「戦後70年を想う」と題する読売新聞の連載記事に寄稿された、東京大学教授(副学長)で社会学者の吉見俊哉(よしみ・しゅんや)氏による論評、「冷戦が保った日本の地位」(2015.4.8)を読みました。
「親米と反米~戦後日本の政治的無意識」(岩波新書 2007年)などの著作で知られる吉見氏は、特に第二次大戦後の「米国観」の変遷から、日本人の意識と社会の動きを追っている研究者です。
吉見氏はこの論評において、近・現代における日本は、ほぼ25年ごとに大きく変化しているという仮説を立てています。
明治維新(1868年)で近代化が始まり、1895年の日清戦争の勝利を機にアジアにおいて帝国主義的に拡張した日本は、25年後の1920年頃から国家経営を誤って軍国主義に走り、さらに25年後の1945年に太平洋戦争の敗戦に至った。
そして、その後約25年間の復興と高度成長の期間を経て、1970年頃から1995年頃まで25年間の安定成長と成熟の時代を迎えたと、吉見氏は近代日本が経験してきた「時代」というものを大きく整理しています。
しかし、1995年に阪神・淡路大震災とオウム真理教事件が起こり、日本の長い「戦後」の歴史もついに終わりを迎えた。経済は立ち行かなくなり始め、冷戦のタガが外れることにより中・韓が戦前、戦中の日本の行為を糾弾する状況に至って、順調に成長を遂げてきた日本は初めて周囲を見渡したじろぐことになったと氏は指摘しています。
日本は明治維新後、近代化に向けた右肩上がりの50年を経た次の25年において、大きな失敗を犯したと吉見氏は見ています。そして、その結果としてもたらされた敗戦から再び右肩上がりの50年を過ごし、その後再び安定が損なわれているというのが、この論評に示された氏の時代認識です。
さて、その1995年から次の25年後の節目に当たるのが、東京オリンピックが再度開催される2020年ということになります。
日本の社会は、(当面は)そこに向けてひた走ることになるのだろう。しかし、(順序から言えば)五輪後の2020年代に、日本は再び歴史の「正念場」を迎えるのではないかと吉見氏は考えています。
第二次大戦後の日本は、米国の傘の下に入ることで利益を順調に享受する一方で、自分で自分の「未来」を決定するという能力を培うことを怠ってきたと、吉見氏は指摘しています。
「ポスト冷戦期」は、「米国が支える日本」というある意味自明とされてきた前提が崩れ、戦後の日本が維持してきた様々な環境が揺らぐ時代となってくる。おそらくは今後数年で、「アジアの中心」という近代以降の日本のプライド(自画像)が崩れ、戦後の世界観に修正を迫られるだろうと吉見氏は見ています。
氏は、明治以来、日本は2度にわたる「右肩上がり」の期間を上手くこなしてきたとしています。
明治期の「富国強兵」、昭和期の「所得倍増」に当たって、日本人は国民が一丸となり目標に向けて頑張ることができた。こうしたことは真面目な日本人が得意とするところであり、しゃにむな努力が成果をもたらすことができる局面に、日本人の気質の優位性が活かされたと吉見氏は考えています。
しかし、歴史を振り返れば、いずれの場合も「その期間」が終わった後の25年間の「時代の変化」に、日本は上手く対処することができなかった。つまり、時代の変化を受け入れ、自らの処するところを自ら切り開いていくという意思と実行力、そして能動的な態度に欠けていたということです。
吉見氏は、状況が変化し、右肩上がりを続けることが困難な局面を迎えた時、国内の利害を調整しつつ外国との交渉を通じ日本の利益を確保することができるかどうかが、今後の日本のかじ取りのカギを握っていると考えています。社会が成熟し続けるシナリオを自らの手で描き、そこに向けて自分たちを「変えて」いくことができるかどうかが、これからの日本の将来を左右する大きな分岐点になるだろうということです。
さて、(吉見氏に限らず)最近の識者の様々な論評を見る限り、日本が時代の転換点に差し掛かっていることは、どうやら紛れもない現実であるようです。
これまでの成功体験にすがることなく、社会を柔軟に運営管理できるかどうか。再び訪れた時代の正念場において、(過去の経験から学び)社会を変えることができるかどうかが今試されているとする吉見氏の指摘を、この論評において私も大変興味深く読みました。
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