
5月18日の日本経済新聞は、新型コロナウイルスの感染拡大により病院や診療所の経営が圧迫されるという副作用が生じていると報じています。
日本病院協会などがまとめた病院系状況の調査結果(速報値)によると、回答のあった全国1049病院の4月の総収入が約4億円(前年同比10.5%)減った一方で、総費用は1.4%減にとどまり、平均損益は約3600万円の赤字で全体の8割において経営が悪化しているということです。
院内感染を恐れて通院を控える患者が相次いだことに加え、病床利用率も昨年4月の80.2%から75.9%に落ち込み、こうした状況が続けば地域医療体制の維持存続自体が困難となるリスクも生まれてくると記事は懸念を表しています。
医療現場からは、「新型コロナへの感染を恐れ、通常の生活習慣病を中心に受診機会が減っている」との指摘もあり、今後も慢性疾患などに対する日常の受診を控える動きが続けば、重症患者の増大にもつながりかねないとの声も上がっているようです。
さて、世界に冠たる国民皆保険政策の下、他の先進国に比べて(良くも悪くも)医療サービスへのハードルが低いことが特徴とされてきた日本の医療制度。これまでも、時間のあるお年寄りなどによる「コンビニ受診」の習慣化や、行き場のない独居高齢者の「社会的入院」などがたびたび「不要不急な医療」として指摘されてきました。
ところが、少子高齢化の進展に伴う社会保障費の増大を懸念する人々からは目の敵のように扱われてきたこのような状況も、新型コロナの前では太刀打ちできず受診者の減少が「病院の経営問題」として顕在化したということでしょう。
一方、自治体の財源問題や医療保険などに携わる人の中には、今回の思わぬ伏兵の登場に「なんだ、やればできるじゃん…」と感じている関係者も多いかもしれません。
ちょっと熱っぽい、足が痛い、夜眠れない…こうした人たちが病院へ行かなくなったことで、払う必要がなくなった医療費も確かに多いことでしょう。
新型コロナの感染拡大で、国民医療費が減っているというのも何とも皮肉な話ですが、今後も日本が国民皆保険体制を維持していくためには、「効率的な医療提供体制の確立」がどうしても越えなくてはならないハードルであることは、(恐らく)間違いありません。
どうしたら患者が受ける医療サービスの水準を落とさずに、医療費の削減を進めることができるのか。
5月5日の日経新聞のコラム「経済教室」に、東京大学医学部教授の康永秀生氏が、「中身を吟味、過剰・無駄抑制を 医療の持続可能性」と題する(骨太の)論考を寄せています。
少子高齢化や医療技術の進歩に伴い国民医療費は増加の一途をたどっている。医療には多額の公的資金が投入されていることを考えれば、政府も国民も医療従事者も、限られた財源の効率的な使い方を真剣に考えねばならないと氏はこの論考に綴っています。
これまでの医療費抑制政策は、医療の中身を考慮せず、医療費全体を切り詰める財政政策が中心だった。2年ごとの診療報酬改定での薬価切り下げと全体改定率の調整がその主たるものだったということです。
しかしそれは医療の質を犠牲にしかねない手法であり、医療従事者からの不満や批判は絶えない。とはいえ、医療サイドが行政サイドと対立していては、医療制度を正しい方向に導くことはできないというのが氏の認識です。
(そう考えれば)これからの医療費適正化政策は医療の中身に斬り込み、過剰な医療や無駄な医療を抑制することに軸足を移したものでなければならない。近い将来にも起きかねない医療財政危機を回避するためには、医療の無駄を明らかにし、守るべき医療は何かを明確にして、持続可能な医療制度を構築することが喫緊の課題だということです。
例えば、過剰な治療の代表例として、かぜに対する抗菌薬投与を康永氏は挙げています。
かぜはウイルスが原因で、抗菌薬の投与は意味がない。にもかかわらず日本を含む先進各国で、かぜに抗菌薬が慣習的に使用され続けてきていると氏は言います。
高齢者が多種類の処方薬を服用し、かえって不健康に陥っているポリファーマシーの問題も代表例のひとつ。複数の慢性疾患を抱える高齢者がいくつもの医療機関にかかり、重複処方や薬の相互作用が見逃されているというのが氏の見解です。
さらに近年では、免疫チェックポイント阻害薬や遺伝子治療薬などの極めて高額な画期的な新薬が次々開発されているが、ここで注意すべきなのは、薬価の高低だけが問題ではないということだと康永氏は指摘しています。
費用が高くても効果が非常に高い薬品は、費用対効果に優れるので推奨されるべきなのは当然だが、費用はそれほど高くなくても効果を認めにくい薬品は、費用対効果に劣るため使用を避けるべきだということです。
加えて氏が指摘しているのは、日本の病院数が多すぎるという問題です。
厚労省の「地域医療構想に関するワーキンググループ」は、がんや心疾患などの高度医療について、「診療実績が特に少ない」または「近くに類似した機能の病院がある」ことを基準に再編統合について特に必要」な自治体病院など400余りの病院名を公表しました。
そして、公立・公的病院の約3割にものぼるこうした医療機関は、地域での医療ニーズを踏まえて再編・統合すべきだというのが氏の主張するところです。
医療サービスへのアクセスの良さが過剰な需要につながっているというのが、日本の医療の現状に対する康永氏の基本的な認識です。それにより医療の質の維持が困難になり、さらに言えば、病院の人手不足は慢性化していると氏は説明しています。
医療従事者の努力と過重労働により、医療現場における医療サービスの質の低下は何とか免れている。しかしそれにも限界があるというのが氏の見解です。
今般の新型コロナウイルス感染症の流行によりそれが顕在化した。医師の働き方改革の名の下に医師の時間外労働の上限設定が2024年に適用されるが、そうなれば医師の過重労働により支えられてきた日本の医療は岐路に立たされるかもしれないということです
そうした中で持続可能な医療制度を実現するには、医療費の高騰をなるべく抑えつつ、医療サービスのアクセスをコントロールし、医療の質を維持する必要があるとこの論考で康永氏は主張しています。
かかりつけ医の仕組みを強化し、複数の慢性疾患を持つ高齢者の健康管理をかかりつけ医に一元化する。病院は入院医療に資源を集中し、専門的な医療サービスの提供に専念する。
こうした努力により医師の過重労働も緩和され、医療の質向上にも寄与すると考えるこの論考における康永氏の指摘を、私も(まさに正論として)読み取ったところです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます