cobaのきまぐれブログ

私もやってみようかな?と
かる~い乗りでブログを始めてみたのですが・・・

おひさま

2011-08-04 | Weblog

NHKの朝ドラ「おひさま」を見ていると、終戦後、180度かわってしまった教育のあり方にとまどう教育現場の有様がよく出てくる。

私が1年生になったのはちょうど昭和21年。

うろ覚えながらところどころ思い出してみると・・・

先ず、教科書はザラ半紙のような質の紙で、ちゃんと本の形をしていたのかどうかまでは覚えていないが、父が固い紙で表紙を作ってくれたことは覚えている。

内容は「サイタ サイタ サクラガサイタ」 「コマイヌサン ア、コマイヌサン ウ?だったか?ン?だったか?それとも ウン だったか?」とにかく全部カタカナで文字だけの教科書だった。

そして2年生になるとひらがなを教わった。

それが、翌年、22年になると1年生からひらかなだったようだ。

一年の差でこれだけ変わってしまう!

ちょうど混乱期だったのだろう。

自分にとっては以前のことはわからず、何しろそれが始めての学校生活なんだから、そのまま受け入れるだけ。

3年生になると、校長先生始め何人か新しい先生が赴任してこられた。

そして学校の雰囲気は大分変わって行った。

新しい校長先生はとっても穏やかなお人柄で、講堂に全校生徒を集めてよく本を読んでくださった。

そして私が4年生で一年間休んでいた時は家にお見舞いにも来てくださった。

いくら小さな田舎の小学校とはいえ、校長先生が全校生徒の名前を覚えておられ、そのことに父はいたく感心していた。

 

新しい先生にはロシア民謡をいっぱい教わって、その後私がダークダックスの大ファンになったのはその影響が大きいと思う。

 

あ、又妄想が走り出してしまって脱線!

 

5年後、妹が一年生になった時にはもう教科書はカラー印刷になって太陽の絵のオレンジ色が眩しかったことを覚えている。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