cobaのきまぐれブログ

私もやってみようかな?と
かる~い乗りでブログを始めてみたのですが・・・

知らなかった!

2011-08-27 | Weblog

最近になって初めて知ったことがあります。

それは、早くに亡くなった兄のこと。

生まれてすぐに亡くなったと聞いている兄は、兄弟のなかで一番初めに生まれた人、

と思っていました。

ところが、最近すぐ上の兄が亡くなって、必要になって取り寄せた戸籍謄本を見せて貰って、それが間違っていることがわかったのです。

私の認識では、一番上が兄、2番目に生まれたのが、私が5歳の時に亡くなった姉、と思って、今までずうっと過ごしてきました。

ところが・・・

謄本では、一番目が姉、2番目が兄になっていたのです。

いずれにしても、私が生まれるずっと前のことなんだけれど・・・

知らなかったぁ

 

もう一つ初めて知ったこと。

その兄は生まれてすぐ亡くなったので、名前は法名だけしかない、小さなお墓に刻んである法名がその兄の名前だと思っていました。

ところが・・・謄本にはれっきとした名前が書いてあるではありませんか!

へ~え!こんな名前があったんや!

 

私が戸籍謄本というものを目にしたのは、その時が初めて、というわけではありません。

今までに何度か見たはずなのに・・・

取り寄せた部分が違うのか・・・

71歳になって初めてこんな事実を知った事に驚いています。

 

先日亡くなった兄はこのことを知っていたのでしょうか?

人間って何も知らずに一生を終えることはいっぱいあるようですね!

 

話は全然違いますが・・・

私には腎臓が一つしかないようです。

たまたま46歳の時に子宮筋腫の手術を受けることになって、尿が正常に流れているか調べる為にCTを撮って、初めてわかったことです。

これも、何もなければ一生知らずにすんだかもしれない。

普通の人には二つの腎臓があるから、私にも二つあるだろうと思っていました。

人の身体の中の異常なんて、それこそ特に症状が出なければわからないままにすんでしまうんでしょうね!

ちなみに私の腎臓は普通の人の倍くらいの大きさがあるようです。

知らずにいるけれど、他にもまだまだ異常はあるかもしれませんね!

 


大失敗!

2011-08-25 | Weblog

昨夜は暑かったけれど気味悪くなるほど涼しすぎる夜も時々あったりする。

もうすぐ夏も終わりという今頃になって、ふと、サワードリンクのことを思い出した。

そういえば去年確か梅の酢漬け作ったよなあ!

折角のこの暑い時に飲まないでいつ飲むの

 

え~と・・・どこへしまったっけ?

レンジ台の下の棚に長い間置きっぱなしのビンがある。

これがそうだったかな?褐色の液体、下の方に沈んでいる梅が見える。

いつも何か漬け込んだりすると、製造年月日と品名を書いて貼り付けるのに、これには何も書いていない。ラベルがはがれてしまっている。

パソjコンで書き込んでいる家計簿に日記もつけられるようになっているので、それに大抵そういうことや、毎日のおかずを書き込んでいるので調べてみたけれど、何も書いたものは残っていなかった。

次に買い物の検索をしてみたら、梅を買ったのが昨年と、その前はもう5、6年も前になる。

やっぱりこれやったんかな!とそのビンに入った液体をウイスキーなどの空き瓶に移し替え、一口飲んでみると、「なんとまろやかな味!」もしも梅酒なら、焼酎の辛さ(苦さ?)みたいなものを感じるはずだし・・・やっぱりこれが酢漬けだったんだ!酢漬けってこんなに美味しいものなの

酢は身体にいいし・・・と、夫にもすすめ、2、3日毎日オンザロックで飲んでいた。

ところが昨日の朝、朝の酢はいいと思って、いつもどおり小さなコップに氷を入れ、上から琥珀色の液体を注いで家事をしながら、チビチビと口に運んでいた。

そして・・・しばらくすると・・・

なんか・・・ほんわかしてきて・・・鏡を見ると、目の周りがほわぁっと赤い。

え~っ!もしかして・・・

もう一度確かめてみたけど、記録は残っていない・・・

色々考えているうちに、去年ブログを書いたことを思い出した。梅ドリンク

確かに・・・こんなにはっきりとラベルも貼ってあるし・・・

 

今まで完全に忘れていた床下収納庫をのぞいてみたら・・・

 

ありました!

