MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#1919 「手の平返し」はいつものこと

2021年07月29日 | 社会・経済


 「第5波」ともいわれる新型コロナの感染拡大が続く中、政府やIOCの主導により開催が決まった東京五輪大会に反対の立場から世論を引っ張ってきたのが、民放各局の(いわゆる)ワイドショーです。

 しかし、いったん競技が始まるや立ち位置を一転させ、連日、日本人選手の活躍ぶりを熱狂的に伝えるその姿勢に、ネット上では「手のひら返し」の言葉がトレンド入りしたとの報道がありました。
 中でも、リベラルの立場から政府や主催者に対し辛辣な言葉を浴びせてきたテレビ朝日に対しては、メダルラッシュが続く日本選手団の奮闘を特番を組んで取り上げる状況などを疑問視する声が殺到しているということです。

 実際、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会には、開会式直前まで猛烈な逆風が吹きつけていました。
 ロゴマークの選定や国立競技場のデザイン問題から始まり、森喜朗前組織委会長の女性蔑視発言や開会式で女性タレントの演出をめぐる批判、過去のいじめやホロコーストを巡る演出責任者の辞任など、その数は枚挙にいとまがありません。

 さらに、開会式に合わせるかのように東京都内のコロナ感染者数は急拡大しており、組織委内部からも「今大会は呪われている」「とても開催支持を得られるような状況ではない」といった諦めムードが漂うようになっていたのは記憶に新しいところです。

 改めて指摘するまでもなく、開会式を迎える当日まで、国民の圧倒的大多数が、新型コロナウイルス感染爆発を招きかねない東京五輪にネガティブなイメージを抱いていたことでしょう。
 しかし、いざ競技が始まってしまうと、メダルを期待されていた選手だけでなく、これまであまり知られていなかったような若いアスリートたちの思わぬ健闘にメディアは沸き立ち、国民の目も連日テレビに釘付けとなっているようです。

 まあ、こうした状況も、ある程度予想されていたこと。その豹変ぶりは文字通り「手のひら返し」のようで、ある意味「日本らしいな」とも思っていたのですが、7月26日の「Newsweek日本版」への米国の外交政策アナリスト、ジョシュア・キーティングの寄稿によれば、五輪の開幕前に悲観的ムードが漂うのは(実は)「いつものこと」だということです。

 ついに開幕した東京五輪だが、開会式直前のムードは最悪に近かった。新型コロナウイルスのパンデミックばかりでなく、あきれるような言動が発覚して辞任・解任された大会関係者も相次ぎ、さらには蒸し暑い夏の東京での屋外競技の開催に安全性を懸念する声も上がったと氏はこの論考に綴っています。

 世界のメディアの報道を見る限り、東京五輪は最悪の場合公衆衛生上の大惨事を招き、最善のシナリオでも盛り上がりに欠ける退屈なイベントに終わるように思われていた。しかし(勿論、今後そうならない保証はないが)、過去の状況を振り返れば、五輪の開幕前に悲観的ムードが漂うのはごく普通のことだというのが氏の認識です。

 2004年のアテネ大会では、開幕6週間前にニューヨーク・タイムズ紙が「主要施設はまだ工事中」と報じ、テロ攻撃が懸念された。2008年の北京大会では、人権問題への抗議、建設作業員の死亡事故、大気汚染が大きく取り上げられた。
 2012年のロンドン大会は工事の遅れ、安全上の不安、世論の反対を乗り越えて開催された。2014年のソチ冬季五輪では、世界のメディアが汚職やLGBTへの差別を批判が殺到。未完成のホテルやゴミだらけの道、野良犬の写真が悪い意味で注目を浴びた。
 そして、2016年のリオデジャネイロ五輪は、工事の遅れ、汚染水、犯罪と治安、ドーピング、人権侵害、ジカウイルスなど、問題が山積みだったということです。

 それでも、いざ競技が開始されると、悪評はそれぞれ瞬く間に雲散霧消したと氏は言います。
 確かに新型コロナ級の世界的な試練に直面するのは、五輪にとって初めての経験となる。しかし、選手・関係者と一般社会を隔離するバブル方式を採用した米プロバスケットボールのNBAやサッカーのヨーロッパ選手権も、(どちらも完璧だったとは言えないが)エンターテインメントとして視聴者が求めるものを提供することはできたというのが氏の指摘するところです。

 ここから導き出せる結論はいくつかあると氏はしています。
 ひとつは、大規模で複雑な世界的イベントには、遅延やコスト超過、政治的問題が付きものだということ。五輪開幕までの数カ月間は、肝心の競技がまだ実施されていないため、メディアはこうした問題や開催国の長年の悪弊を取り上げる傾向がある。だが競技が始まれば、関心はそちらに移るというのが氏の見解です。

 そしてもうひとつは、五輪は経済的コスト、環境負荷、人権の面で極めて深刻な負の影響を与えるということです。
 腐敗した組織として悪名高いIOCは、独裁的な政権が五輪を自己賛美の手段に利用するのを喜々として許容してきた。開催都市は望んだ経済効果をほとんど得られず、いずれ老朽化する巨大スタジアムの管理だけが残されてきたと氏は言います。

 しかし、IOCと五輪の放映権を持つ米NBCなどのテレビ局は、華々しいショーを演出する達人で、視聴者が競技を観戦中、こうした問題を考えずに済むようにするのはお手のものだというのが氏の認識です。
 気が付けば彼らのノウハウにうまく踊らされ、観衆はオリンピックの熱狂の中にすっかり取り込まれてしまうということでしょう。

 さて、(今回は違う可能性もありますが)そう考えれば、こうして大規模イベントの前に様々なネガティブな議論が巻き上がるのは、開催国の民主主義がきちんと機能していることの証左なのかもしれません。少なくとも日本にはまだ、政府の方針に異論を唱え、自由に議論できる環境が残されているということです。

 一方、(そうした意味で言えば)来年の2月に開催が予定される中国、北京での冬季オリンピックがどのようなものになるのか?
 これから先、開催までの中国国内の動きを、私も興味をもって見守っていきたいと思った次第です。



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