たしかなこと 2 (13)
いつもの自宅に戻るとようやく日常の感覚に戻った
自宅に着くと香さんは荷物を広げててきぱきと片付け始め洗濯物を持って行った
僕は何もしていないのに疲弊していて、気付くとソファに座ったまま寝てしまっていた
目が覚めると香さんの姿は無かった
ベランダには洗濯物が風に揺れている
買い物?
僕を起こせば良かったのに
旅行…
香さんには悪いことをしたな
僕が目を覚ましてから1時間は経つ
いつものスーパーマーケットなら徒歩で片道10分もあれば帰って来られる距離
電話をかけても電源が切れている
一体 どこに行ったんだろう
ーーー
結局 香さんは日が落ちても帰ってこなかった
本当に何処に行ってしまったのか
何度電話をかけても電源が切れたまま
こんなこと初めてで不安になってきた
すると電話の着信音が鳴って慌てて手に取ると
「あ... お義母さん、こんにちは、、」
お義母さんからの電話だった
お土産ありがとうね(笑)といつもの明るい声
土産…?
まさか香さんは今実家に帰ってるのか!?
「い、いえ、、こちらこそ旅行券ありがとうございました。」
『いいのいいの~(笑) 日常から離れると気分も変わるでしょ? 温泉で仲良く、ふふふ♡』
『(ちょっ!お母さん!?) 』
あ… 香さんの声
元気そうでホッとした
『ふふふっ(笑) ごめんねぇ(笑) 香が帰ってきたからてっきり宣隆さんも一緒かと。宣隆さんもまた来てね!(笑)』
「ありがとうございます(笑) あっ、あの、香さんと電話変わってもらえますか?」
『え? 待ってね?』
お義母さんが香さんを呼んでいる声がしたけれど
『後で電話かけさせるわね!』
「すみません、よろしくお願いします。」
電話を切った
それからずっと待ったけれど結局 電話がかかってくることもなく深夜になった
どうしてまだ電源を切ってる?
何故 電話をくれない?
… 僕が怒らせることをした?
いつも過ごしている部屋がとても広く感じる
ーー 寂しい...
毎日隣で寝ている香さんがいない
一人で過ごす夜は結婚をしてからは初めてだ
静か過ぎて寝つけない…
僕は翌朝 朝早くに家を出て
実家にいる香さんを迎えに行くことにした
ーーー
僕が香さんの実家を訪ねると家族で朝食を食べる所だった
あまりにも早い時間 突然訪ねた僕にご両親は驚いた
けれど僕の分まで朝食を並べてくれて一緒に食事をさせていただいた
香さんはいつもの通り
何故 電話の電源を切っているのか
その様子から伺い知ることはできなかった
帰り際 お義母さんが漬けた漬物や野菜を持たせてくれた
「お義母さん、変わらずお元気そうでしたね(笑)」
「いつもあんな感じですね… お父さんも相変わらず存在感はないし… 」
実家にいた時と違ってつれない話し方に変わった
「香さんの電話、電源切れてたからずっと心配してたんです(笑) 実家に帰るなら僕も一緒に、」
「電源切ってたんです。」
ーー え?
「どう、して?」
「宣隆さんに腹を立ててるからです。今日も迎えに来てくれなくても良かったのに。 」
「何故?何に腹を立ててるんですか...?」
「ちょ!前!!前見て運転してください!」
前方の車が左折のためにスピードを弛めていて車間距離が詰まっていた
「あっ、あぁ… 」前方に向いた
「すみません、、検討つかなくて、、」
どういうことだ?
どうしてだ?
頭の中が混乱していて
何を言えば
どう聞けばいいかわからない
信号で車は停車させたけれど
「迎えに行かない方が良かったんですか?」
香さんの表情は曇っていた
「子供じゃないから自分で帰れるのに… 」
そう呟いた
その言葉が僕の胸を刺した
「そう、ですね… 」
僕を全く見ることなく景色をぼんやり眺めている
僕がどれだけ心配したかなんて
そんなこと考えもしなかったのだろうか…
そのことでは腹は立たない
ただ 今の香さんが何を考えているのか
恐い…
「何故 怒ってるんですか?」
「何故だと思いますか?」
これは相当怒ってる
ーー こんな香さんは初めてだ
旅行で一緒に楽しめなかったから?
