今から3~40年も前になるだろうか?
テレビの園芸の番組を見ていた時、
「(お花に)水をあげてくださいね」と言う言葉が耳にひっかかった。
チョット違うんじゃないの?と思ったけれど・・・
でもその時はまあいかにも優しげな先生であったので、
まあ、その先生のお人柄なのかな?と思っただけで終わった。
ところが・・・
その後出てくる人出てくる人、みんな同じ言葉を使い出した。
そのうち、身近にも「うちの子に○○してあげた」などという言葉をきくようになって・・・
やっぱり公共の電波で流れるような場ではきちんとした言葉を使ってもらわないと、などと思ったりした。
第3者に対して自分の子や孫の話をする時はやはり「してやる」というのが当たり前と思っていた私は、そういう場合の「あげる」を聞くと耳元で拒否反応を起こして仕方が無かった。
その頃、その言葉の使い方を巡る意見の交換が新聞の投書欄を賑わした事があった。
「言葉は変わっていくもの」と言う意見に押し切られたような形に終わって、
私も「そんなもんなんかな?」と不承不承ながら・・・納得?・・・
「やる」ってそんなに悪い言葉?
そのうち<お花のみずやり>なんて死語になるんじゃないの?
<お花の水あげ>な~んてね
あれから数十年経って、私も大分そういう言葉に慣れてきたけれど、
先日野球の試合を見ていた時、解説者が、
「1点をあげる」とか「1点もあげたくない」などといわれるのを聞いて、
いくらなんでもこんな場合にそれはないんじゃない?とまたまた思ってしまったのです。
あんまりいつまでも頭の固いことを言ってると、あかんね
これが年寄りになったということでしょうか?
あ、勿論仲間うちの話では「なんでもあり」だけどね・・・