MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1640 政府がケチなのは国民がケチだから?

2020年06月08日 | 社会・経済


 政府は、緊急事態宣言を全国的に解除した5月25日、新型コロナ対策にかかる1次・2次補正予算の事業規模が総額200兆円を超える見込みと発表しました。

 安倍晋三首相は記者会見で、「(投入金額は)GDP(国内総生産)の4割に上る空前絶後の規模となる。世界最大の対策によって、この100年に一度の危機から日本経済を守り抜く」と強調したと報じられています。

 企業の賃料支払い支援や雇用確保に向けた雇用調整助成金制度の導入などに加え、日銀ではすでに(いわゆる「ヘリコプター・マネー」とも言うべき)無制限の国債買い入れ策の実施も表明しています。

 新型コロナ流行下でリセッション(景気後退)への懸念が高まる中、想定される企業の連鎖的な倒産とそれに伴う解雇を避けるためには、なり振り構ってはいられないということでしょう。

 一方、7月に都知事選を控えた東京都では、新型コロナ対策費の補正額を4月に想定した8000億円から約1兆円に拡大し、2008年に発生したリーマンショック時の対策費(1861億円)をはるかに超える過去最大規模としています。

 これにより、潤沢な自主財源を使って2019年度末には過去最高の9032億円まで膨らんでいた財政調整基金は一転して493億円と20分の1程度に減少し、財政破綻を危惧された青島都知事時代(1995~99年)に逆戻りしてしまったとされています。

 新型コロナ対策に追われ(こうして)厳しい財政運営を迫られている国や自治体が今後とるべき基本姿勢について、5月26日の日本経済新聞は「赤字財政下の経済対策の姿」と題する論考を掲載しています。

 新型コロナウイルスの感染抑制のために外出自粛や休業要請が延長され、100年に1度といわれる経済への悪影響が懸念されている。そうした中、特に今回の経済対策の目玉は、総額13兆円にも上る「国民全員への一律10万円給付」だと記事はその冒頭に記しています。

 しかし、現状をよく見れば、自粛要請で需要が抑えられているのだから、例えお金を広く配布しても本当に景気に結びつくかどうかはよくわからない。所得が変わらない人や、逆に(コロナ特需などで)所得が増えている人も大勢いるのだから、一律給付は「公平」でもないというのが記事の認識です。

 こうして、困っていない人には単なる「ばらまき」で、被害者には全然足りないといった政策目的に対する給付のミスマッチが生まれている。一方で、中小企業への持続化給付金は総額2兆3千億円にすぎないのだから、こちらをもっと充実させるべきだったと記事は説明しています。

 結局のところ、一律給付は「経済対策」ではなく、「国民の不満解消策」だというのが記事の指摘するところです。

 安倍晋三首相は「国難を乗り切るためには国民との一体感が大切」と述べていますが、この「一体感」を養うためにも一律10万円の給付が必要だったということなのかもしれません。

 しかし、今はそんな場合ではない。巨額の損失が不可避である以上、国民一体で国難に立ち向かうとは損失を皆で分け合うことであり、タダで10万円がもらえることではないと記事は指摘しています。

 こんな打ち出の小槌が可能なら、毎年でも10万円を配ってほしいと誰もが思うだろう。しかし、そうしないのは赤字国債の発行などによる将来世代への付け回しや増税があり、それを逃げていれば財政破綻に陥るからだということです。

 財政とは政府が国民に恵んでくれるお金ではない。国民が今か将来の所得を、自分のための公共サービスに回しているものだと記事は記しています。

 このことを曖昧にして最低水準の税負担のまま赤字財政を続けたツケが、国際的にも歴史的にも最悪の(現在の日本の)政府債務(昨年度末1115兆円)に繋がっている。そう考えれば、政治的意味しかない一律給付をする余裕など(今の日本には)ないはずだというのが記事の見解です。

 政府の経済対策は欧州連合(EU)諸国に比べて遅く小出し、と批判されるが、EUは税金をしっかり取っている。一方、日本の政府歳入の国内総生産(GDP)比が世界最低水準であることからもわかるように、政府がケチなのは国民が払っていないからだということです。

 振り返れば、2008年のリーマン・ショックの際にも「100年に一度」と言われ、2011年の東日本大震災の時も未曽有といわれた。

 こうした予期せぬ大規模ショックは、近年度々起こっている。個々の企業がこれに備えるには、平時から顧客や部品調達を分散し、準備資金を保持しておく必要があるが、これらはコスト高を生み、目先の効率化に走る企業に負けて生き残れないと記事は説明しています。

 こうした状況に対処できるのは、最終的に競争のない政府だけ。なので、政府には日ごろから(そのための)資金を準備しておく必要があるというのが記事の主張するところです。

 では、そのためには一体どうしたらよいのか…しかし、だからと言って、何か工夫を凝らした特別なことをする必要はない。政府がケチだと言うのなら、それは国民がケチだからだというのが、この記事の基本的な認識です。

 「バラマキ」と呼ばれるような無駄な歳出を抑えるのは無論だが、何より税率をEU並みに引き上げれば良いだけのこと。「もらうのは嬉しいけど、税金が増えるのは(例え少しでも)嫌だ」では、いざという時に泣きを見るのは(結局)立場の弱い人たちということにもなりかねないでしょう。

 有事には、当然、先立つものが必要になる。広く公平に国民の所得の把握し、必要な税収を(納得感の下で)安定的に徴収する仕組みを確保していくほかはない。

 結局のところ、(有事に何かをしてもらいたければ)平時に財政を健全に保っておくことだと(割とあっさりと)答える記事の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。


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