ちゃんとラベルも鮮やかに残ったまま・・・

 

じゃあ、今まで飲んでいたのは?・・・

 

梅酒だったのです!6年以上前の・・・

漬けてから相当経っているので完全にアルコールの気配もなくなって、甘~いソフトドリンクのようになっていたのでした。

昨日急にアルコールが効いてきたのは、空きっ腹だったせいのようです。

 

息子に「朝のお酢はいいよ」とすすめて断られてよかった!

朝から飲酒させるところでした

 

そして、私も・・・その後、車で出かけたのですが・・・

小さなコップの底2、3cmほど入れただけだし・・・飲んで3時間以上経ってからだし・・・

許される?よね

 

さて、梅の酢漬けのほうは・・・?

やっぱり少し酢のすっぱさは残っていました。でもオンザロックでも充分飲めます。

これに炭酸水を入れたら、きっともっと美味しくなると思います。


降ったりやんだり・・・

2011-08-21 | Weblog

朝刊の天気予報の欄は一色。

それでも目が覚めたときは曇り空で涼しい。

こんな日を逃したら、と、エイヤッと起きだして庭木の剪定と草引きを始めた。

大き目のショッピングバッグいっぱいになったところでポツポツ雨が降り始めて本日は終了。

その後本格的な雨になった。

 

昨日は兄の忌明法要があって京都へ行き、帰る段になって、またまた私の頭は混乱し始めた。

自分のいる位置がしっかり把握できていない。こっちの方角が北、と聞いてもピンと来ない。

こっちの方角が東で、東へ向かったら西大路通り、といわれて???

言われるままに東に向かって円町まで来て、やっと頭の中の地図が正常に戻った

 

夜は地域の夏祭り。京都からの帰途雨が降って、今日は中止かな?と思ったけれど小雨が降ったり止んだりする中で予定通り行われた。

今年は消防の当番なので会場周辺の自転車の整理とか、車が通った時の交通整理?などが主な役目。私達は1時間だけだったけれど、上の役の人たちは4時間ずうっと立ちっぱなしで、本当にご苦労様でした

当番の時間が終わってから舞台での催し物を観たりした後、盆踊りが始まった。

見ているだけのつもりが、これもリハビリの一環?と思って踊りの輪に加わってみた。

時々足はもつれたけれど、まあ楽しかったからいいかな

最近一つ一つの動作が全てリハビリにつながる気がして、何にでも参加してみることが大事だなあ、との思いを強くしている。

ほんのちょっとした動きでも、たとえ指1本1本の動きでさえも、何もしないと確実にだんだん動かなくなる。と、この年になるとよけいに思う。

 

昨日は最後の抽選会で初めて4等が当たりました

 


両方は無理

2011-08-18 | Weblog

プールもリハビリの一つなので、今までリハビリ科に行く日とプールに行く日は別々にしていた。

ところが、病院のお盆休みもあって、今週は週2回が無理かもしれない

と、いうことで昨日は早い目に家を出てリハビリを受け、水に浮いているだけでもいいか・・・と、その後プールに向かった。

ところが・・・プールは団体さんの利用で満員!

他のコースもそこそこ混んでいる。

とてものんびり浮いているスペースなどどこにもなかった

普段と同じように歩き始めたけれど、やっぱりリハビリで筋トレした後だから足が重い。

いつもリハビリで逢う人たちは、その後プールに行かれるそうだけれど、みんなタフだなあ!

自分の非力さを確認させられた一日になりました。

午後からはを見ながら眠ってしまい、気がつけば好きな番組は終わってしまってたぁ


お墓参り

2011-08-17 | Weblog

予報ではマークは出ていないけれど、最近のお天気といったら・・・

朝、洗濯物を干して、ほぼ乾きかけたかな?と思う頃、空が急に暗くなり、「もう洗濯物いれておこうかな?と立ち上がりかけたら・・・「あ!降って来た!」

2階に駆け上がる間に、もう相当な勢いで降っている。

取り入れる間に着ているものまでびしょ濡れ

こんな経験がここ数日の間に何度もある。こんなのを小型のゲリラ雨っていうのかな?

