を見ることに、一体、何の意味があるというんだい)
You once thought of me as a white knight on his steed
Now you know how happy I can be
(君は僕のことを「白馬の騎士」だと思ってくれたけど、そのことで、僕が今どれくらい幸せな気持ちでいられるかは分かるよね)
Oh, our good time starts and ends without all I want to spend
But how much, baby, do we really need?
(お金なんか全然使わなくたって、僕たちの楽しい時間は始まるし、終わってしまいもする。でも、僕たちがそうした時間を続けるには、本当のところいくらお金があればいいんだろう)
さて、作詞・作曲を手掛けたジョン・スチュワートのこの歌詞を、忌野清志郎は次のように邦訳しました。
「デイドリーム・ビリーバー」
もう今は 彼女はどこにもいない 朝早く目覚ましが鳴っても
そういつも 彼女と暮らしてきたよ ケンカしたり仲直りしたり
ずっと夢を見て 安心してた
僕はDay Dream Beiliever そんで彼女はqueen
でもそれは 遠い遠い思い出 日が暮れてテーブルに座っても
Ah今は彼女 写真の中で やさしい目で僕に微笑む
ずっと夢を見て 幸せだったな
僕はDay Dream Beiliever そんで彼女はqueen
ずっと夢を見て 今も見てる
僕はDay Dream Beiliever そんで彼女はqueen
ずっと夢見させてくれてありがとう
Day Dream Beiliever そんで彼女はqueen
彼が描いたのは、今はもう写真でしか微笑みかけてくれない、(恐らくは)亡くなった女性への思慕を綴ったものでしょう。
(今から思えば)この生活がずっと続くと安心しきっていた二人の日常。そこに描かれているのは、もう決して戻ることができないそんなの夢のような「彼女」との時間を、今もDay Dreamのように心に浮かび上がらせる(ことしかできない)残された者の哀しみです。
目覚しのベルが鳴っても、(彼女のいない今は)自力で起き上がるしかない。現実にたった一人で引き戻される孤独な朝の寂しさを、(彼女への)感謝の気持ちで振り払って「Cheer up(元気出せ)」と自らに言い聞かせる孤独な男の姿がそこにはあります。
忌野清志郎は、そうした人生の切なさの様なものを(いつもの軽妙な節回しとともに)ラブソングに載せて唄うことのできる、(本当に)稀有なミュージシャンだったということでしょう。
因みに(ある意味「謎解き」のようになりますが)、この歌詞は、清志郎が今は亡き二人の母への想いを綴ったものだと言われています。
清志郎が「実の母」だと思って(ずっと暮らして)きた女性と死別した際、彼女が本当は「母の姉」(つまり継母)であり、実の母は清志郎が3歳のときに亡くなっていたことを知らされます。
生前、清志郎が寂しさを感じないよう、(おそらくは妹に頼まれ)本当のことを隠して「実の母」として常に優しく接し続けてくれた。そんな彼女への「感謝」や、一度も会うことなく亡くなっていた生母に対する恋慕の気持ちを込めたのが、この「デイドリーム・ビリーバー」だったということです。
「ずっと夢を見て安心してた」「ずっと夢を見させてくれてありがとう」…そう感謝の気持ちを込める彼の個性的なボーカルが、また違って聞こえる瞬間です。
さりげない歌の一つ一つに人々が惹きつけられるのには、やはり(それなりの)理由があるのでしょう。そうした清志郎や(や彼が愛した彼女たち)の人生に思いを馳せながら、バレンタインデーの巷に流れる少しハスキーな歌声に改めて耳を傾けたところです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます