年の暮れに叔母が亡くなり、告別式のときに知った事があります。
叔母は大腸がんで人工肛門を造設していました。そのことを知っていたのは
甥姪の中で私だけだったことです。私の病気を知っていたので、私に言えたのかもしれない。
驚いたのは弔辞を募った場面のときだった。障害者協会のかたがつづけて3人も
叔母にお別れの言葉を読み上げた。叔母が長年にわたり障がい者協会の役員として
欠かせない存在であったことがいたいほどわかった。みなへの配慮や気配り
いつも、太陽のように明るい素晴らしい叔母でした。叔母は障がい者協会の活動
を自分の姉妹には言わず活動していたようです。なぜでしょうか?嫌だったのか、
姉妹に知られるの。人それぞれですね。
私は叔母のようにできない。
できることを自分なりにしていくこと
いいことは行動に移し実現する。
私は病人だから頑張らない、でもやれること最大限やる!
今年は会企画に音楽療法士による音楽療法をとりいれます。
本当に真摯に考えてくれる、明るい音楽療法士の先生です。
3月からやります。楽しみです。