厚生労働省の職員23人が深夜まで会食をしていたことについて、加藤勝信官房長官は3月30日午前の記者会見で、「正直言って、一体何をやっているんだという思いを強く持った」と述べ、職員の行為を強く批判しました。
厚労省の説明によると、官僚らの会食は介護保険制度を担当する同省老人保健課の送別会で、課長の発案で所属する30数人のうち課長を含む23人が銀座の居酒屋に時間差で集合。大半は会話中にマスクを外していたということです。
政府の新型コロナ対策分科会は、会食の際は「職場の同僚らいつも近くにいる4人まで」「食事は短時間」「会話する時はマスク着用」などを求めていますが、今回の事案ではそのいずれもが無視された形です。
さらに、東京都の飲食店に対しては営業時間が午後9時までと要請されているにもかかわらず、午後11時まで営業している店を探して予約して、結果、会食は午前0時近くまで続いたとされています。
メディアなどからの批判が相次ぐ中、厚労省は3月30日の夜に急遽、会合を主催した同課長を減給10分の1、1か月の処分としたうえで同日付けで大臣官房付に異動させ、事実上の更迭を行ったということです。また、課長補佐級を含む職員14人を訓告、5人を文書による注意・指導の処分としたと伝えられています。
さらに、管理責任として田村厚生労働大臣を大臣給与2か月分の自主返納、樽見事務次官を文書による厳重注意、土生老健局長を訓告と、いずれも異例の厳しい処分を行っています。
同省によれば、処分を受けた課長は「政府が国民に自粛を求めていることも承知していたが、介護報酬改定を一緒に頑張ってきた仲間に感謝を表する場を設けたいという気持ちが勝ってしまった。軽率で浅はかな判断だった」と話しているということです。
さて、政府を追及する立場の野党ばかりでなく、「弁解の余地なし」とするメディアを介した国民の厳しい視線に、厚労省が平身低頭で相対しているのは仕方のないことでしょう。
しかしその一方で、(もちろん処分は処分で組織の内部管理のために必要なことだと思いますが)「それにしても今回の騒動はちと大げさすぎやしないか」との印象を持ったのは私だけでしょうか。
確かに、(直接の担当ではないにしても)自粛をお願している側の厚労省の職員が(苦楽を共にした出向者の地方自治体への帰任者の送別会とはいえ)深夜まで宴会を催すというのは決して褒められたことではありません。
しかし、(これを言うと怒られてしまうかもしれませんが)そこで感染が拡大した訳でもないし、お互い残業に追われる(しがない)サラリーマンなのですから、「川に落ちた犬に石を投げるようなことまでしなくても…」と少し可哀想な気持ちになってしまう自分がいます。
また、こうした失態を「とんでもない極悪非道」の行為のように報じるメディアのはしゃぎぶりはやはり気になりますし、ネット上などで寄って集って彼らに非難を浴びせている状況に、社会から「寛容さ」が失われていることの残念さ(のようなもの)も感じるところです。
テレビなどで活躍する国際政治学者の三浦瑠麗氏も同様の印象を持たれたらしく、3月30日のツイッターに「23人がクラスターになった事実があるわけでもない」「本当に大人数の集まりを禁じたいなら法律でも作れば。反対するけど。」と(敢えて)冷めた視線でこの騒動を眺め、すこし引いた形のコメントを残しています。
三浦氏のツイートを追うと、「政権としてはふざけるな!だろうけど、日頃からブラック労働で良くて終電まで、家族より長く時間を過ごしている人たちだからね」と、職員のストレスのたまり具合に言及。「23人は感覚としては多いけど、何にせよ市民は『自分の頭で考える』べき。四角四面なルールで縛れば宣言解除で解放されて飲み会が増えるのは当然」と書き込んでいます。
続けて、「自分のアタマで考えられる市民を育てるってのは大切なことですよ。それこそ自由主義の基礎ですからね。政治家も官僚もそういう見地に立って今後の感染制御を設計しないと。あと、省内で連携取れてないってのは、皮肉ね。言うまでもないけど。」と追加でツイートを残しています。
さらにその上で、(前述のように)「23人がクラスターになった事実があるわけでもないし、仮に今後出ても、マスクして接触した来客や同僚は基本、保健所定義の濃厚接触にならないから。日本的な『穢れ』の発想が忍び込んでくるのは気をつけた方がいい。本当に大人数の集まりを禁じたいなら法律でも作れば。反対するけど。」と呟いています。
決まりだから守るのか、決まりを守らないから許さないのか。一部の人たちを「血祭り」にあげることで私たちが得られるものは、少なくともこの現状ではたいしてないはずです。非常事態宣言も明けたことだし、新橋あたりの居酒屋で送別会を催しているサラリーマンたちは実際(他にも)たくさんいるでしょう。
気持ちはわかるけど、「まあそこはお互いに…」というのが大人の分別というもの。反省している者にストレスをぶつけてカタルシスに酔っても、それ自体余り生産的な行為とも思えません。
こんな時であればこそ感情に任せることなく、一つ一つの出来事を自分の頭で冷静に考え、判断していく必要があるのではないかと私も改めて感じたところです。
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