気まぐれ徒然なるままに

気まぐれ創作ストーリー、日記、イラスト

たしかなこと 2 (13)

2020-07-23 20:40:48 | ストーリー
たしかなこと 2 (13)






いつもの自宅に戻るとようやく日常の感覚に戻った


自宅に着くと香さんは荷物を広げててきぱきと片付け始め洗濯物を持って行った


僕は何もしていないのに疲弊していて、気付くとソファに座ったまま寝てしまっていた




目が覚めると香さんの姿は無かった

ベランダには洗濯物が風に揺れている



買い物?
僕を起こせば良かったのに


旅行…
香さんには悪いことをしたな



僕が目を覚ましてから1時間は経つ

いつものスーパーマーケットなら徒歩で片道10分もあれば帰って来られる距離



電話をかけても電源が切れている

一体 どこに行ったんだろう




ーーー




結局 香さんは日が落ちても帰ってこなかった



本当に何処に行ってしまったのか

何度電話をかけても電源が切れたまま
こんなこと初めてで不安になってきた




すると電話の着信音が鳴って慌てて手に取ると


「あ... お義母さん、こんにちは、、」


お義母さんからの電話だった
お土産ありがとうね(笑)といつもの明るい声



土産…?

まさか香さんは今実家に帰ってるのか!?


「い、いえ、、こちらこそ旅行券ありがとうございました。」


『いいのいいの~(笑) 日常から離れると気分も変わるでしょ? 温泉で仲良く、ふふふ♡』


『(ちょっ!お母さん!?) 』

あ… 香さんの声
元気そうでホッとした


『ふふふっ(笑) ごめんねぇ(笑) 香が帰ってきたからてっきり宣隆さんも一緒かと。宣隆さんもまた来てね!(笑)』


「ありがとうございます(笑) あっ、あの、香さんと電話変わってもらえますか?」


『え? 待ってね?』
お義母さんが香さんを呼んでいる声がしたけれど

『後で電話かけさせるわね!』

「すみません、よろしくお願いします。」



電話を切った

それからずっと待ったけれど結局 電話がかかってくることもなく深夜になった




どうしてまだ電源を切ってる?
何故 電話をくれない?

… 僕が怒らせることをした?



いつも過ごしている部屋がとても広く感じる



ーー 寂しい...



毎日隣で寝ている香さんがいない
一人で過ごす夜は結婚をしてからは初めてだ


静か過ぎて寝つけない…



僕は翌朝 朝早くに家を出て
実家にいる香さんを迎えに行くことにした




ーーー





僕が香さんの実家を訪ねると家族で朝食を食べる所だった

あまりにも早い時間 突然訪ねた僕にご両親は驚いた

けれど僕の分まで朝食を並べてくれて一緒に食事をさせていただいた



香さんはいつもの通り

何故 電話の電源を切っているのか
その様子から伺い知ることはできなかった


帰り際 お義母さんが漬けた漬物や野菜を持たせてくれた





「お義母さん、変わらずお元気そうでしたね(笑)」

「いつもあんな感じですね… お父さんも相変わらず存在感はないし… 」


実家にいた時と違ってつれない話し方に変わった


「香さんの電話、電源切れてたからずっと心配してたんです(笑) 実家に帰るなら僕も一緒に、」

「電源切ってたんです。」


ーー え?


「どう、して?」

「宣隆さんに腹を立ててるからです。今日も迎えに来てくれなくても良かったのに。 」


「何故?何に腹を立ててるんですか...?」


「ちょ!前!!前見て運転してください!」


前方の車が左折のためにスピードを弛めていて車間距離が詰まっていた


「あっ、あぁ… 」前方に向いた

「すみません、、検討つかなくて、、」




どういうことだ?
どうしてだ?

頭の中が混乱していて
何を言えば
どう聞けばいいかわからない


信号で車は停車させたけれど



「迎えに行かない方が良かったんですか?」


香さんの表情は曇っていた


「子供じゃないから自分で帰れるのに… 」

そう呟いた




その言葉が僕の胸を刺した

「そう、ですね… 」



僕を全く見ることなく景色をぼんやり眺めている



僕がどれだけ心配したかなんて
そんなこと考えもしなかったのだろうか…


そのことでは腹は立たない
ただ 今の香さんが何を考えているのか

恐い…



「何故 怒ってるんですか?」

「何故だと思いますか?」

これは相当怒ってる


ーー こんな香さんは初めてだ



旅行で一緒に楽しめなかったから?
そのままとんぼ返りしたから?

