蔵王温泉街の高台に、大国主命 少彦名命 須佐之男命 軻遇突智神 という神様が祀られています。 清和天皇「三代実録」のくだりに、「貞観15年6月26日に授かった出羽国六位上酢川温泉神従五位下」とあるのが本社である。酢川温泉は当温泉の古名にして高湯温泉とも言われている。当社は龍山の上に本宮、蔵王山熊野岳に離宮がある。(昭和27年蔵王山神社と改称)本殿は口の宮で三宮を一社として、古来社殿をこの地に置きました。 中世の神仏融合説により、薬師如来を併せて祀った。明治維新の神仏分離令により、これを庵寺に移し、明治11年に元のように神社となったようです。
昭和34年社殿の改築を計り、550万円余の寄進を得、同年11月現地に竣工し、旧社殿は薬師神社と改称し、先の薬師如来を宝物として安置しました。薬師像は国立文化財研究所の鑑定結果、鉄仏であり、鎌倉時代の作で本県三仏の中の一つであるそうです。
(蔵王温泉地区郷土史研究会資料より)
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