今までなら、空が暗くなってもポツポツと落ちてきて、だんだんひどくなって、と手順を踏んで降ったようなきがするけど・・・

何もかもが最近おかしい・・・

 

今年もどうにかお墓参りができました。

私の故郷と夫の故郷は同じ湖西の方なので両方いっぺんで済ませたら良いようなものだけれど、泊りがけならいざ知らず、日帰りとなると・・・

何しろ私の実家の方はお墓の数が多すぎて・・・

ここ何年かは一旦家へ帰って翌日又出直すという形で妹と一緒に参っていたけれど、今年は日が合わず・・・

翌日出直すのも一人ではしんどいし・・・

夫と義妹にも付き合って貰って、ようやく今年も無事にお参りすることが出来ました。

これから先、あと何年こうしてお参りに来られるやら・・・

お墓参りのたびに思うことだけれど、今はこの沢山のお墓に参るのに、流れ作業のように、お水、お花、お線香を上げ、私の知らない御先祖さんたちのお墓にも、お義理のように手を合わせるだけになってしまっているけれど・・・

何とか一つに纏められたら・・・という願いは持ち続けている。

お墓一つなら、心を込めて丁寧にお参りすることも出来るのに・・・

今後、親元を遠く離れた地で暮らす子孫も、もっと楽にお墓に参れるのに・・・

その問題があるから、親のお墓も未だに建てられずにいるのが、心残りで・・・

色々私のわからない問題もあるとは思いながら

死ぬまでに何とかしたいと切望しているのです。


暑いですね!

2011-08-11 | Weblog

朝から蝉の合唱がかまびすしい。

昨日はかんかん照りに長時間お布団を干したせいか寝苦しかった。

初めて網戸だけで寝た。レースのカーテンだけはかけたけど・・・

いつもならいくら暑くても、雨戸を閉めて中は網戸にするとか、網戸にしたままでも分厚いカーテンで風をさえぎるとかしないと、わずかに忍び込むひそやかな風でも関節が冷える気がして、寝られなかったのだ。

体は暑いけれど、関節が冷える。リウマチになってから、こういう感覚があることを知った。

もう一生夏になっても半袖は着られないかも?ましてやノースリーブなど・・・

リウマチを発症した当時は本気で半袖の服を処分することまで考えていた。

でも全身の関節を襲ったリウマチも良いお薬にめぐりあえたせいか、手首だけで治まった。

本当に有難いことだと感謝している。

半袖もノースリーブですらも平気で着られるようになった。

それでも強い冷房などでは肘が冷える感じはして、そのための衣服調節はいつも準備しておく必要はあるけど・・・

今後どうなるかはわからないけれど、最近はいいお薬も出ているらしいし、楽観的に考えている。楽しいことをいっぱいして、体を陽気にしていきたい。マイナスの部分が入ってくるスキを与えないくらいに・・・!

 

それにしても暑いデスネ 皆さんお体お大切に・・・


おひさま

2011-08-04 | Weblog

NHKの朝ドラ「おひさま」を見ていると、終戦後、180度かわってしまった教育のあり方にとまどう教育現場の有様がよく出てくる。

私が1年生になったのはちょうど昭和21年。

うろ覚えながらところどころ思い出してみると・・・

先ず、教科書はザラ半紙のような質の紙で、ちゃんと本の形をしていたのかどうかまでは覚えていないが、父が固い紙で表紙を作ってくれたことは覚えている。

内容は「サイタ サイタ サクラガサイタ」 「コマイヌサン ア、コマイヌサン ウ?だったか?ン?だったか?それとも ウン だったか?」とにかく全部カタカナで文字だけの教科書だった。

そして2年生になるとひらがなを教わった。

それが、翌年、22年になると1年生からひらかなだったようだ。

一年の差でこれだけ変わってしまう!

ちょうど混乱期だったのだろう。

自分にとっては以前のことはわからず、何しろそれが始めての学校生活なんだから、そのまま受け入れるだけ。

3年生になると、校長先生始め何人か新しい先生が赴任してこられた。

そして学校の雰囲気は大分変わって行った。

新しい校長先生はとっても穏やかなお人柄で、講堂に全校生徒を集めてよく本を読んでくださった。

そして私が4年生で一年間休んでいた時は家にお見舞いにも来てくださった。

いくら小さな田舎の小学校とはいえ、校長先生が全校生徒の名前を覚えておられ、そのことに父はいたく感心していた。

 

新しい先生にはロシア民謡をいっぱい教わって、その後私がダークダックスの大ファンになったのはその影響が大きいと思う。

 

あ、又妄想が走り出してしまって脱線!

 

5年後、妹が一年生になった時にはもう教科書はカラー印刷になって太陽の絵のオレンジ色が眩しかったことを覚えている。