他に… いつもと違うことをした、か?


「旅行ではすみませんでした。あまり一緒に楽しめませんでしたね。せっかく香さんが楽しみにしていた旅行だったのに。ごめんね。 」

「一応、自覚はあるんですね。」
拗ねた顔で外を眺めていた


やはり怒っている原因はそれかーー


「お義母さんからせっかく旅行券をいただいたのに、本当にごめん… 」


また香さんをチラッと見るとさっきとは違う少し寂しそうな表情になっていた

香さんからぼんやりと話しかけてきた

「… 寄り道、しませんか?」





緑地公園

公園の遊歩道は森のように木々に囲まれているから吹き抜ける風は少しだけ涼しく感じた



ベンチに座った

香さんはバッグからスマホを取り出し画像を僕に見せた

「この方とはどういう関係ですか?」

見た瞬間 冷たい何かが背中を走った



それは橙子さんと僕がカフェの窓際で談笑している所を店の外から写した画像だった


何故こんな写真を、、
香さんは僕と橙子さんを見ていたのか…?


動揺する心を必死で隠した

「これ…」


「あの時 なかなか戻ってこなかったあなたを探したんです。

もしかしたらお土産を買いに出かけたのかなって思ったから。そんなに広くないし直ぐに見つけられるだろうって。

そしたらカフェであなたを見つけた。この方とは元々お知り合いだったんですか?」



「たまたまあそこで知り合った同じ旅館の宿泊者ってだけだよ。」


それは嘘じゃない


「この人のこと、私に全然言わなかったのはどうしてですか?たまたま知り合って話してたって言えば良かったじゃないですか。

朝食の時だってお互い知らないフリしてたのはどうしてですか?何かあったから知らないフリしたんじゃないんですか?」


「本当に何もないよ、、」

“どうして言わなかった?” の問いは
答えられなかった



「本当に君が疑うような仲じゃない。たまたま土産物を見ていた時声かけられて、暑いし立ち話もなんだからって店に入ろうかって、ただそれだけで。君が想像しているような事はない。言えば変に誤解しそうでそれで言わないでおこうと思って、、 」


あぁ
今 動揺して喋っている

これじゃ余計に誤解させてしまうのもわかっているのに


香さんは何も言わず 眉間にシワを寄せている



「本当だよ、、」

汗が吹き出てきてポケットからハンカチを取り出して拭いた


「昔の彼女では?」
僕を疑うような目つきに変わった


「そんな、昔の彼女って(苦笑) 元嫁でもないですし、本当にあの時あそこでたまたま知り合った人です。連絡先とか知りませんし、もう本当に信じて、」


「こんなの見たら私は、」
急に声が沈んだ


「女性に奥手な宣隆さんが女性とあんな嬉しそうな 穏やかな表情で話してるの初めて見たから… 初対面だなんて信じられない」


初対面とは思えないほど居心地が良くてとても彼女はチャーミングで

酸いも甘いも経験した器の大きな包容力を感じる大人の女性だったからかもしれない…


僕が幼少時からずっと母親に甘えられなかったから彼女に母性を感じたのかもしれない


それは…
香さんにはない魅力だった




「この人といるとそんなに楽しかったんですか?時間も私も忘れるほど?」

その言葉は僕の胸をズキズキと刺してきた


こうして責められるほど
橙子さんがより器の大きな人だったと感じてしまう


比べてはいけない
彼女と香さんは違うのだから


でも…


「それに… それに、あの駅で… 」

声が震えだして俯き静かにポロポロと涙を溢した香さんにまた動揺してきた



「どうして泣くの… 」


「何故 駅であんなに名残惜しそうにこの人を見つめてたんですか?」


胸がズキッと傷んだ


「名残惜しそう、だなんて、、」


あの瞬間も僕と橙子さんを見てたのか…



「香さん、誤解、ですよ… 」


その言葉を絞り出すのが精一杯だった





ーー 蝉の音が耳につく

あの駅の時と同じだ



「店の前から電話しても気づかなくて、メールしても返事もなくて。仕方なく部屋に戻りましたけど、あなたが部屋に帰ってくるのを待ってるあの時間、凄く長く感じました。 帰ってきてもずっと上の空で生返事。私といてもつまらなさそうで。」