そのままとんぼ返りしたから?
他に… いつもと違うことをした、か?
「旅行ではすみませんでした。あまり一緒に楽しめませんでしたね。せっかく香さんが楽しみにしていた旅行だったのに。ごめんね。 」
「一応、自覚はあるんですね。」
拗ねた顔で外を眺めていた
やはり怒っている原因はそれかーー
「お義母さんからせっかく旅行券をいただいたのに、本当にごめん… 」
また香さんをチラッと見るとさっきとは違う少し寂しそうな表情になっていた
香さんからぼんやりと話しかけてきた
「… 寄り道、しませんか?」
緑地公園
公園の遊歩道は森のように木々に囲まれているから吹き抜ける風は少しだけ涼しく感じた
ベンチに座った
香さんはバッグからスマホを取り出し画像を僕に見せた
「この方とはどういう関係ですか?」
見た瞬間 冷たい何かが背中を走った
それは橙子さんと僕がカフェの窓際で談笑している所を店の外から写した画像だった
何故こんな写真を、、
香さんは僕と橙子さんを見ていたのか…?
動揺する心を必死で隠した
「これ…」
「あの時 なかなか戻ってこなかったあなたを探したんです。
もしかしたらお土産を買いに出かけたのかなって思ったから。そんなに広くないし直ぐに見つけられるだろうって。
そしたらカフェであなたを見つけた。この方とは元々お知り合いだったんですか?」
「たまたまあそこで知り合った同じ旅館の宿泊者ってだけだよ。」
それは嘘じゃない
「この人のこと、私に全然言わなかったのはどうしてですか?たまたま知り合って話してたって言えば良かったじゃないですか。
朝食の時だってお互い知らないフリしてたのはどうしてですか?何かあったから知らないフリしたんじゃないんですか?」
「本当に何もないよ、、」
“どうして言わなかった?” の問いは
答えられなかった
「本当に君が疑うような仲じゃない。たまたま土産物を見ていた時声かけられて、暑いし立ち話もなんだからって店に入ろうかって、ただそれだけで。君が想像しているような事はない。言えば変に誤解しそうでそれで言わないでおこうと思って、、 」
あぁ
今 動揺して喋っている
これじゃ余計に誤解させてしまうのもわかっているのに
香さんは何も言わず 眉間にシワを寄せている
「本当だよ、、」
汗が吹き出てきてポケットからハンカチを取り出して拭いた
「昔の彼女では?」
僕を疑うような目つきに変わった
「そんな、昔の彼女って(苦笑) 元嫁でもないですし、本当にあの時あそこでたまたま知り合った人です。連絡先とか知りませんし、もう本当に信じて、」
「こんなの見たら私は、」
急に声が沈んだ
「女性に奥手な宣隆さんが女性とあんな嬉しそうな 穏やかな表情で話してるの初めて見たから… 初対面だなんて信じられない」
初対面とは思えないほど居心地が良くてとても彼女はチャーミングで
酸いも甘いも経験した器の大きな包容力を感じる大人の女性だったからかもしれない…
僕が幼少時からずっと母親に甘えられなかったから彼女に母性を感じたのかもしれない
それは…
香さんにはない魅力だった
「この人といるとそんなに楽しかったんですか?時間も私も忘れるほど?」
その言葉は僕の胸をズキズキと刺してきた
こうして責められるほど
橙子さんがより器の大きな人だったと感じてしまう
比べてはいけない
彼女と香さんは違うのだから
でも…
「それに… それに、あの駅で… 」
声が震えだして俯き静かにポロポロと涙を溢した香さんにまた動揺してきた
「どうして泣くの… 」
「何故 駅であんなに名残惜しそうにこの人を見つめてたんですか?」
胸がズキッと傷んだ
「名残惜しそう、だなんて、、」
あの瞬間も僕と橙子さんを見てたのか…
「香さん、誤解、ですよ… 」
その言葉を絞り出すのが精一杯だった
ーー 蝉の音が耳につく
あの駅の時と同じだ
