4月22日の総合経済サイト「日経Biz」では、ジャーナリストの田原総一朗氏が、第二次大戦後の日本において世論形成に大きな影響を与えてきた「戦後リベラル」思想とその「限界」について、系譜を追いながら論評しています。
田原氏は、経済学者の池田信夫氏の著書『戦後リベラルの終焉』(PHP新書)を踏まえ、批判ばかりで対案を出すことができなかったことが、戦後日本におけるインテリ層の思想的根幹を形作ってきたいわゆる「リベラル」の限界ではないかと指摘しています。
本来、「リベラル」とは、「人間は(封建的な)従来の権威から自由であり自己決定権を持つ」という「自由主義(リベラリズム)」全般を指す言葉です。それが、米国では「大きな政府」を志向する思想と結びつき、一方日本では、中道左派の人たちが左翼という言葉を嫌って自ら「リベラル」と称するようになったというのが、戦後日本に固有のリベラル思想に対する氏の基本的な認識です。
こうした日本型「戦後リベラル」の基本的な視座は、反戦・平和を至上目的としているところにあり、さらに言えば、「戦争について考えないことが平和を守ることである」という認識にあると田原氏は考えています。
敗戦によって傷ついた日本人の思想構築に大きな影響を与えた政治学者の丸山眞男は、戦後の知識人の思想的な出発点が、この戦争はおかしいと思いながらもそれを止めることができなかった「悔恨」や「自責の念」にあると記しているということです。
一方、戦後の約半世紀にわたって続いた東西冷戦の下、アジアにおけるフロンティアの一角を担った日本は、日米安全保障条約に守られ世界の中でどう動くかを独自に考える必要がなかった。そうした環境の下、日本人の中で(自らの体験から発した)「悔恨」への強い思いは戦争体験とともに風化し、武力行使に対するアレルギーや被害者意識だけが、野党やマスコミなどの亜インテリに残ったのではないかと田原氏は指摘しています。
さて、冷戦が終わり、米国が「世界の警察官」を辞めると言い出した結果、外交や安全保障、経済などの分野で、日本もいよいよ対米追従ではなく、独自の対応に迫られるようになっているというのが田原氏の現状認識です。
確かに、中国、韓国との間にある領土や歴史認識をめぐる問題やウクライナ問題を踏まえたロシアとの距離感、中東イスラム諸国との関係などを考えれば、(いわゆる)国益を守るための主体的な行動が、現在の日本の政府には求められているようです。
そうした中、中国主導で設立されるアジアインフラ投資銀行(AIIB)の問題や過激派組織「イスラム国」(IS)による日本人人質事件の顛末を見ても判るように、現在の日本は、国際的な情報戦略で劣っていることが明らかだと田原氏は考えています。
日本は戦後、大型爆撃機も長距離ミサイルも、もちろん核兵器も持つわけでなく、軽武装を貫いてきた。しかし、今後もそうしていきたいのであれば、それを可能とするための「長い耳」、つまり国際情報戦略を持たなくてはならないと田原氏はこの論評で述べています。
誤解を恐れずに言えば、「日本版CIA(米中央情報局)」とまでは言わなくとも、せめてイギリスの秘密情報部(SIS)のような専門的な情報機関をもつことが合理的なのではないか。ところが、日本の社会状況の下でそうした主張を行えば、多くのメディアから「軍国主義者」と糾弾されることになり、国民の理解を得るのはなかなか難しいだろうと氏は指摘しています。
その一方で、現在の日本人は、「平和憲法を守れ」とか「非武装中立」というような理念を対置してもほとんど関心を持つことはないと田原氏は言います。それは、いわゆる「戦後リベラル」を担う人々が、一般的な国民の生活を改善するための具体的な対案を出せなかったことが判っているからだということです。
田原氏は、こうした「戦後リベラル」の限界を、「まさに私自身に突き付けられた問題」として受け止めていると、この論評を結んでいます。
強いアメリカの存在を前提に、思春期の少年のように反論すれば事足りていた時代も、確かにそろそろ終焉を迎えているのかもしれません。リアルな世界で独り立ちしていかなければならない状況への不安が、日本の社会に広がっているというのもあながち穿った見方ではないでしょう。
批判しかしてこなかった「戦後リベラル」が言論に対する国民の信頼を奪っているとする今回の田原氏の論評を読んで、そうしたある種の「不信感」のようなものが反動となって、論理的な理想主義の否定や短絡的なポピュリズムへの傾斜につながることへの懸念を、私も改めて強く感じたところです。
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