「そんな、つまらないなんて、、楽しかったですよ… 」


あぁ
これは嘘だ ーー


一番楽しかったのは橙子さんと話をしているあの時間だった



あんなに愛して香さんとやっと結婚をし

一生 大切にしたいと思っていたのに


他の女性に惹かれたのは確かだ
当然 責められても仕方がない

香さんは何も悪くはないのに


いつまでこんな風に僕は責め立てられるのだろうと

少しうざったく感じてきた自分は本当に嫌な男だと実感する



「香さん、、」
触れた手を払いのけられた


「連絡がつかないで待ってる方の気持ち、少しはわかりましたか?」




だから昨夜 電話の電源を切っていたのか

「よく… わかったよ。ごめん… 」






ーーー




ギクシャクした空気で車内は会話もなく家に着いてもその空気は変わらなかった


明日からお互い仕事


二人で合わせた連休休みの最後がこんな事になるなんて想像もしていなかった



香さんは服を着替え 出掛けようとしていた


「えっ、何処かに出掛けるんですか? 香さん?」


香さんは何も言わずに出て行ってしまった





僕はどうしたらいいんだろう…


庭の雑草を抜きながら僕は悩んでいた



昨夜 誰もいないこの家で
自分のために食事を作り一人で食べ
大きなベッドに一人 横になった

結局 僕は眠れなかった




こうして今も一人で昼飯を用意する

香さんと一緒に暮らしていてもこれじゃ独身の時と同じ…




いや 違う…

一人で暮らしていた頃はそれが普通で孤独を感じることはなかった


二人で過ごしたから知ってしまったんだ

一緒に過ごす幸せを…







カーテン越しに夕陽が差しこむ部屋がより一層孤独を感じさせた


僕は晩飯の支度をし
駅で香さんの帰宅を待った


独りを感じるあの部屋で待つよりずっとマシだと思ったからだ



あっ、香さん…


1時間ぐらい経った頃
香さんが疲れた顔で駅の改札から出てきた

僕がいるとは思っていなくて驚いた表情をした



「おかえり、香さん!待っていたよ(笑)」

「いつ帰るとか言ってなかったはずですけど…」

「待っててました(苦笑) と言っても1時間程度ですけどね(笑)」





僕を避けるように足早で自宅に向かう香さんの後ろを歩いた


まだ不機嫌なようだ


それでもこうして一緒にいられる事は幸せなことだ…




「暑いから家でいればいいのに、、」と呟いた



僕を気遣ってくれたその言葉に嬉しさが汲み上げてきた


「帰ったら直ぐに晩ご飯食べられますよっ(笑)」

僕は香さんと並んで歩いた



もう完全に日が暮れて暗くなっていたけれど
街頭の明かりで香さんの表情を見ることができた


ムスッとしてはいるけど何となく空気は和らいでるような気がする



「僕ね… やっぱり香さんがいないと駄目みたいです(笑) 親ほど離れたいい歳のオジさんですけどね(笑)」


香さんの歩調が少し緩やかになった



「あんなに独りの生活が長かったのにね… 今じゃもう貴女無しでは何も手につかなくなってしまったよ(笑)

一人だと何をしていてもつまらないし、料理も貴女が食べてくれると思うから作る気になれるんです(笑)

今日も貴女が何処に行ってしまったのか気になって… でも必ず帰って来るから今夜こそ一緒に食べようと思いながら作ってましたよ(笑)」


「そりゃ… 帰りますよ… 家なんだし。」


「ん、そうだね(笑) 僕らの家ですからね(笑) 」




香さんがもし僕の元からいなくなったら… と考えた

僕はどうやって生きていくのだろう
想像もつかない


だから不機嫌でも構わない
怒ってても構わない

こうして一緒に 歩いている今を
大事にしていきたい









ーーーーーーーーーーーーーー

たしかなこと 2 (12)

2020-07-19 12:27:00 | ストーリー
たしかなこと 2 (12)







ーーー ここは京都の高級温泉旅館



香さんのお母さんから旅行券をいただいて香さんと二人で温泉旅行に来た



もしかして…

早く孫の顔が見たい という想いが込められているのかもしれないな…



お義母さん

「頑張ります。」


「え?」


「あ、いや、、 (笑)」



部屋に荷物を置き 周辺を散策した

自然の中にある宿で香さんがとても嬉しそうで僕も幸せな気持ちになる



空気が澄んでいて心地良い
やっぱり自然は良い

そういえば最近釣りや天体観測にも行ってない


「ここは風が冷たくて気持ちですね♪(笑)」


「ん(笑)」




一人で来てる人もいるのか…

40後半ぐらいだろうか
女性が一人 一眼レフカメラを手に景色を撮っていた


「カメラが趣味の女性って格好良いですね(笑)」


「そうですね(笑)」




それから旅館に戻り早速 温泉に入りに向かった

部屋にも露天の温泉があったけれど まずは大浴場に入りたい

露天風呂から見える山の景色も最高だ



部屋に戻ると香さんはまだ帰っていない
女性は長く入るからな

夕食までにはまだ随分時間もあるし外に出てみようと洋服に着替えた


そういや ここに来る途中 近くに観光土産が買える通りがあったから旅行券をくれたご両親への土産でも見てくるか...





