人材サービスを手掛けるパーソルグループ傘下の「パーソル総合研究所」が今年3月にアジア・オセアニア地域の主要14か国のビジネスパーソンを対象に行ったアンケート調査の結果を見ると、日本人のサラリーマンの上昇志向が他国と比べて際立って低いことが判ります。
「会社で出世したいか」という質問に5段階で回答してもらったところ、日本は平均で「2.7」と、ワースト2位のニュージーランド・韓国の「3.7」に大差をつけての最下位。「管理職になりたいか」という質問でも、「そう思う」「ややそう思う」と回答した割合は日本では(5人に1人の)21.4%と、やはり断トツの最下位でした。
因みに、仕事選びで重視する点として、日本では(1)希望する年収が得られること、(2)職場の人間関係が良いこと、(3)休みやすいこと、などが上位に挙げられていますが、こうして「職場の人間関係」や「休みやすさ」がトップ3に入っているのは唯一日本だけだったとされています。
サラリーマンとして生きていくからには(社長になりたいとまでは言わなくても)そこそこは出世したいと考えるのは当たり前のことと考えてきた昭和の世代には、この結果に一抹の寂しさを感じる向きも恐らく多いのではないでしょうか。
「働き方改革」が政府を挙げた目標となっている昨今、少し無理をしてでも出世したいとか、偉くなって思い通りの仕事をしたいなどと考えるのは、既に時代遅れの「オワコン」の発想なのかもしれません。
そんな折、HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長の森本紀行氏が、 12月5日のYahoo newsに「出世しなくて何が悪い」と題する大変興味深い論考を寄せています。
昭和「死語」辞典に載せるべき言葉に「窓際族」という言葉があると、森本氏はこの論考の冒頭に記しています。
最近ほとんど耳にすることがなくなりましたが、「窓際族」とは企業の中で幹部職に登用されずに行き場を失い、閑職に追いやられてなぜか窓際の席をあてがわれ、無為に時を過ごす人たちを指す言葉です。
陽当たりのいい窓際に座り、書類を読むふりをして居眠りをし、それでも給料をもらえて定時に来て定時に帰る人たち。昭和の頃には、こういう(スタッフ的な)ベテランの人たちが確かに会社のあちこちに配置されていた記憶があります。
しかし、だからといって彼ら「窓際族」が憧れの対象だったかと言えば、当時は、出世街道を外れた(ある意味「終わった」残念な)人として憐みの対象だったことを懐かしく思い出します。
実際、その後平成の時代を迎え企業の経営環境が厳しさを増すと同時に、窓際族だった人たちは窓際を追われ、窓もないような「追い出し部屋」などと呼ばれる場所に押し込まれるようになったと氏は言います。
無為の強制を精神的圧力として機能させ、自主退職が強く促されるようになり、窓際族の暖かさは完全に失われた。理不尽で冷酷非情なものばかりが際立つようになり、そして「窓際族」は死語になったということです。
窓際族というのは、同年次の人のうち幹部職に登用された少数者と選に漏れた多数者との間に大きな処遇格差を生じさせないようにして生じたものだと、森本氏はこの論考で説明しています。
処遇における年功的要素が強かった昭和の時代、課長や部長のポストが限られている中、同年次の人を「課長級」や「部長級」として処遇していたため、権限を持たない幹部職待遇の人が大勢生まれたということす。
一方、現在の企業の人事処遇制度では年功的要素は希薄となり、窓際族は名実ともに消滅したと氏はしています。
同年次の人のうち少数しか幹部になれないのは今も昔も同じなのですが、今では登用の選に漏れた「その他大勢」はもはや閑職に追いやられたりしない。経験や能力に基づいて適正な職務を割り当てられ、職務の遂行状況に応じて適正に処遇されていると考えるほかないというのが氏の見解です。
さて、今から思えば羨ましいような「優雅」な暮らしをしていた窓際族が「憧れ」の対象にならなかったのは、企業の人材登用の選抜に漏れたものとして本人にとっては非常に不本意な待遇であり、周辺も不遇な地位とみなしていたからからだと森本氏は見ています。
同時に、窓際族は、極端に生産性の低い人材利用方法なので、企業にとっても非常に不満の大きなものだった。一見して明らかに合理性を欠き、企業風土に悪影響を与えるものとして人事政策上も好ましくなかったに違いないと氏はこの論考に記しています。
つまり、窓際族というのは、(不思議なことに)企業と本人の双方にとって望ましくないものだったということ。しかし、それではなぜだれも望まない「窓際族」なる存在があり得たのか。
おそらく(この矛盾に満ちた)窓際族の背後にあったのは、当時の企業人の基本的な意識の中にあった「出世至上主義」という価値観ではなかったかと、氏はここで指摘しています。
常に出世を目指すこと、今よりも上位の職位に登用されるべく努力することが「規範」として企業内に確立されるためには、企業の都合で幹部に選抜されなかった場合にも経済的には幹部職に準じて処遇する必要があった。「年功序列」の本質は、何よりこの「出世至上主義」にあったというのが氏の見解です。
(当時の)年功序列は、実は「登用」における年功序列ではなく、厳格な人材登用戦略のもとで「経済的処遇」だけが年功序列になっていた。それは、見方を変えれば、経済的処遇を年功序列にすることが厳格な人材登用戦略を可能にしていたということだと森本氏は言います。
企業にとって重要なのはあくまで人材登用戦略であって、経済的処遇における年功序列は、実は(同期入社の社員を出世競争に駆り立てるための)必要悪だった。なので、平成になって経営環境が厳しくなると、いとも簡単に窓際族は窓際から追い出されたのではないかということです。
さて、確かにそう考えれば、最近の日本人のサラリーマンの上昇志向が低いことも説明がつくかもしれません。社内のポジション(だけ)を人生の目標に日々を邁進できた(ある意味幸せな)時代は、現在の厳しい経営環境の下では既に過去のものになっているということなのでしょう。
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