MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2319 多数派と少数派のパワーゲーム

2022年12月20日 | 国際・政治

 カタールで開催されていた4年に一度のワールドカップ・サッカー大会。今回の大会では、選手による政府や人種差別への抗議の意思を示す行動が注目されていました。

 大会前、多様性を訴える「ONE LOVE」と書かれた腕章をつけて試合に出ようとするヨーロッパのチームのキャプテンらの動きがあったとされています。これに対し、主催者であるFIFA(=国際サッカー連盟)は「選手はサッカーに集中するべき」として中止を求めたとされますが、開幕戦においてイングランドの選手が「ひざ立ち」で人種差別反対の意思を示す行為までは止められなかったようです。

 そういえば、ヨーロッパの出場国ごとに代表選手の顔ぶれを見ても、人種はそれぞれ本当に多岐にわたっていることが見て取れます。以前であれば、イングランドやウェールズであればアングロ・サクソン、フランスやイタリア、スペインであればラテン系、ドイツならゲルマン系と一目でわかったものですが、今日ではもはやそうした思い込みは通用しません。

 少なくとも、選手たちの肌の色や顔立ち、まとった雰囲気などを見る限り、欧米先進国の多くが本格的な多民族国家として生まれ変わっていることを、あらためて気づかされたところです。

 多様な人種を抱える社会が安定を保って発展していくためには、相互の信頼関係や多様性への理解が必要なことは論を待ちません。移民問題、格差の拡大など様々な形で分断が進む国際社会ですが、今回のワールドカップ・サッカー大会などは、特に世界の人種問題にとって互いを知る良い機会となるのでしょう。

 そうした中、11月21日の『週刊プレイボーイ』誌に作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が『「多数派と少数派の差が大きいほど社会は安定する」という不都合な事実』と題する少し気になるコラムを掲載していたので、参考までにその一部を紹介しておきたいと思います。

 今ではすっかり、「リベラル(民主党)」と「保守(共和党)」に政治イデオロギーで分断されてしまったアメリカの社会。その背景には、「多数派と少数派の差が大きいほど社会は安定する」という、人口動態の「不都合な真実」があると氏はこのコラムの中で話しています。

 冷戦の終焉にともなうユーゴスラヴィアの解体に際し、ボスニア=ヘルツェゴビナでは1992年からセルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人(ムスリム)の三つ巴の内戦が始まった。結果、互いに不信感を抱き合い、1995年7月にはセルビア人の武装勢力が山間の町スレブレニツァを占領し、男だけを連れ出しておよそ7000人を虐殺する事件まで起きたということです。

 ところがその後、当時のボスニアの状況を詳細に調べると、奇妙なことがわかってきた。セルビア人とクロアチア人が凄惨な殺し合いを繰り広げた村がある一方で、(同じ時期)セルビアの民兵とクロアチアの武装勢力がサッカーに興じていた村もあったということです。

 なぜこんなことになるのか。その最も大きな要因が、多数派と少数派の比率の違いだと氏はこのコラムに記しています。常識とは逆に、多数派が圧倒的な地域では、少数派への民族浄化はほとんど起こらなかったということです。

 多数派は自分たちの地位が侵されないことを知っているので、少数派を弾圧してわざわざ面倒を起こす理由はなかったし、少数派も反抗はムダだとわかっているので、生命を危険にさらそうとは思わなかったと氏は言います。

 それに対して両者の比率が拮抗していたり、三者の関係が不安定だったりすると、人々はいつ何時、自分たちが少数派に追いやられるかもしれないと疑心暗鬼になる。極右勢力はこの不安につけ込み、「家も土地も奪われ、家族もろとも殺される」という宣伝(プロパガンダ)を行なったということです。

 (翻って)アメリカでは白人の人口が減少し、2045年には少数派になると予測されている。ヨーロッパでも、フランスでは移民の割合が10%を超え、親や祖父母が移民だったひとを加えると市民の30~35%(3分の1)が「移民系」だと氏は指摘しています。

 こうした中、欧米では近年、「グレート・リプレイスメント」論が影響力を増している。これはヨーロッパ系白人がつくりあげた文明(市民社会)が、有色人種(ヨーロッパではムスリム、アメリカではヒスパニックなどの移民)によって「リプレイス(置き換え)」され没落していくという悲観論で、右派のポピュリストが白人の不安を煽っているということです。

 さて、現代史を見るかぎり、そしておそらくは人類史を振り返っても、もっとも安定するのは多数派が少数派を支配する社会だったいうのが氏の見解です。社会を大きく動かすのは結局は「生存への脅威」であり、人種の拮抗は社会に混乱を招く大きな要因となりがちだということでしょう。

 とはいえ、誤解のないように言っておくと、(私自身)勿論ここで「移民を排斥せよ」と言いたいわけでないと、氏はこの論考の最後にくぎを刺しています。

 歴史が証明するように、長期で見れば人々は混ざり合い一体化していく。しかし、それまでには(ずいぶんとたくさんの紆余曲折や)長い時間がかかるという話だとする氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。

 



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