土産物屋の通りを歩いているとさっき一人で写真を撮っていた女性も土産物を見ていた


あの人は何を買うのかな


ふと僕の視線に気付き目が合った


同じ旅館の客かもしれない
僕が少し会釈したらその女性は微笑んで会釈した



「さっき若い彼女といましたね(笑)」


気さくに話しかけてきた

僕らに気付いてたのか




「ええ。」


「彼女は? お一人ですか?」


「まだ旅館の温泉に入っている頃だと思います。」



店の店主が表に出てきた

僕とその女性を夫婦と勘違いしているようだった

訂正しようと思ったら女性が店主の話に合わせた返事をしたので僕はあえて何も言わなかった



確かに年齢的に夫婦に見えて当然かもしれないな


「ごめんなさい(笑) さっきは否定しなくて(笑)」


「いえ(笑) 夫婦に見えたようですね(笑)」


「そのようですね(笑) それにしても暑いですね!あのカフェで涼みませんか?彼女さんに悪いかしら?(笑)」


顔の汗を拭っている
ノースリーブから出ている白い肌にも汗が滲んでいた


確かに蒸し暑い…
喉も乾いた



「ほんと暑いですね(笑) 入りましょう。」


中はクーラーがよく利いていて快適だった

家族連れやカップルが何組かいて談笑していた



女性は “橙子(とうこ)” と名乗った

横浜暮らし
一人旅が好きでよく旅をするらしい


旅をするために私は一生懸命働いていると言いながら笑った

何の仕事をしているのかわからないがどうも自営業のようだ



旅も人生も一期一会
せっかく出会えたのだからと旅先で出会った人には気さくに声をかけているのと笑顔で話す

笑顔が本当にチャーミングな人だ


不思議と橙子さんと話しているという妙な緊張感もなく自然体で会話ができる


まるで昔から知っている人のよう

橙子さんの醸し出す空気感がとても居心地が良くて僕は時間が過ぎていくのを忘れていた



「…もしかして(笑) 白川さんは彼女とイケナイ関係?(笑)」


イケナイ?
あぁ、不倫ってこと?



「いいえ(笑) 僕達は夫婦なんです(笑)」


「あら、これは失礼しました(笑)」


さほど驚きもせず少し頭を下げてまた笑った



「年齢差がありますからね(笑) そう見えてしまうんでしょうか(笑)」


「夫婦の仲というより付き合いたての新鮮な関係に見えたからてっきり恋人同士と思ったので(笑)」


え?

「そう見えましたか?」


「ええ(笑)」


「良いですね、アツアツで(笑) 私はそういう感情忘れてしまったわ(笑) 」



ついつい口元と首筋のほくろに目がいってしまう

ほくろの位置によってセクシーに見えるな

女性と話をしていることを意識してきて

少し… ドキドキする



香さん以外にこんな感情を抱くのは初めてだ…



「橙子さんはご結婚歴は?」


「3年前に夫と死別して。二人の子供がいますがもう二人共結婚をしました。私、孫もいるお婆ちゃんなんですよ(笑)」


「え?… まだお若いでしょう?」


「あら?嬉しい(笑) 私はもう55です。気持ちは30ですですけどね?厚かましいかしら(笑) ふふっ(笑)」


僕と同い年?
もっと若く見える...