「店の前から電話しても気づかなくて、メールしても返事もなくて。仕方なく部屋に戻りましたけど、あなたが部屋に帰ってくるのを待ってるあの時間、凄く長く感じました。 帰ってきてもずっと上の空で生返事。私といてもつまらなさそうで。」
「そんな、つまらないなんて、、楽しかったですよ… 」
あぁ
これは嘘だ ーー
一番楽しかったのは橙子さんと話をしているあの時間だった
あんなに愛して香さんとやっと結婚をし
一生 大切にしたいと思っていたのに
他の女性に惹かれたのは確かだ
当然 責められても仕方がない
香さんは何も悪くはないのに
いつまでこんな風に僕は責め立てられるのだろうと
少しうざったく感じてきた自分は本当に嫌な男だと実感する
「香さん、、」
触れた手を払いのけられた
「連絡がつかないで待ってる方の気持ち、少しはわかりましたか?」
だから昨夜 電話の電源を切っていたのか
「よく… わかったよ。ごめん… 」
ーーー
ギクシャクした空気で車内は会話もなく家に着いてもその空気は変わらなかった
明日からお互い仕事
二人で合わせた連休休みの最後がこんな事になるなんて想像もしていなかった
香さんは服を着替え 出掛けようとしていた
「えっ、何処かに出掛けるんですか? 香さん?」
香さんは何も言わずに出て行ってしまった
僕はどうしたらいいんだろう…
庭の雑草を抜きながら僕は悩んでいた
昨夜 誰もいないこの家で
自分のために食事を作り一人で食べ
大きなベッドに一人 横になった
結局 僕は眠れなかった
こうして今も一人で昼飯を用意する
香さんと一緒に暮らしていてもこれじゃ独身の時と同じ…
いや 違う…
一人で暮らしていた頃はそれが普通で孤独を感じることはなかった
二人で過ごしたから知ってしまったんだ
一緒に過ごす幸せを…
カーテン越しに夕陽が差しこむ部屋がより一層孤独を感じさせた
僕は晩飯の支度をし
駅で香さんの帰宅を待った
独りを感じるあの部屋で待つよりずっとマシだと思ったからだ
あっ、香さん…
1時間ぐらい経った頃
香さんが疲れた顔で駅の改札から出てきた
僕がいるとは思っていなくて驚いた表情をした
「おかえり、香さん!待っていたよ(笑)」
「いつ帰るとか言ってなかったはずですけど…」
「待っててました(苦笑) と言っても1時間程度ですけどね(笑)」
僕を避けるように足早で自宅に向かう香さんの後ろを歩いた
まだ不機嫌なようだ
それでもこうして一緒にいられる事は幸せなことだ…
「暑いから家でいればいいのに、、」と呟いた
僕を気遣ってくれたその言葉に嬉しさが汲み上げてきた
「帰ったら直ぐに晩ご飯食べられますよっ(笑)」
僕は香さんと並んで歩いた
もう完全に日が暮れて暗くなっていたけれど
街頭の明かりで香さんの表情を見ることができた
ムスッとしてはいるけど何となく空気は和らいでるような気がする
「僕ね… やっぱり香さんがいないと駄目みたいです(笑) 親ほど離れたいい歳のオジさんですけどね(笑)」
香さんの歩調が少し緩やかになった
「あんなに独りの生活が長かったのにね… 今じゃもう貴女無しでは何も手につかなくなってしまったよ(笑)
一人だと何をしていてもつまらないし、料理も貴女が食べてくれると思うから作る気になれるんです(笑)
今日も貴女が何処に行ってしまったのか気になって… でも必ず帰って来るから今夜こそ一緒に食べようと思いながら作ってましたよ(笑)」
「そりゃ… 帰りますよ… 家なんだし。」
「ん、そうだね(笑) 僕らの家ですからね(笑) 」
香さんがもし僕の元からいなくなったら… と考えた
僕はどうやって生きていくのだろう
想像もつかない
だから不機嫌でも構わない
怒ってても構わない
こうして一緒に 歩いている今を
大事にしていきたい
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