見た感じは若くてチャーミングなのに落ち着いた空気をまとっていて大人の女性を感じさせる


型にはまらない自分らしい自由な生き方をしている彼女はとても魅力的で輝いて見える


仕事に対する考え方や大切にしているモットーや人生の目標なんかを少しだけ聞かせてもらった


いかに僕は固定観念にとらわれた堅苦しい生き方をしてきたかを気付かされた


彼女にそう話すと そんな僕の生き方にも意味はあるし違う生き方をしていたら今のあなたはいないと肯定的な考えをくれた


気付くと2時間も彼女と向き合って話をしていた

こんなに時間を忘れて誰かと話したのは久しぶりだ

それだけ楽しかったということだ



スマホをポケットから出すと着信が何件も入っていた


「いけない、もう部屋に帰らないと、、」


「じゃあ先に旅館に向かって?白川さんと一緒にいる所を奥さんが見かけたら誤解しちゃうかもしれない(笑)」



そうか…


「白川さん。とても楽しい時間をありがとう(笑)」


「僕も楽しかったです。また会えますか?」


「さぁ、どうかしら(笑)」




香さんと一緒だと話せないか…

「では、お先に、、」




僕が先に店を出た

もう彼女とこんな時間を過ごすことはないのか

少し残念だ…



香さんに電話をかけると直ぐに電話に出た


「宣隆さん、どこ?もう帰ってくる?」


「土産物の通りを見て歩いているとカフェを見つけてね、そこで涼んでいたよ。もう帰ってる所だから(笑)」


「心配してたんですよ~?」


「ごめん(笑) もう正面玄関に入ったから切るね。」


部屋に入ると唇を尖らせてむくれていた


「メールしてるから大丈夫かなと思ってた、、ごめんね?」


「“ちょっと散歩してくる” だけしか書いてなかったし電話にも出てくれないし… 」


「ごめんごめん(笑) もう直ぐ夕飯が運ばれる時間だね。また汗かいたから軽く汗を流してくる。」


頭を撫でてなだめ、部屋の露天風呂に入り軽く汗を流した

風呂から出るとテーブルに料理が並んだところのようだった


ーー 橙子さんは一人旅は慣れてるだろうけど
こんな時も一人で食事するのか

わびしく感じたりはしないのだろうか ーー



「お腹空いちゃった(笑)」


「そうだね(笑)」





ーーー



満面の笑みで冷酒を飲む香さんの頬は赤くなっていた


「香さん、二日酔いしますよ?」


「この一本でおしまいにします♪(笑)」


その一本を飲み切ったので僕は内線をして仲居さんにテーブルを片付けに来てもらった


その間に香さんは部屋の露天風呂に入ったけれど結構酔ってるから大丈夫だろうかと風呂の外から声をかけた


「大丈夫ですよ!お風呂から見える景色最高に綺麗です♪」


「そうですね(笑) もしかして誘ってる?(笑)」


「誘ってません!」


なんだ 違うのか(笑)



窓際のソファに座って外の景色を眺めると月が綺麗に見えた


人が歩く音が微かに聞こえて見下ろすと旅館の浴衣姿の橙子さんが散歩しながら月を見上げていた

窓をノックすると橙子さんはその音に反応して僕に気付いた


僕に気付き小さく手を上げ月を指差した



「月が綺麗よ(笑)」

子供のような満面の笑顔を向けた



その笑顔がとても綺麗で可愛くて胸がグッとなった



“心を掴まれた”

という表現が近いかもしれない



「橙… 」


「宣隆さ~ん、出ましたけど、この後入ります?」


香さんが風呂から出たようで髪にタオルを巻き、ひょっこり顔だけ出した



「あ、そうだね。」


「じゃあ交代(笑)」

また頭を引っ込めた



僕は窓の外に橙子さんの姿を探した

でも橙子さんの姿はもうなかった



ーー 橙子さん



僕よりも考え方や物事の捉え方が緻密で奥深く そして温かく誠実な人だった


たまたま旅先で出会ってほんの少し時間を共有し

ほんの少しの断片を知っただけで

僕らに何かあった訳でもない


なのに
何故か心に残っている…




「窓 開けると良い風入ってきますね。」


「そうだね… 」


「元気、ないんですか?」と聞いてきた


「そんなことはありませんよ(笑)」



窓と障子を閉めて部屋に備え付けの冷蔵庫からペットボトルの水を取り出した



「やっぱりおかしい。」


「何がです?香さんと来てるのに楽しいに決まってるじゃないですか(笑)」


ペットボトルのキャップを外して飲んだ

「視線が全然合わないもの。」


ーー え?


振り返って香さんの顔を見ると真顔で僕を見ていた


「私の二日酔いの心配より宣隆さんの方が心配ですよ。」

何も知らない香さんに少し罪悪感を感じる



「ごめん 」


「ごめんってなんですか?」


「心配させたようでごめん。ちょっと疲れてるだけだよ。」


「そっか… 温泉にゆっくり浸かってくるといいですよ。疲れも取れます。」



香さんと一緒に入れば良かったかな
せっかくの機会なのに


部屋の露天に浸かっていると月明かりで周辺の景色も昼間と全然違って見える


幻想的で物語に出てくる森のような感じさえする




橙子さんは “月が綺麗” と言った


僕も香さんにそう言った
あれは後回しの告白のつもりだった


橙子さんはそんなつもりで僕に言った訳ではないけれど…



橙子さん

この先きっと二度と会うことはない


“切ない” と胸が勝手に痛んだ



馬鹿か ーー

これじゃまるで橙子さんに恋してるみたいじゃないか

僕はそんなに惚れっぽい男じゃないし香さんがいるのだから



日常から離れた所でたまたま出逢った同い年の気の合う人

単なる錯覚にすぎない


でもどうしても否めない

背徳感…




ーーー




温泉風呂から出ると香さんは座ったままウトウトとうたた寝をしていた

いつもは酒に強い香さんでも結構な量を飲んでいたからな


「布団で寝よう?」


「う…ん」


声をかけると寝ぼけたようにベッドに向かった

ベッドに入ると直ぐにまた眠ったようだ


僕はまた窓を開けて周辺を見渡したけれど
当然 橙子さんの姿はなく静けさの中近くの沢の音だけが聞こえた



僕もベッドに入った

今日一日 香さんと一緒にいた気がしない


構ってあげられなかったことに香さんは気付いていない



“構ってあげられなかった”って
傲慢にも香さんを子供扱いしているようだ



昨日の今頃は今日をとても楽しみにしていた

数時間前まではお義母さんに孫の顔を早く見せられるよう頑張ろうなんて思っていたのに


隣でぐっすり眠っている香さんの寝顔を眺めた



「…完全に寝てしまいましたね。」

髪に触れた



そういや今日は一度もキスをしていない
結婚して以来初めてだ


もう余計なことを考えるのはよそう




ーーー




翌朝

朝食を食べに向かうと他の宿泊者が結構いた

ビュッフェ形式の朝食で次々と料理が補充されていた

宿泊者の中に橙子さんはいないかと自然に目が探していた


「あそこの席空いてるみたいですね。」

手荷物を置いてトレイに食べたい物を乗せていく香さんは結構乗せていて



「そんなに食べられますか?(笑)」


「全部美味しそうで、欲張っちゃってますかね(笑)」

「食べられるなら良いですけどね(笑)」

トレイを持って席に戻ろうとした



あ…

橙子さんは僕らの横を通って行った


振り返ると橙子さんは今来たところのようでトレイを手に取った


僕のことは知らないふりをしている

香さんといるから気を使っているのだろう



あの綺麗な笑顔を見ることはもう無い… か




「宣隆さん、チェックアウトしたらどうします?(笑)」


「そう、ですね… どうしよっか… 」


橙子さんを見ないようにしたけれど意識してしまう


「昨夜から具合悪いですか?そのまま帰りましょうか」


「そうだね… 」



香さんと何処かに行こうとは考えられないまま気のない返事を返していたことに僕は気づかなかった



「…そっか。じゃあご飯食べたら帰りましょうか(笑)」


残念そうなその笑顔に
気のない返事をしたことに罪悪感を感じた



「香さん、やっぱり何処か行こうか(苦笑)」


「いいえ。もう帰りましょう。家がくつろぎますよね!」


香さんもあんなに楽しみにしていた旅行だったのに申し訳ない


食事を済ませて席を立つと橙子さんの姿はもうなかった




ーーー




荷物をまとめてチェックアウトを済ませタクシーに乗り最寄り駅に着いた



橙子さん…!




反対のホームに橙子さんがスマホを見ながら電車を待っていた


ボブの髪が風に揺れ 髪を耳にかけた
その何気ない仕草も大人の女に魅せた


… 綺麗



彼女は僕に気付かない

そのまま 気付かないでいて欲しい
このままずっと眺めていたい と思う気持ちと


僕に気付いてもう一度また微笑んで欲しいという思いで気持ちは揺れ動いた



向かい側のホームに橙子さんを乗せる電車が入ってきた

小さめのスーツケースを持ち電車に乗り込んだ橙子さんが僕に気付き目が合った


温かい微笑みを浮かべ
彼女がカメラのシャッターを押す仕草をした瞬間

それまで耳についていた蝉の音が止まったような気がした


橙子さんは少し会釈をし顔を上げると電車は動き出したーー



僕はただ橙子さんを乗せた電車が遠ざかっていくのを見送った



ーー さよなら









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